2020年1月26日
午後2時過ぎに鈴鹿市の某所で開催された会合(←と書いておこうか…。)に出席し散々喋り午後5時前に散会した後、午後7時前に(尾鷲市で今借りている)マンションに戻った以外は、録画しておいたテレビ番組を観たり少し本を読んだりして過ごした。
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夜、マット・リドレー『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』(大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之訳、ハヤカワ文庫)の30 頁まで読む。積ん読状態だった本を漸く読み出し、まだプロローグしか読んでいないが、随分面白そうだなと感じた。
2020年1月25日
午前9時過ぎに帰宅してから墓参りに行き、午後名古屋市に向かい久屋大通駅近くにあるオグラヘアーサロンで散髪してもらい、栄周辺を彷徨いた後午後5時過ぎに帰宅した以外は、雑誌を読んだり録画しておいたテレビ番組を観たりして過ごした 。…ああ、自分の負債は自分で返さないといけない!
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夜、倉数茂「あがない」(『文藝』2020年春号所収)を読む。解体業に従事している主人公の現在と過去についての小説だけでも小説として十分成立していると思うのに、途中途中で薬物依存の自助サークルでの発言だろう内容が書かれている事で小説の立体感が増していると感じた。覚醒剤や薬物も怖いが、人間も相当怖いのだな…。しかし、主人公は結局最後どうなるのだろう。状況が妄想を生んだ所で一旦物語が終わっているのだが。
2020年1月24日
夜、最果タヒ「猫はちゃんと透き通る」(『文藝』2020年春号所収)を読む。意味の通じにくい文章を書くのは勇気が要ると思うが、作者はこの小説の中で平気でこなしていて、(かなり高飛車な書き方に違いないが)読み終えて正直吃驚した。おまけに、場面場面は鮮やかなのに、登場人物の会話や思考の描写がかなり唐突に始まり核心を避けていく形を取るケースが多いので、些か面喰らった所もあったりなかったりして…。ただ、個人的には最後の部分はそんなに感傷的にならなくても良かったのではないかと思った。散々小説とは何かを考えさせる展開をしておいて、そうなるのか。寂しい。