頭の中にあることを

どんどん書いていくうちに

自分に対する気づきが増えていきます。

 

でもそれって日記だけなのでは?と

思っていたのだけれど、

 

知識を共有する記事を書いていても、

知らない自分が見えてくるってことが

今日わかったんです。

 

知識を書く時、

読む人にとってわかりやすく書きたい

って思うので、

 

一人語りしている時とは違って

こんな言葉知ってたの?という言葉が

突然浮かんできたりして。

 

自分自身のことなのに

まだ知らない自分がいるのかと。

 

書いてる内容、ジャンルって

そこまで重要ではないみたい。

 

書くこと自体が

自分を知るツール

 

なんだと思いました。

 

書けば書くほど

自分の「個性」の輪郭が

ハッキリしていくのがわかります。

 

私はこういう人だ。

というのが頭ではなく

首より下の内臓が集まっているところで

ジワんと感じられるのです。

 

 

 

 

私は今、誰かが決めたであろう

常識やルールを無視して

自分が書きたいように書いています。

 

ラクに書けてない人、

きっと想像以上に多いと思う。

 

ノウハウだらけの世の中だから

受信する側にずっと居たら

こびりついて簡単には取れないんです。

 

いかに正反対のことができるか。

 

そういう強さを自分に身につけるには、

自分の中身を自由に書いて

自分の個性を確立させることが大事です。

毎日お風呂から出て

体温を少し下げてから

寝るようにしてる。

 

まさに今、体温を下げているところ。

 

いつもはノートにその日最後の

アウトプットをするけど、

これをブログにすればいいのよね。

 

でも寝る前はやっぱ目が痛いな。

日中画面見すぎたんだろう。

仕事上見ないわけにもいかないし。

 

アメブロってさ、

稼ぐ意欲が強い人が多くて

クラクラする。

 

すごいと思う反面、

疲れないのかなと思うし、

そんなに楽しくなさそう。

情熱的にやってないよねって思う。

 

価値を提供することが目的だから

どれも同じようなものばっかりで

これ見たことある、ってなる。

 

私もむかし頑張った時あった。

でもどうしても続かない。

途中で面白くなくなっちゃって。

 

ゾーンに入るくらい

没頭して書けないなら

これから先も続かない。

 

この、今、素で書いてる日記。

めっちゃいい。

 

めちゃくちゃ気持ちいい。

なんだこれ。

 

見せようとすると苦しくなるよ。

文体なんてどうでもいいんだよ。

 

素で書くとこんなに私っぽいんだね。

 

いや、毎日ノートに書いてるのが

こういう感じなんだわ。

 

こんな風に書いてる人いる?

 

かなりおすすめ。

これがアメブロの良さなんじゃないのかな。

 

私も鑑定を提供している場所では

さすがにそれに寄せて書いてるよ。

お客様がいるからね。

 

でもね、

それだけだと私の気持ちは

スッキリしないってことが

本当最近なんだけど分かって。

 

スッキリというのは

ストレス解消の意味ではなくて、

 

もっと自分自身を表現したい欲が出てくるんよ。

 

それは表に出るような派手さはなく

自分の中身の表現。

 

それがずっと出来てなくて

仕事が忙しいとか言って

もう何年も後回しにしてきた。

 

マーケティングを知ってからかな。

コンセプトだ、

世界観だ、

ブランディングだ、って

 

これが常識だから

そこからハミ出ると売れないよ

っていうのが当たり前の空気。

 

そんな中で

自分のただの想いを書く勇気なかったのさ。

 

けど、今はじめて

いつも喋ってる口調で書いてみて

楽しすぎることに気づいた。

 

キーボード上の指が動く動くw

 

私にはこれがぴったりだ。

しかも素直に書ける。

 

なんの淀みもない空間。

最高。

 

これ続けてみようか。

何が起こるかな。

 

公式ジャンルも悩み中。

そのうちいい所におさまるかな。

 

今日はこのくらいにしておこう。

 

やっぱり波がある。

 

体調が悪いということもないし、

至って普通なんだけれども、

 

頭の中が描いていることを

そのまま表現化するまでの距離が

長いか短いかの違い。

 

それが私にとっての波。

 

頭の中を外に出さなければ、

どうしてもモヤモヤする。

 

それは文章を書くだけでなく

canvaで素材を決めることなどもそう。

 

頭の中には「こんな感じ」って

ちゃんと理想はあるのに

それを形にできないことが苦痛だ。

 

というのは、

だいぶ前から分かっていて、

 

だから今年はどこかに必ず表現しよう

と誓って色々な場所に

表現する場を設けています。

 

今までが主に紙ベースだったので、

なんとかデジタルで、とも思っている。

 

すべての場所に同じことを書く

というスタイルは私には合わないので、

 

