今日は、昭和天皇の悪説がネットで飛び交う中、マッカーサー元帥との間で交わされた会話の一部をご紹介したい。
さて、現在日本に餓死者は殆どと言ってよいほどいない。
しかし、戦後の日本の第一課題は食糧問題であった。
今でこそ副食物があるからどうにか食いつなげる。
しかし、終戦後の日本は主食の米が絶対的に不足していた。
昭和20年度産米は、天候の不順に加えて空爆による生産障害のため前年比30%の減産であり、敗戦によって台湾、朝鮮、満州からの供給も一切途絶えた。
ほとんど米しか食べられなかった当時は、一人あたり1000キロカロリーを切ることになり、最近の北朝鮮以下の水準であった。
国民は迫りくる飢餓の恐怖におののいていたのだ。
この解決には、昭和天皇のご英断が大きかった事が窺われる。
当時、幣原内閣の農相であった松村謙三が回顧録でこう語っている。
昭和20年12月、宮中からお召しがあり、天皇陛下からお言葉を賜った。
「戦争で苦しんだ国民に、さらに餓死者を出すことは堪え難い。皇室の御物(ぎょぶつ)の中には国際的価値のあるものもあると聞く。その目録を作製させてあるから、米国と話してこれを食糧に代えたい」とのお言葉であった。(昭和天皇のお言葉)
それを携え、幣原首相がマッカーサーに面会し、その旨を伝えると、他国で例を見ない王の言葉に彼は「自分としても米国としてもその面目にかけても御物を取り上げることはできない。断じて国民に餓死者を出すことはさせないから、ご安心されるよう申し上げて下さい」と答えたと言う。
普通ならば、敗戦国日本は懲罰的な飢餓を強いられても不思議でない状況だった。
約束通りGHQは、6月、7月にかけて20万トン、そして8月、9月にも、それぞれ20万トンの輸入食糧を放出し、日本は最悪の時期を乗り切った。
しかしその裏には、21年5月1日のメーデー以降、共産主義の扇動による「米よこせ」運動が激化し、19日には、皇居内まで押し入る暴動が起きたことがある。
マッカーサーは「自分が最高司令官であるかぎり、日本国民は一人も餓死させない」と約束した。
共産工作を封殺しアメリカ流民主主義を植え付けるためのとはいえ、天皇陛下のお言葉に突き動かされた結果であった。
戦後、マッカーサー回想記の一部分を取り上げて紹介されている。
それは「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。欧米常識では計り切れない奥深いものを感じたのだ」というもの。
ここで追記したい事項がある。
昭和天皇の御心を伝える記事として、「私の命と引き換えに国民を救ってほしい」とマッカーサーに告げた。というものをよく見かけるが、これは少し違っている。
マッカーサーとの対面の際、天皇陛下のお言葉は次の通りである。
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」である。
これを聞いたマッカーサーがなぜ感動したのか?
様々な情報を集めていた彼は、この戦争がアメリカを含め様々な列強国の干渉や策謀のなかで行われていた事を全て知っていた。
しかし、明らかに天皇に帰すべきではない責任をも一身に引き受けようとする、潔く勇気に満ちた態度に対し、畏敬の念を持ち、感動したのである。
このことと、先に記した飢餓回避のお言葉が合わさって、「私の命と引き換えに国民を救ってほしい」という話になったと思っている。
いずれにせよ、マッカーサーをして「最上の紳士である事を感じ取った」と言わしめたのである。
「改宗工作」など決して入れなかったのである。
また、ここへきて飛び交う、密約など決してないのである。
さて、現在日本に餓死者は殆どと言ってよいほどいない。
しかし、戦後の日本の第一課題は食糧問題であった。
今でこそ副食物があるからどうにか食いつなげる。
しかし、終戦後の日本は主食の米が絶対的に不足していた。
昭和20年度産米は、天候の不順に加えて空爆による生産障害のため前年比30%の減産であり、敗戦によって台湾、朝鮮、満州からの供給も一切途絶えた。
ほとんど米しか食べられなかった当時は、一人あたり1000キロカロリーを切ることになり、最近の北朝鮮以下の水準であった。
国民は迫りくる飢餓の恐怖におののいていたのだ。
この解決には、昭和天皇のご英断が大きかった事が窺われる。
当時、幣原内閣の農相であった松村謙三が回顧録でこう語っている。
昭和20年12月、宮中からお召しがあり、天皇陛下からお言葉を賜った。
「戦争で苦しんだ国民に、さらに餓死者を出すことは堪え難い。皇室の御物(ぎょぶつ)の中には国際的価値のあるものもあると聞く。その目録を作製させてあるから、米国と話してこれを食糧に代えたい」とのお言葉であった。(昭和天皇のお言葉)
それを携え、幣原首相がマッカーサーに面会し、その旨を伝えると、他国で例を見ない王の言葉に彼は「自分としても米国としてもその面目にかけても御物を取り上げることはできない。断じて国民に餓死者を出すことはさせないから、ご安心されるよう申し上げて下さい」と答えたと言う。
普通ならば、敗戦国日本は懲罰的な飢餓を強いられても不思議でない状況だった。
約束通りGHQは、6月、7月にかけて20万トン、そして8月、9月にも、それぞれ20万トンの輸入食糧を放出し、日本は最悪の時期を乗り切った。
しかしその裏には、21年5月1日のメーデー以降、共産主義の扇動による「米よこせ」運動が激化し、19日には、皇居内まで押し入る暴動が起きたことがある。
マッカーサーは「自分が最高司令官であるかぎり、日本国民は一人も餓死させない」と約束した。
共産工作を封殺しアメリカ流民主主義を植え付けるためのとはいえ、天皇陛下のお言葉に突き動かされた結果であった。
戦後、マッカーサー回想記の一部分を取り上げて紹介されている。
それは「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。欧米常識では計り切れない奥深いものを感じたのだ」というもの。
ここで追記したい事項がある。
昭和天皇の御心を伝える記事として、「私の命と引き換えに国民を救ってほしい」とマッカーサーに告げた。というものをよく見かけるが、これは少し違っている。
マッカーサーとの対面の際、天皇陛下のお言葉は次の通りである。
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」である。
これを聞いたマッカーサーがなぜ感動したのか?
様々な情報を集めていた彼は、この戦争がアメリカを含め様々な列強国の干渉や策謀のなかで行われていた事を全て知っていた。
しかし、明らかに天皇に帰すべきではない責任をも一身に引き受けようとする、潔く勇気に満ちた態度に対し、畏敬の念を持ち、感動したのである。
このことと、先に記した飢餓回避のお言葉が合わさって、「私の命と引き換えに国民を救ってほしい」という話になったと思っている。
いずれにせよ、マッカーサーをして「最上の紳士である事を感じ取った」と言わしめたのである。
「改宗工作」など決して入れなかったのである。
また、ここへきて飛び交う、密約など決してないのである。

