私が幼稚園に入園していたか、その前だったかは定かではありませんが、気分の良くない記憶が断片的に残っています。

 子供のころの後悔で引っ込み思案な子になってしまったのかもしれません。

 

 私の子供のころの1950年代後半は、近所にまだ田んぼが多く、ため池が点在していました。そのため池で、オタマジャクシやザリガニなどと遊んだものです。子供たちの遊び場になっていました。

 

 いつも、近所の同い年の男の子と遊んでいました。その子の名前は覚えていませんが、坊主頭で私より一回り大きかったのを覚えています。

 仮に、彼のことを「Aちゃん」としましょう。

 ある時、私はAちゃんに「池の舟に乗ろう!」と誘いました。Aちゃんと二人で池の舟に乗って遊んでいました。大胆なAちゃんは、櫂を掴んで舟を漕ごうとしました。

 しかし、バランスを崩して、Aちゃんは池に落ちてしまいました。

 私は、「誰か呼んで来る!」と叫んで、舟を降り、走って助けを呼びに行きました。ここまでは、私の記憶にあります。

 

 近くのおじさんが池に飛び込んでAちゃんを助けてくれました。このあたりから、記憶が曖昧です。救急車を呼んだのか、警察が来たのか、全く覚えていません。

 

 その後の記憶が長く子供の私を苦しめました。

 記憶は、警察から表彰状をもらう場面から始まります。

 助けてくれたおじさんと幼い私が表彰状をもらいました。

 両親は、喜んでしばらくの間、親戚に自慢していたようです。

 それを聞くたびに嫌な気分になりました。池で遊ぼうと誘ったのは私です。


 近所のお兄さんが「お前が誘って舟に乗ったくせに!」と私を責めました。

 Aちゃんとその後、一緒に遊んだ記憶はありません。

 

 この記憶は、今はまだら模様というか、断片的にしか残っていません。

「自分が悪いことをした」のに、「表彰された」ことに嫌悪感が幼い自分を責めるのです。

 賞賛と後悔、後悔が勝っていました。

 賞賛が勝っていたら、その後の人生が違ったかもしれません。

 後悔は、小学校の低学年まで引きずりました。

 私が小学校時代に引っ込み思案な子だったのは、後悔が一つの原因だったかもしれません。