こっちには日記、

こっちには知識、

 

という感じで

その日の自分の感じに合わせて

動けるようにしてみてます。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

出来ないことを追わない

 

というのを心掛けています。

 

締め切りがあるものは別ですが、

締め切りに関しても

余裕を持たせているのです。

 

どうしても

出来るまで追い続けてしまうタチで。

 

出来ないことはいつかは出来る。

その時を待つようにしました。

 

 

一番に取り組むべきは、

 

毎日どこかにアウトプットする。

 

出していると必ず自分の奥から

湧いてくるものがあるというのが分かっているので、

 

どこかに出していく。

どこかに表現していくことに

力を注いでいきたい。

 

そして、導線がすごく大事。

自分がラクに書ける導線を作ると続けやすくなります。

私は会社で働くことができません。

 

と、これは

暗い話でも甘えたいわけでも

言い訳をしたいわけでもなく。

 

個人で開業してから6年間

ずっとその理由を探ってきたのですが、

 

はっきり言えることは

 

・自分の体のリズム

・思考するペース

・感覚的な行動

・作業に没頭する

 

これらを常に常に抑えていたことが、

他人が作った会社というシステムに

馴染めなかった原因だということです。

 

世の中にはまだまだ知らない会社もある。

 

確率は低いけれども

探せば合うところもあるのだろう。

 

開業してから売り上げが立つまでは、

何度か会社員に戻ることも考えました。

 

でも体が激しくNOサイン。

 

戻ると考えるだけで体と心の両方が

委縮し始めるのを毎回感じるんです。

 

 

 

 

 

 

自分にとっては、

 

・自分の体のリズム

・思考するペース

・感覚的な行動

・作業に没頭する

 

これが出来なければ

生きている意味がないとさえ思う。

 

それほど重要度が高いということを

一人で仕事をする時間が長くなるほどに

はっきりと理解できるようになりました。

 

少なくとも私が働いてきた会社では

「拘束」が多かったので、

たまたま自分の気質には適さなかった。

 

2度転職しましたが、

自由度が低いことはどこも変わらず。

 

自由がないなんて当たり前ですよね、

会社はルールありきですから。

 

 

それでも、会社をやめてしばらくは

会社員として会社で働く状態、

いわば「拘束されている」状態が

染み付いてしまっていたので、

 

開業という海に飛び込んだばかりの頃は、

自分で自分を拘束しちゃってました。

 

こういう時はこうしなければ、

これはこう対処するべきだ、

 

という概念が頭から離れなかった。

 

誰も見ていないのに(笑)

誰かに怒られるわけでもないのに。

 

本当、「監視されてる」という感覚で

会社員してたんだと思います。

 

そりゃ、委縮もしますよね。

 

でもこれは私がそういう気質だからです。

身内なんてもう何十年もサラリーマンですしね。

 

拘束時間というものが無理だという

自分の気質と社会とのバランスをとることは

今でも常に気にしながら毎日を過ごしています。

若かりし20代までは

とにかく”楽しければいい”の毎日で、

自分自身がどんな状態なのかと

ほぼ振り返ったことがなかったと思う。

 

体の痛みは鎮痛薬でごまかし、

寝不足でもハイテンションで乗り越え、

気持ちよりもノリで選んでいた。

 

でも、

 

30代に入った頃から

ごまかしがきかなくなっていった。

 

 

 

 

今までごまかしてきた

体の状態や心の声が

抑えきれないほど大きくなり、

 

「動きたくても動けない」

という日々が増えて行った。

 

自分を無視して動こうとすれば、

必ず動けない事象が発生するのだ。

 

それまでごまかしごまかしで

生きてきたツケが回ってきたように、

 

強制的に自分のことを考えさせられ、

自分自身のケアをするしかなかった。

 

周りで起こることも

とてつもなく波乱だらけだった。

 

それくらいキョウレツなことでないと

私は自分にベクトルを向けなかっただろう。

 

20代の終わりに先輩から聞いていた

「30代は楽しいよ♪」という話は

私には幻で終わって行った。

 

楽しいとは違ったけれど

長編映画が何本もできそうな密度はある。

 

濃いのが好きな私には合っていた

ということはさておき。

 

自分のことを後回しにすると

こんなに大変なんだよ、という

洗礼を受けたような30代。

 

 

 

 

死別、事故、借金、倒産、病気、移住etc...

