なんで疲れてるのにわざわざお酒飲んでから帰るんだろう、家遠いから直帰したいのになあと思いながらもそうゆう業界だから仕方ないか。ひとまずは皆んなに付いて行ってあげるか。

と偉そうに思いつつ行ったらなんだかんだ楽しんでいる自分に葛藤する時代があった。

勿論やっぱ行かなきゃ良かったと思う時も中々にある。

二人とか三人とかでご飯に行くのは全てが丁度良いとその時から思っていた私。大人数でご飯に行くのはただ疲れに行ってる様なものだ!と分かっているのに向かってしまう(今はもうそんな選択肢すら無いのが救い)

だから当時は本気で悩んだ、何で向かってしまうんだ、何で断れないんだ、本音は早く家帰って自分がしたい事を思う存分したいのに(する事と言えば明日の準備くらい)何故だ!と歯を食いしばりながら電車の帰り道Googleで「疲れてるのに何でお酒飲む」と調べた位だ、何でこんなに仕事終わりお酒飲みたがる人が多いんだ?と

因みに私の求めていた答えはそこには全く無かった。

な、何故だ。同じ事考えてる人がこの広い世の中で沢山いるはずだろと思いながら違うワードを混ぜつつ色々検索していく内に自分の考えを導き出した。

「皆んな寂しいんだ。」

そう思ったら何故か物凄く納得した。皆んな寂しさから逃れたかったのか、寂しく無い振りをして皆んなと盛り上がって楽しんで寂しさを忘れたいんだ。

そこだったのか、その違いが本気で楽しめるか楽しめないかの違いを生んでいるのか、

むしろ私は大人数でご飯を食べてる時楽しんで貰うのに必死で結果寂しくなるし、一人で帰っても寂しくは無かった。


何も変わってないはずなのに自分の気持ちをそうかもしれないと決めただけで何故か楽になったし、偶に来る全員参加のご飯や打ち上げを気張らずに少しずつサラッと楽しめる様になって行った。

自分がこうゆうタイプなのかもなあと決めた事によってそれが逆に良い方向に行った事例だと思う。

そう思うと血液型占いだったり、しいたけ占いだったりそうゆう占いが無くならない理由もなるほどと寛容になった気がする。


 決めつけ過ぎないでどっちつかずで良いのかもしれない。その時その時で考え方も変わるし悩んで答えが出る時もあれば何も変わらない事もある。後から考えると全部が絶妙なバランス関係でここまで来たんだなと思えてしまう、あの時はあの時だったなあ


今?今は私の周りから食事会が絶滅して2年は経つ頃。

流石に稽古場以外で聞ける自分の考えとは違う考えだったり知らない言葉、知識を欲し始めたかもしれない。そんな機会が少しずつ増えてまたまた自分のバランスが変わって行くんだろうな。

その時その時また考えよう。少しずつ