私が大学を卒業して50年、社会人1年生の思い出を書いています。
第1話に続き、研究所での体験を書いていきます。
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私が配属された研究所には、3人の次長がいて、それぞれが異なるプロジェクトを担当していました。
私は、藤井次長の下で働くことになりました。
藤井次長のプロジェクトは、ユニットハウスの開発、ED工法(ツーバイフォー工法の大臣認定)、販売済みの木質系プレハブの改良でした。
他の2人の次長は、鉄骨系プレハブ住宅の開発改良を主に行っていました。
ユニットハウスについては、栃木県小山市に製造ラインが完成間近でした。
私の最初の仕事は、ユニットハウスとはどのようなものか知るために各詳細図面を見ることでした。
鉄骨の柱と梁で箱型のユニットを作り、外壁や内壁、屋根部材を取り付けます。
ユニットの大きさは、幅2.4m、長さ4.8m、高さ2.7mで、このユニットを組み合わせて住宅を形成するというものです。
私は、先輩たちが開発した構造図を詳細に頭に入れました。
柱と梁と壁の位置、取り付け方、鉄骨のボルト穴位置などです。
ある日、試作住宅の鉄骨を発注している住友金属に検査に同行しました。鉄骨検査の仕方も分からなかったので、先輩の検査方法を見ていました。
先輩も私よりも2〜3上の年齢ですから、今から思えば若僧です。
詳細図を暗記していた私は、梁のボルト位置が間違っていることに気が付きました。
この位置では、外壁位置が鉄骨よりも内側になってしまいます。
どうやら、制作図の承認が済んでいたようで、住友金属は製作図通り作成していました。
「梁のボルト位置が違います」と私が指摘すると、先輩は「新人が余計なことを言うな」と私を叱りました。
私は、図面を出してボルト位置の問題点を説明しました。
検査後、研究所に帰ったときには先輩は申し訳なさそうにしていました。
私は、外壁側のボルト位置を変更すれば良いと提案しましたが、藤井次長は「ここで妥協すると今後に影響する」ということで鉄骨の再制作を指示しました。
私は、藤井次長の厳しさが頼もしく感じ、好感を持ちました。私よりも10歳年上で、そのころは、雲の上の人の感がありましたが、今から思えば若いのにしっかりした人でした。
しかし、藤井次長は研究所の他のグループから嫌われていたようです。
同期の者は、上司が
「藤井次長でなくてよかった」
と言っていました。