各IBDP校やMYP校、国際系、真新しくないインター校などに関しての話しについて
これまで私たちのブログでは、実際に校名を挙げて特定の学校を取り上げることがあります。その際、誤解されたくないのは、「この学校は絶対に勧められない」と断じるつもりは一切ないという点です。どのような学校にも必ず一長一短はあり、その教育哲学や校風に心からマッチする生徒さんが必ず存在するからです。
しかしながら、保護者や生徒の皆さんが冷静に見極めるべき「落とし穴」も存在します。特に、設立間もない小規模なインターナショナルスクールについては、現実的な不安要素がつきまといます。というのも、日本の学校法人とは異なり、インターナショナルスクール業界にはビジネスとしての参入障壁が相対的に低く、教育の質や運営の持続可能性が必ずしも担保されていないケースがあるからです。
特に、インターナショナルスクールという名前のキンダー、プレスクール、つまり小学校未満の学校は、学校ではありません。スクールではありません。そんなインターナショナル〇〇には要注意です。そこで働く外国人スタッフの資格や、性的な犯罪歴などを一切無視して雇用しているケースも見られます。
その一方で、小中学校や高校段階で正式な国際バカロレア(IB)認定などの国際的なカリキュラム認定を受けている学校は、カリキュラム認証のハードルの高さから、教育内容の「質」という面では大きな外れはありません。ただ、どんな学校でも、お子さんの性格や学習スタイルとの「相性」は必ず生じます。だからこそ、偏差値やブランドだけで判断してはいけません。特に、国際バカロレア教育を選択する家庭では、偏差値と詰め込み学習に対する嫌悪感を抱くことから、他の教育を模索しはじめたというところもあります。それぞれの学校の特徴を探し、それを理解した上で学校説明会に参加し必要であれば積極的に質問をする。そうやって、その学校が子どもにとって快適かどうかを判断することが大切です。
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では、学校選びで何を最優先すべきか。それは「無理なく、そして安全に通学できるか」という現実的な視点も重視すべきです。片道2時間近い通学時間を強いられる場合、それが子供の心身にどれほどの負担になるか、想像したことがあるでしょうか。「自分が毎日の通勤でその距離を耐えられるか」と置き換えてみてください。通学路の危険性や、長時間の移動による疲労は、学習効率や学校生活の充実度に直結する重大なファクターです。その距離を移動させるのであれば、なぜ引越しできないのかを考えましょう。そこには金銭的な制約があることがありますが、その費用を子どもの安全と天秤にかける時、「教育とは」を考えるべきでしょう。
そして、ここでどうしても触れざるを得ないのが、沖縄・辺野古での痛ましい事故以降、現状の同志社国際高等学校を積極的にお勧めできないという私たちの見解です。
次は自分の子供が同じ目に遭うかもしれないと想像したとき、「避けられるはずなリスク」に我が子を送り出すことを、冷静に推奨できるでしょうか。「次があるかも」ではなく、「次は我が子かもしれない」という当事者意識を持たなければなりません。通学路だけでなく、校内の施設、修学旅行先、さらには課外活動に至るまで、「安全」はすべての教育活動の大前提であるはずです。
にもかかわらず、多くの保護者がこの「安全」という基本的な歯車の緩みに目を背けてしまうのはなぜでしょうか。悲しいかな、そこには「大学合格」というゴールへの強烈な焦りが存在します。あの学校に行けば難関大への道が開ける。その一心で、目の前のリスクを過小評価し、「何もないだろう」という楽観論に逃げてしまうのです。
これはもはや、「人質学校」と言っても過言ではないでしょう。大学入学という魅力的な「餌」で心を拘束され、本来なら絶対に譲ってはいけない「子供の生命と健康」という基準までが歪められてしまっている。この受験界隈にはびこる空気こそ、私たちが最も警鐘を鳴らしたいポイントです。教育とは、単なる合格に向けた勉強ではなく、お子さんの「人生そのもの」を預かる営みだということを、どうか忘れないでください。
そして、この「安全」の問題は決して同志社国際高校ひとつの学校だけに限った話ではありません。
思い起こしてほしいのは、1988年3月24日に中国・上海で発生した「上海列車事故」 です。修学旅行先の中国へ向かっていた高知学芸高校の1年生と引率教諭ら約190人が乗った列車が、上海市郊外で対向列車と正面衝突し、生徒27人と教諭1人の合わせて28人もの命が一瞬にして奪われました。修学旅行という、本来なら最も楽しいはずの学校行事が、あまりにも多くの家族に取り返しのつかない悲しみをもたらしたのです。
しかし、この事故の凄惨さ以上に私たちが忘れてはならないのは、その後の「政治」に翻弄された事後対応です。
事故の新幹線車両は即座に埋められ始めました。中にまだ取り残されている可能性があるとすら言われていた時にです。さらに、日中間の補償交渉は難航を極め、やがて政治問題化しました。当時の竹下登首相と中国の李鵬首相との会談すら交渉の駒として意識される中で、本来なら「子供の命」を最優先に考えるべき学校と遺族の間の対話は、国家間の政治力学に飲み込まれていったのです。
辺野古の時と同じく、「なぜそのルートを選んだのか?」という疑問にたいして曖昧な説明しかできない学校担当者。いかに自分に責任が及ばないかだけを考える学校長や教師、教育委員。
事故から38年が経った今もなお、3人の遺族が学校側の対応に納得しておらず、校内の慰霊碑「永遠の碑」に3人の名前が刻まれていないという事実です。学校理事長が事故後の問題を「はやく処理したい」と発言していたことが後に明らかになり、遺族と学校の間の深い溝は今日に至るまで埋まっていません。毎年慰霊式は営まれていますが、「歳月がたつほど悲しさが増す」という遺族の言葉が、どれほど重く響くことでしょうか。
同志社国際高校の事故も、高知学芸高校の事故も、我々にとって共通しているのは「もし自分の子が同じ目にあったら」という視点が欠けていることです。
「大学合格」という目標があまりにも大きく立ちはだかるあまり、安全という基本すら後回しにされ、事故が起きてから「政治」や「学校の都合」で事後対応が歪められる。この構図は、決して過去の話ではありません。
「何かあってからでは遅すぎる」 のです。そして、何かあった後ですら、遺族の納得が得られないまま問題が放置されるケースがあるという現実を、私たちは直視しなければなりません。
なお、高知学芸高校に関しては、かなりの年月がすぎさり、今の学校と当時の学校は様変わりしています。しかし、高校として未だに毎年慰霊祭を開いていることは学校の姿勢としてすばらしいことです。現状この高校は特筆すべき進学校になっていることを付け加えておきます。


