先日、小学校の同窓会がありました。懐かしく、楽しい時間を過ごしました。同級生の話を聞いていると、自分自身のことを考える機会になりました。
私は昨年、一般社団法人の会長を退任し、相談役に就任しました。それに合わせて、勤めていた会社も退職しました。ここが良い「引き際」だと思ったからです。
今、パリオリンピックが開催中ですが、超一流のスポーツ選手ならば「引き際の美学」が話題になります。結果次第で自らの意思とは裏腹に現役生活の終止符が打たれます。プロスポーツの世界では特に厳しいところです。普通の人も、誰しもが衰えていきます。
「自分は元気だ」と思って振る舞い、周囲に迷惑をかけている人がいます。本人はそれに気づかず、「まだまだ」といった姿勢で今の地位にしがみつく、古くさい感覚のご老体も少なくありません。
私は、そうした振る舞いの無粋さを重々承知しているつもりです。また、私自身も振り返ると引き際を間違えたのではないか? と自問するようになりました。
私は前職を62歳で定年退職し、次の会社に所属して一般社団法人の会長を10年ほど務めました。私が会長になったのは、理想とする建設生産方式である「価格開示方式」の理論の正しさを証明するためです。そうであれば、もっと早く私の使命が終わっていたのではないか? という自問です。
誰でも第一線で陣頭指揮を執る立場から退く際には、少なからず軋轢が生じ、さまざまな葛藤を抱えるようです。元気のいい老人には、「年齢にふさわしい」という言葉が当てはまらない時代になりつつあります。
しかし、ずいぶん残酷な風習に思えますが、現在では会社の定年退職ともいうべき「姥捨て」が行われています。私は自身の定年退職当時を思うと、若い人が当然の掟として見ている光景がそれほどショッキングなことではなかったような気がします。それこそ、従容として棄てられていった定年退職者として会社を去っていきました。
老いた者には、老いた者としての立ち回り方があり、引き際があります。そうした「よりよく老いていくための作法を磨く」ような意識も、残りの人生を真剣に考えるからこそ生まれてくるものなのかもしれません。
それでも、私は若々しい考え方をもって、進退を貫き、今後来るであろう老成の境地に至りたいと思います。