梅小路公園の芝生広場の周りに、今、この
萩に似た小さいお花が咲いているのですが、
同じ枝に、薄い紫と薄みどりの2色のお花が
咲いているのが、とても不思議です。
クリックして大きくしてみてください。
どちらも、儚げな花の色がとても綺麗ですよ!(‐^▽^‐)
さて、
昨日、遠方のお友達からのメールにこんな問いかけが
ありました。
周りが大人数だったり、家族連れだったりしてにぎやかな時とか、
<ひとりで、お店に入るの、嫌じゃないですか?
あのひとなんでひとりなんだろう、とか思われていそうで。。>
私は長いことずっと自宅で母の介護をしていて、
母は、まったくうちから出られないので、必然的に
外でお店に入る時は、ひとり、のときがほとんどだけれど、
お返事を書くとすれば、わたしは、まったく苦にならないのです。(≡^∇^≡)
もちろん、誰かと一緒にお茶飲んだり食事したりするのも
とても楽しいし、そんな時間もとても好きだけれど、
ひとりのときは、ひとりのときで、
好きなものを頼んでほっこりしたり、
やりたいことのことを考えたり、
好きな本を読んだり、手紙を書いたり、しながら、過ごします。
そういえば、今でこそ、お店でひとりのひとの多くは
携帯やスマホを手に、忙しくメールを打っていたりするけれど、
ひと昔前、まだ携帯電話もなかった頃、エッセイを読んでいたら、
孤独について、というところで、こんな比較がされていました。
日本人で、ひとりで喫茶店にいるひとを見ると
たいていは、寂しそうだったり、しょざいなげに退屈そうな顔をして
うつむきかげんに座っている、けれど、
フランスで喫茶店や、テラスでひとりで座っているひとは
日本人と違って、笑顔だったり、嬉しそうな顔をしていたり、表情がみんな明るい。
どうしてかと思ってよく見てみると、フランスでは、ひとりのひとの
テーブルの上に手紙だったり、絵葉書だったり、手帳や、本といったものが、のっている。
つまり、フランスのひとたちは、物理的にはひとりでいながら、
精神的には、<ひとり>で居るわけではないから、だということがわかった。
みんな、手紙や絵葉書をもらった相手のことを思ったり、
今日これから会うひとのことを考えたり、
好きな本のなかの世界に浸っていたり、
その心のなかに<大切なひとやもの>の存在をもっている、
だから、寂しそうではなくて、嬉しそうに、笑顔を浮かべているのだ。
ひとりで居るのが寂しい、
そう、感じたときには、
心のなかに、誰かを想うといいのではないか、と思います。
しばらくあってない誰かのこと、
気になっている誰かのこと、
あるいは、ひとでなくてもいい、ものでも、コトでもいい。
なにか、これからやりたいこと、夢みてること、
行ってみたい場所、なってみたいもの。。
そういうものを心のなかに思い浮かべれば、
その瞬間から、もう<ひとり>では、なくなる、ような気がします。(‐^▽^‐)