受験の「公平」を問う
現役生と浪人生、それぞれの「不公平感」
「浪人生は1年余分に勉強できるから不公平だ」
現役高校生から、こんな声が聞こえることがある。高校3年生は学校に通い、学校の行事などにも時間がとられる。クラブ活動を夏まで行うことも多い。クラブ活動や学校行事に打ち込みながら受験勉強を両立させる現役生にとって、受験に専念できる浪人生の環境はに不公平感をかき立てる。
一方で、現役生の課外活動をもっと評価すべきという意見も根強い。リーダーシップ、協調性、継続力―これらは受験勉強だけでは測れない人間的成長の証であり、大学が求める「多様な学生像」に合致する要素だ。では、課外活動に注力せず受験勉強だけに集中する浪人生には「マイナス評価」が必要なのか?この問いはより複雑だ。
社会から閉ざされている学習塾という存在。浪人生専門の塾。医学部を目指す人の為の塾。勉強以外はしない、させない。これは学校とは異なる。その前後の社会的な活動から切り離された環境。その中で3月から1月まで過ごすことは異常とも言える。
「点数」の公平性と多元的評価
現在でもまだ多くの入学試験は、特定の日の筆記試験の点数という単一基準で合否が決まる。一見すると誰にも同じ条件が与えられる「公平」なシステムに見える。しかし、この「公平」は真の公平と言えるだろうか?
家庭環境や経済格差、地域による教育資源の違い、そして「現役」か「浪人」かという時間的資源の差。これらの要素を無視した「同一試験・同一基準」は、むしろ格差を固定化する可能性すら孕んでいる。
「公平」とは何か?
「受験の公平性」を議論する時、私たちはそもそも「公平とは何か」という哲学的な問いに立ち返らなければならない。
機会の公平(同じスタートラインに立つこと)
プロセスの公平(同じ条件で競争すること)
結果の公平(各人の状況に応じた配慮)
現役生と浪人生の不公平感は、この複数の「公平」概念が交錯する地点で生じている。画一的な点数評価は「プロセスの公平」を追求しているように見えて、異なる背景を持つ受験生の「機会の公平」を損なっているかもしれない。
多面的評価の可能性と課題
近年、総合型選抜(旧AO入試)や学校推薦型選抜など、学力試験以外の要素も評価に取り入れる入試方式が拡大している。課外活動の実績、志望動機、将来のビジョンなど、多面的な評価は「多様な公平性」を実現する一歩となり得る。
しかしここにも新たな課題がある。評価基準の透明性、経済的・文化的背景による活動機会の格差、審査側の主観が入り込む余地。多元的評価は単に制度を変えるだけでは不十分で、評価の質とアクセスの平等性をいかに担保するかが問われる。
求められる対話とバランス
現役生と浪人生。現役生から発せられる「不公平感」は正当な訴えだ。そこで考えられるのは面接による人物査定を取り入れること。一般入試の場合、試験の得点とは別に面接(書類審査)に2割程度の配分を与えることが議論になることもある。「公平」なはずの入試制度は、浪人という社会から切り離された数年をどうやって適切に評価できるかが問題となる。
現役生の課外活動も、浪人生の集中学習だけの期間も、それらが個人の成長にどう貢献したか、そしてそれは将来のために役立つのかを測る必要があり、より成熟した評価観が求められている。浪人生にもボランティア活動は可能であり、課外活動も可能である。それを書類上で求めることは、今後必要になってくるかもしれない。