大阪通り魔事件の犯人は殺す相手は「誰でもよかった」という。
裕福な家庭で育っていたが倒産を期に人生が一変するというのはよくあることだ。
非行に走ってグレる。ワガママを押し通す。挙句の果てには面識のない人間を殺して死刑にしてもらおうと考える。
そういう奴は、”そういう考え方”しかできないのだろう。
”そういう考え方”で自分本位な奴は今までたくさん見てきたけど関わろうとは思わない。
思い通りにいかない人生を人のせいにしたり、無為な時間を過ごす輩もいる。
暇つぶしで生きてる奴、楽しいことだけを優先する奴、そういう奴らは自分を省みることがない。
人が努力して手に入れた”いい部分”だけを都合よく利用しようとしたり、人を欺いて近寄ってくるというのはよくある。
そういうのと関わるとロクなことがない。一切、同情の余地なしで関わらないほうがいいと思う。
自分で決める人生、主体的に自分で考えた設計図を頼りに生きるべきだ。
一歩ずつちゃんと道を作って、明確なビジョンを持って今を生きることが大切だ。
暇つぶしで生きてる奴や都合のいい部分だけを抜き取ろうとする輩は相手にする価値すらない。
そういう奴には壮大な計画の意図を理解することもないし未来に向けたビジョンが見えることもない。
ただ今を生きているだけで意識は狭い範囲に限定されている。
心というのは無限の可能性があるが人が考えることをしなければただ生きているだけになってしまう。
30代~40代になって、都合よく人に頼ろうと思ってもなかなかそうはいかない。
30代を過ぎれば”目標や生き方が定まる”ので他人のたわ言など聞いている暇などない。
特に一緒にいてもなんの向上心もないような人間には魅力を感じなくなる。
そういう奴に誘われても会いたいとすら思わないだろう。
ただの自堕落はそういうのが好きな人間が集まってやっていればよい。
30代からの出会いは、特化した知識を持った人や目的意識によってその場所に集まったときにある出会いだと思う。
ただ単に集まるというのは違うような気がする。
お金がなくなったり生き辛くなったからといって、即自殺しようと考えるのはあまりにも短絡的だ。
もし死ぬのなら迷惑かけずに死ね。お前だけが逝くべきだと思った。
死刑なんて望まなくてもドラッグでもなんでも使えばいい。
人間は文明を築けるほどの頭脳を持っている。宇宙にいけるほどの想像力を持っている。
だから、大富豪になれる可能性は誰にでもある。
お金がなくてもスローライフを楽しむこともできる。
発想の転換がないのなら人を憎みながら自分の人生を潰していくしかないな・・・・・・。