国際バカロレアにおける、アート教育のすごさ

 

日本の江戸時代

その江戸時代の画家 長沢芦雪

その席画と言われる「蹲る虎」

 

席画というのは、宴会芸、またはその場で行う余興。もしくは、パトロンが画家に銘じてその実力を示すための宣伝行為、またはパトロンとしての自慢。

 

美術の番組で、芦雪はその席画を描く時におそらく「顔から描いて、獣毛の線を加えた」たとのコメント。手間から描く手法だとの意見と思われる。

 

国際バカロレアでアートを専攻している生徒の考えは違いました。

「おそらく、その場で何を描くかの驚きを演出するために、体の線から描いただろう。山並みに見せつつ、それでは多少おかしな絵だと感じさせながら、一気に最後の顔を描いて迫力をだし驚かせた。上から下へと描いたと思う。」

 

詳細に線を見ていけば、どちらが上か、つまり後から引いた線かが分かるので、もしかしたら学芸員の説明はただしいだろう。

 

 

 

 

しかし、アート専攻の生徒が考えたのは、その画力からくる迫力だけではなく、即効性の意味や、驚きの演出、一風変わった背中の表現など、細部に注目して、小説を読み解くような解説。

 

もし、虎を描くことを命じられていたら?

「虎を描く必要があるのに、虎に見えない背中を描くことで、多少の驚きが起こったはず。つまり、絵師が反発しているかのようで最後は指示にしたがうこと。そのぎりぎりの行為がその場にいた人達のひやひや感をだし、その場の雰囲気すら演出することに成功したと思う。だからこの絵が残っている。」

 

国際バカロレアで勉強し、IBDPまで進むと、日本語で文学に取り組んだ場合、小説の読み方が変わります。

 

小説の奥深くまで読み解く癖がつき、たとえ普通の小説であれ、そこに意味を見出し、好き嫌いを別としても名作かのような解説ができるようになってしまいます。

 

 

アートを選択した場合は、アートに対してこのような自分の考察を入れて解釈することができます。

芸術を芸術として見る方法です。

もちろん、好きではないとはっきり言えたり、これは芸術としては未熟であるという判断すらできるほどの感性が磨かれます。

 

美術館に行くと、作品の横にその説明が書いてあることがあります。

その説明と作品をみくらべ、「これは表現できていない」と言えるのです。