SSHの「しょぼい研究」は無意味? 高校生の探究学習が本当に目指すもの
 

「探究心こそが、未来の革新を生む原動力なのか」

高校の研究は大学レベルではない? それでいいのではないか
 

「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の生徒の研究内容がしょぼい」「大学レベルではない」という意見を耳にすることがあります。確かに、大学の研究プロジェクトに参加する場合と比べれば、高校生の研究のレベルは高くないかもしれません。

しかし、どれだけの大学生が自分で何かを考え、ゼロから研究を始められるでしょうか?「全くないところからの出発」 ーーこれはどの教育段階においても最も困難な挑戦です。

SSH校では、科学研究を通じて探究心と論理的思考力を育むことに主眼が置かれています。例えば、スーパーサイエンスハイスクールに指定されている札幌の学校では、科学研究の基礎を学び、実践する教育が行われています。

 

 

 


論文執筆の現実 高校と大学のギャップ

論文のイロハを知らない大学1年生が、卒業までにしっかりとした論文を書けるようになるのはどのくらいの割合でしょうか? 多くの大学、多くの学部において、現実には卒業論文の質は決して高くない場合も多いのです。

この点で、高校や中学時代から探究学習として研究をし、まとめる練習をすることには大きな意義があります。例えばある学校ではSGH(スーパーグローバルハイスクール)やWWL(ワールドワイドラーニング)コンソーシアムの拠点校として、探究学習をカリキュラムに組み込み、研究成果を英語でプレゼンテーションする機会を設けています。

多様なレベルの生徒への対応 教育の本質
 

SSHの研究内容は、確かに優れたものもあれば、何を研究してよいかわからず、雛形や実例とほぼ同じ内容で終わる生徒もいます。

しかし、優れた教育機関では、下のレベルに合わせるのではなく、上位の生徒には学校や大学がサポートを提供しています。その考えをもとに、2025年度から高校に国際教養コースを新設し、生徒のニーズや意欲に応えるカリキュラムを構築する学校もあります。

 

 

受動的学習から能動的探究へ 大学入試も変化中

「研究することは無駄だから、詰め込み勉強して大学入試対策をすべき」という意見は確かに存在します。

しかし、それでは不十分だからこそ、大学が総合型選抜を多く取り入れ、文化的な課外活動や研究実績などを考慮し始めているのです。

変化の悪いところだけを見て「変化をしない方が良い」という考え方は、従来の教育を硬直化させてきた大きな理由の一つと言えるでしょう。

研究と探究が高校教育のキーワードに
 

今後は調整こそ必要ですが、「研究すること」 つまり授業を受け身で聞くだけではない能動的学びが、中高、特に高校教育のキーワードになっていきます。

SSHに指定されている学校では、大学と連携した研究プログラムを提供している場合もあります。また、国際バカロレア(IB)認定校では、探究型の学習が教育の中心に置かれています。

 

 


もちろんSSH指定にも問題があり、その煩雑な報告手順など、教師の負担になるばかりで効率もわるく、学校側が認定取り消しをもとめることも多くあります。未だにファックスを利用する学校教育現場において、いろいろと時代にそった改善は必要です。

SSHにおいて、生徒が将来大学で研究を行うかどうかは重要ではありません。重要なのは、探究心を育み、自ら問いを立て、解決策を模索するプロセスを通じて、社会が求める思考力と主体性を身につけることです。また、それらを表現し、意見をもって発表し、それをベースに議論ができること。今の高校生で自然と議論ができる生徒はごくごく一部です。

変化の時代における教育の役割は、知識の伝達ではなく、自ら学び、考え、行動する力を育てることにあるのではないでしょうか。

教科書などの範囲を指定して、それを覚え、その中から応用問題までを解くだけの学生には到達できないところがあることを知らせるのが探究なのかもしれませんね。