(書くと字づらに迫力がある)

 

望まないことが毎年のように起こり、

この世の終わりかと思いながらも

生き抜くことができた。

 

どれも引きづることなく

今はピンピンしている。

 

昔の私も、間違いなく私なんだが、

40代半ばを迎える今の私はまるで別人だ。

 

一番の違いは「芯」を手に入れたこと。

 

体の中心に縦にスっと一本通った芯がある。

それを実感できるくらい

今は自分自身に意識を向けながら生きている。

 

大変な30代を生きた代わりに

手に入れることのできた武器。

 

経験によって鍛えられ

強くなったことは明らかだ。

 

私がやってきたことは

自分の状態を確認し続けること。

 

今の時代を生きる人々はとにかく

人にも情報にも振り回されてる。

 

ここまでテクノロジーが発達してくると、

ネットと現実社会との境界線がぼやけて

自分の居場所も見失いがちだ。

 

その中でどれだけ

自分に意識を向けることを優先できるか?

が今後ますます問われてくる。

 

 

 

 

もし今、意図しないことが

次々と起こっているなら、

それは自分自身を見つめる時なのだと思う。

 

本当にシヌ覚悟で自分のことを優先してほしい。

 

ケーキを食べて幸せ、

恋人に会えて嬉しい、

 

その感情、本能は、本物なのか?

 

本当にケーキを食べたかったのか?

本当にその恋人に会いたいのか?

 

当たり前にやっていることに対して

粘り強く問いかけて答えを出すことが

「自分を優先する」ということだ。

 

丁寧に1つずつ自分を優先していけば

自分の中の常識が変わっていく。

 

本来の自分に戻るまでの痛みなど

かすり傷レベル。

 

そうハッキリ言えるのは、

自分優先の先にある生き方は

楽で気持ちいいものであるからだ。

 

多くの人にとって

2026年が自分優先元年になることを祈る。

年齢的に食べ物への関心が高まり、

自分に合う食事を模索するようになりました。

 

でも最近、

 

何を食べるか、

いつ食べるか、

どれくらい食べるか、

 

ということよりも、

 

「いかにお腹をすかせるか」が

大事なのではないかと思っています。

 

空腹感がある時って

お腹のほうに意識が行きますよね。

 

何かをしている最中だと

気になって仕方がなくなる。

 

だから空腹を感じないように

水を飲み、物を食べ、というのを

何も考えずにやってしまいがちです。

 

その空腹感をしっかり感じ取ることを

最近は大切にしています。

 

グーグー音が鳴っているのを

しばらく見守っていると、

段々音がしなくなるんですよね。

 

お腹がすいてるなぁという

感覚だけが残っている状態になります。

 

私はこの状態になった時に

自分の「欲」がクリアに見えるんです。

 

体が欲しているものを冷静に確認できるので、

食べたいものをちゃんと食べますし、

アイデアが出てきたりもします。

 

 

 

 

こういう事を何回もやっていると

わかってくるんですが、

 

感覚的に、自分が本当に欲しいものは、

体の奥の奥の奥のほうにあって、

 

上に積まれているもの(食べたものとか)が

完全に消化した後に

やっと出てくるものなんだろうと思います。

 

これがわかった時に

今までめちゃくちゃ勿体ないことを

していたなぁと思ったんです。

 

空腹感を味わっていれば、

自分の欲求をもっと早くに

知ることができていたかもしれないと。

 

体の声を聴くというのは

こういうことなんでしょうね。

 

 

お腹がすいた時は

自分にエネルギーを向ける時。

 

 

空腹感でイライラする人は、

自分以外の外側のことに

力を注いでしまっているのが原因です。

 

お腹が空っぽの状態を観察するだけで、

感情も穏やかになり、

自己理解も深まります。

今年からお菓子をやめているんですが、

それが関係しているのか

今まで以上に五感が鋭くなったような。

 

お菓子を食べなくなって

まだ3週間くらいしか経ってない。

 

そう思ったのは

とある理由で洗剤を変えた時。

 

手についた香料が強く、

いつまでも続く残り香にやられて

吐き気に近いムカムカ感が発生。

 

今までも年を取るごとに

人工的な匂いがダメになって来ていたけれど、

 

もっと無理になってしまいました。

 

お菓子を食べなくなったことと

関係しているのか、

 

味の濃いお菓子を食べていたから

それが無くなって鼻が正常に戻ったとか?

