宇都宮公園爆発・元自衛官自殺のニュースを見て、

自ら命を絶つことについて記事を書けという指令がきたので書かせて頂きます。

自ら命を絶つことを自殺と言います。

それは当然と思われたことでしょう(笑)

ですが、自らを殺すと書いて自殺ですね。

自殺について書く前にまず、私たちの肉体のことを少し考えてみましょう。

肉体、私たちの体は一体誰のものでしょう?

自分の体は自分のものだと皆さん、思っておられるでしょう。

魂を本体とするなら肉体は魂を好きな所へ運ぶ乗り物と思ってよいでしょう。

本体の意思を自由に反映させ動かすことのできる肉体は非常に重要です。

肉体が無くなる、機能しなくなることは死を意味します。

では、この肉体は自分だけのものでしょうか?

肉体は他人のものではありませんね。

しかし、自分だけのものでもないようです。

肉体は魂の乗り物と言いましたが、この体はあくまでも借り物なのです。

この私という肉体=借り物の体を私達は自分のものだからと

無理に酷使している時があるのではないでしょうか?

体に鞭打って無理をすること。

体に悪いものを取り込むこと。

体を傷付けること。

他にもいろいろとあると思います。

それは私たちの体が自分自身だけのものだと思っているからです。

しかし、この肉体は神様からの借り物であり、

死を受け入れるまでは大事に使わせてもらわなければなりません。

人間の寿命は現代の日本では平均80歳くらいです。

しかし、神様は私たちの寿命を実は150歳程に設定して人間を作られました。

それが、どうでしょう。

100歳以上生きる方もおられますが、150歳まで生きる人はまずいないでしょう。

本来は150歳くらいまで生きられるプログラムが体に刻まれているはずなのに、

私達はそんなに長くは生きられません。

それは神様がプログラミングした設定とは違う肉体の使い方をしているからなのです。

ですが、最初の人間から現代の私達に至るまでには最初にプログラミングした設定は

とうの昔にかなり薄れてしまったのです。

それは食べ物や生活習慣、薬や環境などが要因であるようです。

自殺の話からかなり話が逸れてしまいましたが、

肉体は自分のものであって自分だけのものではないということがお分かり頂けたかと思います。

次は自殺について本題に入りたいと思いますが、

長くなったので次の記事で書かせて頂こうと思います。