医学部の研究重視は「医師不足」を加速させる? 

 

未来の医療を揺るがす教育ジレンマ

日本の医学部の約80%で、学生が卒業前に何らかの研究経験を積んでいる。その割合は国立大学で特に高い。

医学部、特に国立大学では、学生の早い段階から臨床研究に携わらせる動きが強まっています。

 

そもそも、入試において「研究ができる人材」を獲得する方向性に変化しています。

 

この傾向は、研究実績が補助金獲得や大学の国際的評価に直結する現代の競争環境と無関係ではありません。しかし、学生が研究の道へ傾倒し、臨床現場(患者を診る医師)を志す医師が相対的に減れば、地域医療の未来に暗い影を落とす可能性があります。

 

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大学経営と研究:切っても切れない「補助金」の現実

 

医学部が学生に研究を促す背景には、明確な経済的インセンティブがあります。研究実績は、国からの科学研究費補助金(科研費)など、多額の競争的資金を獲得するための重要な評価指標です。

優れた研究成果を上げ、論文を発表することは、単に学術的な名声だけでなく、大学運営の財政的基盤を強化することにつながります。さらに、画期的な発見が特許取得や事業化に至れば、大学にとって新たな収益源となる可能性もあります。

こうした流れは、「研究力」が大学の存続と評価を左右する時代の必然的な帰結と言えるかもしれません。しかし、この論理が教育の現場に強く反映されるとき、学生の進路選択にも少なからぬ影響を与えています。

医学生の進路:研究志向の高まりと臨床現場への影響


多くの優れた学生が、こうした環境の中で研究の面白さや奥深さに触れ、研究者としてのキャリアに関心を持つようになります。臨床研究医コースを設けるプログラムも存在し、学生の研究志向を後押しする仕組みが整備されつつあります。

これは、医学の進歩に寄与する人材を育てるという点で、本来は喜ばしいことです。しかし、ここに一つの懸念が生じます。「医師免許を持った研究者」が増える一方で、「患者の前に立つ臨床医」の絶対数が頭打ち、あるいは減少する可能性です。

 

 

医師免許は取得しても、その後のキャリアは多様化しています。製薬企業の臨床開発部門で活躍する「臨床開発医師」のように、研究能力と医学知識を生かす道も広がっています。これらは社会にとって重要な役割ですが、地域の病院やクリニックで診療に当たる医師の数には直接つながりません。

データが示す矛盾:「医師過剰」予測と「医師不足」の現場


この問題は、国の推計データからも複雑さが浮かび上がります。一見すると矛盾する二つの現実が同時に進行しているのです。

全国的な「医師過剰」の懸念:国の将来推計によれば、現在の医学部定員を維持した場合、2029年頃から医師が「過剰」になる可能性が指摘されています。医師の生活基盤が不安定になり、必要以上の医療需要を生み出して医療費を押し上げるリスクが懸念材料です。

地域・診療科による「医師不足」の深刻化:一方で、特に地方や特定の診療科(産科、小児科、外科など)では、医師が圧倒的に不足しています。この「医師偏在」は、長年の課題であり、対策が急務とされています。

 

 

つまり、「医師の数」そのものの問題以上に、「どこに、どのような医師が配置されているか」という構造的な偏りの問題がより深刻なのです。

未来への問い:研究と臨床、バランスの取れた教育とは


学生を研究に向かわせる動きが、「臨床を志す医師」の減少に拍車をかけるのではないか。この問いかけは、医学教育の根本的な目的を考えるきっかけとなります。

    研究重視のメリット  ⇒  研究重視による懸念点


医学の進歩と新治療法の開発 臨床現場(特に地域・過酷科)を志す学生が相対的に減少


大学の国際的評価・ランキング向上 医師免許を持つ研究者は増えても「診療する医師」は不足


競争的資金(補助金)の獲得 医師のキャリア選択が「研究か臨床か」の掛け持ちではない明確な二極化を促す


学生の科学的思考  地域医療の脆弱化により、国民の医療アクセスに格差が生じる


研究を通じて養われる科学的思考力や課題解決能力は、優れた臨床医にとっても不可欠な資質です。問題は、研究そのものではなく、教育とキャリア形成のシステム全体が、結果として臨床現場から人材を遠ざけていないかという点にあります。

解決への糸口:多様な価値観と包括的な政策
 

未来の医療を持続可能なものにするには、抜本的な視点転換が必要かもしれません。

臨床現場の魅力と価値の再定義:地域で患者と向き合う臨床医の仕事の専門性、社会的意義、そして働き方の魅力を、学生時代から明確に伝える必要があります。単なる「労働」ではなく、研究と同じくらい知的で挑戦的な「専門職」としての魅力を打ち出すことです。

 

 

「研究医」と「臨床医」の間の多様なキャリアパスの確立:両方の要素を兼ね備えた「臨床研究者」や、地域に根差しながら特定分野のエキスパートとして研究も行う医師など、より柔軟なキャリアモデルを社会が認め、支援する仕組みが求められます。

包括的な医師偏在対策との連動:学生の進路選択に影響を与えるのは教育環境だけではありません。既に2026年度から本格化する医師偏在対策では、医師少数区域での勤務経験を管理職の要件に加えるなど、政策的なインセンティブが強化されています。こうした臨床現場への配置を促す政策と、教育現場のバランスが鍵となります。

医学生が研究室の顕微鏡を覗くその先に、地域の診療所で待つ患者の顔を見据えることができるか。大学の国際ランキングの数字と、地方の病院の空洞化という現実を、天秤にかける時代が来ている。

研究が医療を前進させるエンジンであることは間違いない。だが、そのエンジンを駆動させる燃料は、結局のところ、現場で患者を診る医師の不断の観察と疑問であることを、私たちは忘れてはならない。

 

ちなみに、現在の国立大医学科において、女子学生は地方都市での臨床を目指す傾向が強まっています。過疎地は人気ないですが、地方中堅都市の人気があります。男子学生はそうではありません。