今更11月の話しでスミマセン。
11月29日
朝からガッツリ「鍋焼えび天うどん」を食べて準備万端。
大学病院まで車で30分。
12月の診察を前倒しして11月29日に受診しました。
病院のイチョウ並木の葉が大分散って、道路脇が黄色く染まっていました。
次に来るのは来年です。
先生が
「良いお年を」と言うものだから。
先生に
「お陰様で、今年1年が良い年となりました」とお礼。
先生は
「いやぁ~ そんなぁ~ あははぁ~」
笑ってました。
家でお昼を食べた後は、日課になりつつある散歩に出ました。
(何故か写真を撮ってなかった)
芝塚山公園
西側の遊歩道
市のホームページによると
牛若丸と弁慶がが割ったと伝わっていて「牛若丸太刀割石」「弁慶太刀割石」と呼ばれているそうです。
何故石を割ったかは、わかりません。
以前は草や木で良く見えなかったので、ずっと弁慶が2つに割った「弁慶太刀割の石」と思い込んでいていました。
(親にもそう聞かされていました)
整備されて良く見えるようになり、3つに割れているのが分かりアレレ~!と思っていましたが・・・
そうですか、牛若丸も切り付けていたのですか。
イメージ的には、力の有りそうな弁慶なら襲ってきた敵を倒すついでに、薙刀で石を割ってしまったかも知れない(あくまでイメージです)けれど、牛若丸はどうなんだろう。
麓から石に飛び移り、さらに山頂に一気に駆け上がった。
と云うのなら面白いのだけれど。
そもそも、こんな所を牛若丸一行は通ったのだろうか?
頼朝に追われ奥州平泉に逃亡した時は日本海側を通ったはずで、ありえません。
どうやら、平家打倒の為に挙兵した頼朝のもとに参じた時に、この辺りを通ったと伝わっているようです。
だから義経太刀割石ではなく、牛若丸太刀割石と呼んでいるのでしょうね。
(何時から義経と名乗ったかは知らないけど)
いろんな所に義経伝説は残っていて真偽の程は分からないけれど、自分の住んている町内にも義経伝説があるなんて、夢があって良いんじゃないでしょうか。