2024年1月9日 八代亜紀さんの訃報のニュースに愕然としました。
2023年の12月30日にご逝去されたとのこと。まだ73才と言うのに・・・
悲しかった。ショックでした。

私と八代亜紀さんとの接点はほんのわずかですが、本当に優しい人で、人間として尊敬できる素晴らしい方でしたので、想い出をお話させてください。

私が歌謡曲でデビューした翌年の1986年に八代亜紀さんが日本コロムビアに移籍されました。

その頃の私は国鉄が民営化されることになり、全ての仕事が白紙になり、デビューして1年というのに、お先真っ暗な状態でした。

その時のお話は「デビューその後・・・」に詳しく書いてあります。

 

 


そんな折、八代亜紀さんが確か舞台のセリから落ちて腰の大怪我をされ、長時間のステージが大変ということで、同じコロムビアの新人の私が八代さんの前歌をすることになったのです。

新人の私が生バンドで歌え、しかも大スターのステージを生で見ることが出来、舞台での姿勢、振る舞い、歌い方などを学ぶことが出来る絶好の機会です。

最初の仕事が1986年12月5日の平塚。そして翌日は下館。
八代さんのスタッフの皆さんとバス移動です。

新人ですから、大スターの方には普通はご挨拶するのみで、お話するなんて夢のまた夢。
それが初日から専属コーラスのお姉さん方と一緒に、私まで八代さんの楽屋に呼んでいただいたのです。
当時21歳の私の日記には「すごぉ~く良い人。私大好きになっちゃった」と書いてありました。

八代さんはスタッフの皆さんにも優しく、いつも女性スタッフ、コーラスやバイオリンのお姉さん皆で八代さんを囲んで、過ごしているそうなんです。

12月10日は泊りで仙台。
日記には「だいぶスタッフの皆さんと仲良くなれて、修学旅行みたい。八代さんのご配慮で同じ部屋(特別室)へ移動。ド・緊張だったけどものすごぉく素晴らしい部屋でした。コーヒーをご馳走になり、お菓子をたくさぁ~ん頂いた」

新人の私にこんな心遣い。信じられないでしょ。夢のようでした。

余談ですが、帰り仙台のみどりの窓口をチラッと見たら、私がモデルをした国鉄のポスターが5種類も並んで貼ってあり、驚きました。

12月28日には八代さんのスタッフ旅行、伊東のハトヤにまで参加させていただきました。

年が明けて1987年1月5日~8日まで、九州公演にも同行。

今回も八代さんの部屋でコーヒーにケーキ。一緒に夕食も!
女性スタッフの皆さんと一緒に温泉に入り、散歩に出かけたり・・・
男性スタッフの方は夜の宴会で手品を披露したり・・・
皆さんの仲間に迎えてくださり、仕事なのに本当に楽しい日々でした。

最終日はふぐ鍋でしたが、八代さん自ら皆に〆の雑炊をよそってくださり、熊本県特産の晩白柚(ばんぺいゆ)の皮までむいてくださいました。
怖れ多い経験をさせていただきました。

1つ言わせていただきたいのは、仕事以外はすっぴんの八代さん。

以前嘉門達夫さんに「リバーサイドホテル」の替え歌で「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われるなどありましたが、目鼻立ちがはっきりしているので、素顔もほとんど変わらずお綺麗なんですよ。

あの頃はカメラを持ってないと写真を撮れなかったので、八代さんとの2ショットは、コーラスのお姉さんの結婚式で写してもらった1枚のみ。



約1ヵ月。八代さんのもとで貴重な経験をし、色々と学ばせていただきました。
その後私もめでたくNHKのラジオ歌謡に起用され、自分の仕事も増えていき、

その時のブログはこちら 絶望から・・・一筋の光

 

 

 

現場でお会いすると「ひろこちゃん元気~?」といつも声をかけてくださいました。

私の歌謡曲時代。八代亜紀さんとの大切な想い出。
1ヵ月ではありましたが、大スターなのにおごらず、いつも優しい笑顔で皆に言葉をかけていらっしゃった姿を拝見して、まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」です。

本当に歌手としても人としても素晴らしい方でした。
ありがとうございました。
八代さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。