僕のブログの読者の方々は賢明でしょうから、すでにいろいろと情報を取られていると思います。が、日経や朝日を読んでいると僕自身うっかりしてしまうことがあるので、今日は大切な情報を掲載しておきたいと思いました。


まず、ジャーナリストの岩上安身氏が4月12日院内で開かれた勉強会を中継し、原子力安全委員会の漏らした本当の放出量をスクープしています。(他のメディアの取材はなかったいうことで、Ustreamの視聴数が5万人と意外と少ないため、ここに披露する意味があると考えます。http://www.ustream.tv/recorded/14168194  )


従来の発表では124兆ベクレルということでしたがその数倍だそうです。後から公表された 正確な数字は1537120億ベクレル、ほぼ154兆ベクレルです。毎日この数字とすると1年で56千テラ(兆)ベクレルを超えます。これは大気中の放出量に限ります。


また、東京がどれくらい被爆しているかということについて昨日の自民党村上誠一郎議員による衆院委員会質疑に関するユーチューブがあります。いわゆる管理区域と同等レベルのようです。

http://www.youtube.com/watch?v=Hx8BMx09Ie8&feature=player_embedded


最近思うのは、其の人の仕事の役割に応じて思考のパターンに傾向があるということです。例として、メーカーで製品開発に携わる人たちの思考のパターンについて説明したいと思います。


まず、営業・マーケティングの人たち、彼らは物事を帰納的に考えることが得意です。常日頃動き回っており、人に対して説明する機会が多いからかもしれません、様々な物事をみて要するにこういうことなんだという考え方に慣れているからでしょうか。逆に、演繹的に考えること、つまり、AだからB, BだからCというように理詰めに考えることはあまり得意でなかったりします。また、製品に関するアイデア出し(仮説形成)もいろいろ出てくるのですが、それらを現実のものにしていくという面(分析的思考)はあまり細かく考えないように思います。


次に、製品のデザイナーの人たちはといえば、さすがにコンセプト作り(仮説形成)が非常に得意です。また、営業・マーケティングに近いだけあって、帰納的に考えるのは得意ですが、演繹的に考えることはごめんこうむりたいという感じの方が多いようです。製品を現実のものにしていくという分析的な思考はしっかりしているように思います。


では、技術者の人たちはどうでしょうか。なんといっても製品を具体化していく細かな思考(分析的思考)は大変得意だといっていいでしょう。理詰めに考える演繹思考や仮説形成もそれなりにしっかりされています。ところが、ものごとを帰納的に考えていくことが苦手な方が多いようです。よく、一言ではなかなか説明できないと言われてしまいます。


最後に、研究者の人たちはどうでしょうか。論文を書いている人が多いだけに、演繹的な思考は非常に得意です。仮説形成や製品化していくための細かな分析的思考もそれなりにしっかりされています。ところが、技術者同様、帰納的な思考が得意な方は少ないようです。仮説を検証するのは慣れていても、ものごとを帰納的に一般化するのは科学的でないと考えているからかもしれません。


相手の思考のパターンを把握していると、コミュニケーションもスムーズに行きます。相手の得意な思考のパターンに合わせて対話すると話がはずみ、物事も捗るのです。

昨日は、ウェールズ大学MBA17期の皆さんと飲み会をやりました。一人一人の話を聞くのは本当に楽しいものです。さわやかで、思いやりがあり、穏やかで忍耐強く、知的な方々ばかりでした。 

    

人はたいてい自分と違う体験をもっています。それだけではなく、その人のもつ信念・価値観や、自己イメージ、はたまた、意識の次元や広がりを知ることができます。それら後者は僕の好奇心をも満たしてくれます。


まず、人の話を聞く際に、その人が楽しんでいること、好きなこと、大切にしていることなどのポジティブな体験を聞くと、その体験とともにその人のポジティブな気持ち・感情が表明されるので、聞いている自分もそれを味わうことができます。人それぞれの実体験というリアルさを味わえるという意味では、小説を読んだり、TVや映画を見るよりも楽しいものです。


リサ・ランドールがいうように、人という存在はさまざまな次元に多次元構造的に存在しているようです。 なので、どんなにいい感じに思える人でも、その人の低次の帯域に意識をフォーカスすると、粗野な側面を感じることができます。逆も然りです。どこに意識を向けて物を見るかで自分にとっての現実が決まるのです。


「自分のいる境遇はサイアクで酷いことばかりが起こり、ロクでもない人間しかいない」と考えると、それは、本来感じようと思えば素晴らしい人々の低い帯域に意識をチューニングしているからそう感じるのです。


この、「自分が相手のどの帯域にフォーカスするか」のコツを覚えると、誰と会っても素晴らしい体験をすることが可能です。


これが僕の楽しみ方です。そして、 一人一人がこのことに気づくと、グループ、そして、組織が楽しく仕事ができるようになるのです。


今回の原発の事故で、「参謀五戒」を思い出しました。「参謀五戒」というのは、大前研一氏がマッキンゼー入社2年目に書いたベストセラー「企業参謀」という書籍に書かれている内容です。私が「企業参謀」を読んだのは大学生のときで、この本を読んだ時の衝撃は大変なものでした。それはどういう衝撃かといえば、「これまではものごとの本質をしっかりとらえ、自分の頭で考えていなかった」ということに気がついたということです。そして、この本は私の人生を変えたといってもいいでしょう。当時法曹界を目指していたのにもかかわらず、私は経営(戦略)に関わる仕事へと人生の道を大きくシフトしたのです。


参謀五戒とは、

戒1.参謀たるもの「イフ」という言葉に対する本能的恐れを捨てよ 

戒2.参謀たるもの完全主義を捨てよ 

戒3.KFSについては徹底的に挑戦せよ 

戒4.制約条件に制約されるな 

戒5.記憶に頼らず分析を 


の5つなのですが、最初の戒1は特に印象に残っていました。それは、「もし状況がこうなったら、どのように考え(あるいは行動、反応し)たらよいか」という設問を考えろということです。言いかえれば、震災や原発の専門家がよく口にしている、「想定外」のことが起きたらどうするかを考えておくということです。大前氏によれば、「想定外」のことを考えておくのが「参謀」であり、「プロフェッショナル」なのだというわけです。


大前氏は、日本人がこの「Whatif・・・?」が不得手な背景として、わたしたちが考えることに対して無精であったりすることの他に、二つの要因を掲げています。


一つは、私たちが今日まで外国から長い間にわたって文明を受け入れ続けてきたことによって解答がすでに存在していることに慣れ切ってしまっているのではといっています。だから、すぐその後に、WHERE?と短絡してしまいがちだと。もうひとつは、神道の影響で、日本人は悪いことをなるべく考えまい、言うまいとなってしまっているのではといっています。つまり、考えるだけでも恐ろしいような悪いことが心に宿ると、それが本当に起ってしまうのではないかという恐怖心から、なるべく避けて通るようなくせがついたのではないかというのです。


とはいうもののこの二つの日本的背景は、国際競争力の激化などにより徐々に改善されるのだろうと、大前氏は書いているのです。


どうでしょう。「企業参謀」が出版されてから36年。日本人が物事を戦略的に考えられるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

 確か阪神大震災が起きたころ、ユーミンの「春よ、来い」が流行ったように思います。ユーミンの曲、そして歌は素晴らしい。震災が起きてから1カ月。でも「春よ、来い」という気分です。


淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める


それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る


春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする


君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています


それは それは 明日を越えて
いつか いつか きっと届く


春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く


夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく


春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする


春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く