感情のズレが子供の頃から気になっていた。
ずっとね。
まず”相手がイヤがることを仕掛けてくる” 母親
それに対して「怒る」(反応する) 僕
”逆に怒りだす”そして”言い訳する” 母親
これがどうしても許せない。
僕が喜んでいるとき、楽しいと思っているときに限って、”イヤミな一言をいう”
また”逆に怒り出して、言い訳する”
そして、僕は呆れて無口になった。
ああ、しゃべらないほうがいい。これは相手にしてはいけない人間なんだと理解していた。
こういう感じで母親は”下げマン”だったんだなぁとわかったのはだいぶん経ってからだ。
父親がギャンブルにのめり込んだり、家族を省みずに遊びに行ってしまうのは、きっとこの母親の性格に問題があった。
そして、姉もその”毒”にヤラれて性格が歪んだ。
父親にも悪い部分があって”がさつ”で”いい加減”だった。
この父と母の性格の不一致は若い頃からあったし絶えずケンカしていた。
子供に見せてはいけない両親のケンカが毎日のようにあり、どこに出かけてもケンカばかり。
そんなんで楽しいわけがない。
一緒にいてもずっと不安で”捨てられるんじゃないか”という恐怖と”今の自分ではいけないのではないか”という思い込みを刷り込まれた。
父が亡くなって母だけが託児所を運営していたが施設のメンテナンスは一切せずにボロボロだった。
それを責めれば「そういうのはわからない」と言い訳するだけ。
父がやっていたので私にはできないという。しかし、それをやらないでほったらかしにするというのは無責任だ。
そういう性格、考え、行動が「やっぱり俺はこの人が嫌いだなぁ」と思ってしまう。
両親のやることや言動、考えはすべて反面教師。
見習おうと思う部分は一切ない。姉に対しては敵意しかない。
こういう風にいろいろ”自分の深い部分で納得できず、一緒にいるのがイヤで仕方がない”と思うようになったときは距離をとるべきだ。
会うのを辞める。託児所を手伝うのを辞める。会話を辞める。
携帯に着信があっても無視する。
あんまり自分の考えを”破壊”されたくない。
一緒にいると本当に利用されているだけの気分になり、嫌気がさす。
いろいろ想いを巡らせてたどり着いたのは”やっぱり俺はこいつ嫌いだ”の一言だ。
それは幼少期に思ったときから一切変わってない。
表面的に合わせていただけで絶えずイヤな気分しかしていなかった。
そろそろ”あのわがままで面倒な存在”をほっといてもいいかな。
自分の人生をがんばろう。後ろ向きに生きている人間はほっといて自分は前向きに生きればいい。
これからは”姉”に接するように冷たくあしらったほうが良さそうだ。
ムリにムダに関わる必要はない。