それがどんなものだろうが飽和するのではないか、そう考えた。
俺が子供のときに売り出されたものでいえばファミコンがある。
しばらくファミコンが一世を風靡して、そこから色んなメーカーがゲーム機へ参入した。
昔に比べてゲーム機の本体も増えてゲームの内容も濃くなった。
それだけではなく携帯アプリすらほとんどがゲームじゃないか?
パソコンも無料オンラインが増えた。
気づけばゲームだらけ・・・という具合だ。
AVもそうじゃないか?
昔はキレイな人がAVに出ればたちまち人気を博した。
タレントやアイドルからAVにいけば億の金が動いた。
それがどんどん一般人もキレイになってグラビアやタレントをかじった人までAVに流れるようになった。
気づけば飽和状態。
液晶テレビも売り出したころはブラウン管に比べて薄いし軽いということでどんどん売れた。
高性能になり質は高まった。
しかし、どうだろう?
あのシャープですら赤字に転落してしまうほど液晶テレビは飽和した。
テレビも動画も画像も出尽くした感がある。
次から次に新しいものが生まれては消えてゆく。
社会に浸透したものは飽和する。
車もそうじゃないかな。
どんどん車の機能も質も高まって価格も安くなった。
10年持てばよかった車が20年持つようになった。
気づけば車社会になっていた。
物が溢れて選べるというのは贅沢な社会でもある。
しかし、飽和することによって企業は儲からない。
そうなると海外へ商品を売り出すことを考える。
世界で日本の製品が飽和するどころか、物を生産する国の商品が世界で飽和するときがやって来そうで怖いね。
資源がある国や農産国なら常に同じでも構わない。
しかし、物を作る国はどんどん質を高めていかないと置いて行かれることになる。
立ち止まることが許されない。
なかなかままならない社会構造だと気づいた。
安定しているように見えるが安定していない。
良い状況のように見えるがまったく良い状況ではない。
そんな風に見えてしまうね。
宇宙の法則や規則がそうなっているなら仕方ない。
すべてが同じような現象になるならそれは人知を超えた力と言わざるを得ない。