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ニシダヒロコの脱皮ライフ

幼少の頃から冒険が大好きで、いつの間にか世界に旅立ち、波乱万丈な人生を送ってきた。はみ出ても失敗しても大丈夫。すべては自分を脱皮させる貴重な体験です。ここは皆様とご一緒に 個性と自由と世の中との調和を考える場。





私の脱走人生は 1歳の時 すでに はじまりました。




両親は 金の成る土地で 食堂経営に 毎日 大忙し。
昭和の真ん中の頃です。



食堂というものが ほとんどなかった時代でした。



大阪駅のすぐ前の
今のヒルトンホテルのある辺りです。





父がお弁当を提げ、自転車で毎日物件探しをし、
やっと見つけたところ。



石川県から出てきて0から商売を始めた父は 
難波で親戚たちに搾取されて 
その土地を見つけるまでは大変やったらしいです。


そういう中で双子の姉ののいる私は
難波のど真ん中で生まれました。


梅田に引っ越してきてからは
お商売は大繁盛で
両親は寝る間も惜しんでの仕事三昧。


まだ赤ん坊の私に
うんと若いベビーシッターがつきました。


2歳まで歩けなかったくせに急に走り出し、
それはそれはすばしっこかったそうです。
(陸上の選手で大阪の大会で60mの記録をもってます笑)


ベビーシッターは私を映画館に連れて行って
ウトウト居眠りのすきに即脱走。



また彼女が双子の姉と私を
阪神デパートに連れて行けば、

いつの間にか 私だけいなくなり、
すぐ横のバスターミナルからバスに おむつをつけて 
スタスタと乗り込んだり、




まったく怖いものなしですわ~ 





毎日のように私の脱走が続き、
その都度警察に お世話になりましたw。
(本当に かわいそうな 両親。。)




ヒロコがまたおらへん! 大変やー
店の従業員と両親で 
仕事をやめて探すこと、探すこと。





あまり毎日のことやから 
胸に 名前と電話番号を書いた名札 をつけられました。
まるで囚人が刑務所を脱走するみたいやわねえ。




一度は 天王寺まで バス旅行
警察から電話があり、母が迎えに行ったら
おぜんざいをごちそうになっており 
美味しそうに食べてたそうです。



毒舌の祖母が こんな変な子見た事ない、って。。。



パリ、バスティーユ広場



まあ そんなわけで 
後に私が海外に留学に行って

そのまま帰ってこなかったことも


色々な国に 移動したことも
両親は覚悟していた ということです。


ではまた~