三井環(みついたまき)氏が語る 検察・裏金の真相 ③/4




・・・・・・・続き


次に、いわゆる「検察の裏金作り」のお話です。

 

私は高知地検次席検事3年、それから高松地検次席検事3年、通算6年間それを実際に経験しました。


もうどっぷりと裏金には浸かってきました。


検察庁には「調査活動費」の予算があるんです。


調査活動費というのは、情報提供者に対して謝礼を払うことを本来の目的として設けられた予算なんです。


公安労働事件に関する情報提供に対する謝礼、それが出発点だったようです。


そういうお金が裏金として使われるようになったのがいつ頃からなのか、私には分かりません。


誰がこういう仕組みを考えたのかも分かりません。


少なくとも、私が任官した昭和47(1972)年当時、裏金作りはなされていました。


どういうかたちでやるのかと言いますと、まず、架空の情報提供者を3、4人でっち上げるんです。


例えばAという情報提供者を作ります。


架空ですから実名ではありません。


住所についても、もちろん実際にはそこにはいません。


そして、その架空の人間に対して、原則5万円を謝礼として支払うんです。


例えば、ある右翼団体がいつ街宣するという情報をもらったという名目をでっち上げて5万円渡すことにする、そして、本来はその人から領収書をもらわなければいけないわけですが、架空の人物ですからもらえません。


領収書は、その架空の人物の名義で検察事務官が作成します。


そうやって5万円の現金を浮かせるんです。



中小の地検であれば調査活動費の年間予算は400万円です。


大阪地検であれば年間2000万円、東京地検では年間3000万円、そして、中小の地検で考えてみますと、1件5万円とすると年間80通の領収書を作らなければならないんです。


それは事務官が全部作るんです、領収書だけではありません。



Aという架空の人物に支出するという「伺(うかが)い書」、「この人に支出してもいいですか」という書類があるんですが、それも作らなければなりません。


一生懸命80通作るんです、だから事務官から「検事正が使う金のために何でこんなことをしなければならないのか」と文句が出るんです。



そして、そういう風にして金が浮き、浮いた金はどこに保管するのかと言いますと、それは事務局長の部屋です。


これは個室なんですけれど、そこの金庫に保管します。常時30~40万円くらい保管していますが足りなくなったらまた架空の伺い書・領収書を作って金を浮かします、それでまた保管する。



そうやって浮かした裏金を一体何に使うかと言いますと、一つは接待です。


最高検、高検、法務省などから高官が来た時の接待費です。


そして、検事正自らのゴルフ代、それはここから全部出ます。


マージャンをする人はマージャン代がここから全部出ます。


ある検事正がマージャンで10万円使ったとします、その時、帳簿(裏帳簿)はどうなるのかと言うと「10万円検事正渡し」となり、検事正に渡すから領収書は取らないんです。


これは、検事正しか使えない一身専属的な(その人のみに属している)金なんです。


次席など他の人間は使えませんし私は通算6年間次席をやりましたが、次席は使えませんでした。


次席は職員が亡くなったり結婚したりする場合は、自費でお金を包みます。


検事正はその裏金から包みます。部下を連れて飲みに行く場合でも、次席は自費で出しますが、検事正は裏金から出ますので、検事正は給料以外に約30万円くらいの副収入があるんです。昼も晩もそれで払うから自分のお金はいりません。



だから、はっきり言ってしまうと調査活動費というのは、検事正が自由に使えるお金なんです。


高検であれば、検事長の一身専属。高検でも次席は使えません。最高検では検事総長の一身専属。法務省であれば事務次官、官房長、刑事局長が使えるんです。これは一身専属です。


そういうかたちで、1円も「表の金」として使われていないんです。


平成10(1998)年当時の調査活動費の年間予算は約6億円ありました。


全部裏に回っている。そういうウソの領収書を作って金を浮かし、全部裏金として保管し、それが接待費用や自らの遊興(ゆうきょう)費用等に使われている。これが裏金問題なんです。


北海道警察の裏金問題も新聞等で報道されていますけれども、大体似通っています。警察は「捜査費」ですね。


そして、この裏金問題というのは、検察庁内部におれば公然の事実なんです。


裏金のウソの領収書を作るのは公安事務官か総務課なんです。


そこを経験した人なら全部知っています。


そして、検事正・次席検事経験者、事務局長経験者は全て知っております。

 

これが、検察の裏金問題です。

 

そして、私が内部告発をしようとした動機と言いますのは、最初は人事上の私憤(しふん:個人的な事柄でのいきどおり)なんです。


しかし、ある時期を境にして義憤(ぎふん:道義にはずれたこと、不公正なことに対するいきどおり)に変わります。



まず、その経過をお話します。


平成12(2000)年の6月頃でありましたが、高松市で四国タイムズという新聞を発行している川上道太社長という人がいるんですが、その人に裏金問題を話したんです。


彼は義憤にかられる人間なんです。そしたら、川上氏は「三井さん、あなたは裏で私を指示して下さい。私は表で動きます」と言ってくれました。


そこから始まったんです。そして、最初は平成12年の9月頃、朝日新聞の論説委員の村山さんのところに持ち込んだんです。東京のホテルで会いました。



少し話がそれますが、村山さんというのは、いわゆる則定(のりさだ)問題(元東京高検検事長・則定衛氏の愛人疑惑)を報道した人です。


この問題は最初、月刊誌「噂の真相」の西岡研介氏が情報収集して、「噂の真相」に載せたんです。


「噂の真相」だけであれば、則定衛という当時の東京高検検事長は辞めることはなかった。


その後、朝日新聞がトップで報道し、則定氏は3日で辞めました。


なぜ辞めたかと言いますと、当時、法務委員会に(則定氏が)出て追及され、そして銀座のバーで飲んでいることが分かった。


飲んだ金は裏金から出てるんです。だから辞めたんです。


女性問題だけであれば、検察も助かるんです、法務委員会で追及されて裏金問題にまで発展したら大変です。


つまり、則定問題というのは打算の産物なんです。


女性問題だけで終わることによって、彼も助かりました。懲戒免職にならなかったんです。


一方の検察も助かったんです。裏金問題にまで発展しなかったからです。


このとき、内部では「これは行くかも知れない」「裏金がやられるかも知れない」というような雰囲気だったんで、それで3日で辞めた。


このように、裏金問題の最初の危機は則定問題だったんです。


3日で辞めることによって、裏金問題まで発展せずに済んだんです。


この則定問題のときは、まだ私は別に裏金問題をやろうとは考えていませんでした。



 引き続き④をご覧ください。