 

まだ三週間なので

原因を探るのは早いのかもしれません。

 

 

 

 

それ以外で言えば、

脳みそがクリアになった気がします。

 

お菓子を食べていた時は

中毒症状のような感じで、

ずっと頭がフワフワしていました。

 

やめた今だからわかります。

 

なので、

今やろうかなと閃いたことを

すぐに実行できるようになりました。

 

今まで頭がズーンと重かった時は、

やる所までが長かったんです。

なかなか実行するところまで行かない。

 

今のところそれが大きな違いです。

 

頭がクリアになったのは

個人的に物凄くありがたい。

 

本当に仕事が進まなくて困っていたので。

 

こんなに早く結果が出てくれると

続ける甲斐がありますね。

 

引き続き、実験したいと思います。

学校に行きたくないと思っている

学生さんが物凄く増えているそうで、

 

そういうニュースを目にすると

ちょっと羨ましい気持ちになります。

 

学生の頃の記憶は薄れているけれど

あ~そうだった、そうだったと

急に思い出したんです。

 

私も学校に行きたくなかったよなと。

 

すっごく無理して

朝起きて

朝食を食べて

重い鞄を背負って

退屈な授業うけて

友達の輪に無理やり入って

愛想笑いでその場をしのいで

帰ってから塾に行って

ダルいのに真面目に宿題して

毎日同じ時間にお風呂、就寝。

 

これが本当に好きではなかったし

 

今も振り返っていて驚いたのは、

自由時間が無かったという事実。

 

休日も友達と会うのが当たり前で、

よくやりこなせていたなぁと感心します。

 

 

 

 

でも、この生活スタイルが染み付いたまま

高校、大学、社会人

と進んで行ってしまったものだから、

 

いよいよ大人の私が

我慢の限界を迎えてしまった。

 

私が今世でそういう人生を

選んでいるのかもしれないけれど。

 

不登校を選んでいる子どもたちは

自分がどうあるべきかを把握して

冷静に人生の選択ができているように見える。

 

私にはそれが出来なかった。

完全に流れに身を任せすぎていたと思う。

 

子どもの時に自分を優先している姿は

私から見るとカッコいいし羨ましいのだ。

 

大人になってからだったけど、

今の私は不登校と言えるくらい

家の中にいる生活を手にいれています。

 

やっぱり小さい頃からなんか嫌だなって

自分に合わないなって思っていることは、

一生そういうものなんだと思います。

 

特に子どもの時に

純粋に感じていることだから。

自分の特性なんですよね。

 

今40代でこれから真逆の生き方を

したいかと言われたら

やっぱりモヤモヤする自分がいる。

 

 

 

 

私は今ただ家にいるだけではなく、

コロナ渦にひきこもった延長で

そうなっているわけでもないのです。

 

子どもが学校に行くことをやめたように、

 

嫌な場所に身を置いて

自分のことをごまかし

無理やり自分を動かすことをやめたからです。

 

ただ年齢的に遅かったというだけで

学生の不登校と変わりないと思います。

 

やめたら、自然に環境も

周りに居る人も変わっていきました。

 

それでも残ってくれている人はいて、

溢れんばかりの感謝が湧きます。

 

結局、「今の自分」に合わせて

人生の景色は変わるようになってる。

 

その学びは非常に大きいものとなりました。

 

学生だった頃の私は

学校に行かない、

友達に会わない選択をしなかったけれど、

 

いつかは叶えたいと

ずっとずっと心の中で温め続けた

「夢」だったのだと思います。

 

叶ってるネって、自分に言ったら

学生の頃のおかっぱの私が

目を細めてピースしている姿が見えました。

連休明け。

 

休日が終わるといつも

深呼吸したくなります。

 

私はほぼ家で過ごしていますが、

 

休日は在宅率が上がるので

マンション全体に人の密度を感じて、

 

家の前も人通りや車通りの音が

平日よりも多くなるので、

人混みにいるかのような空気を

家の中でも感じるんです。

 

休日と平日はまるで雰囲気が違う。

 

 

 

 

自分が繊細過ぎるのか

五感が優れているからなのか。

 

感度が良すぎて

色んなことに気づいてしまいます。

 

集中力が低下して仕事が進まない

なんてことはしょっちゅうです。

 

でもその感度があるおかげで、

 

数人で集まっている場では

自然にサポート的な立ち位置になるし、

いつも場の調整役のようなことをしてる。

 

危険なことにも

人の心情の変化にも

誰よりも気づいてあげられるから。

 

色々なことをキャッチし過ぎて

思うように物事が進まない時には

嘆いて一日が終わることもあるけれど、

 

少しは人の役に立ってるのかも?

と思えたら逆に有難い一面に思えてきます。

 

今の仕事ができているのも

この特性のおかげなのかもしれない。

ブログは手書きと違って

なんでもかんでも

殴り書きできない。

 

さっきまで紙のノートに

サラサラ~と色んなことを

アウトプットしていたのに、

 

今度はブログを開いて

書こうとすると

 

話の流れを構成し始めたり、

言葉を選んでしまう。

 

これだ。

 

これがブログを続ける上での

最初の関門なんだ。

 

 

 

 

ブログも手書きのように

書けると絶対気持ちいいはず!

 

紙に書いている時間は

ゾーンに入れるから

 

どんな癒しのケアよりも

スッキリ軽くなる。

 

本当、最高なんです。

 

これを今年はブログでも

実現したいと思います。