芝塚山の義経伝説に思う事 | an kou 58のブログ

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 今更11月の話しでスミマセン。

11月29日
朝からガッツリ「鍋焼えび天うどん」を食べて準備万端。
 
 大学病院まで車で30分。
12月の診察を前倒しして11月29日に受診しました。
病院のイチョウ並木の葉が大分散って、道路脇が黄色く染まっていました。
次に来るのは来年です。
 
先生が
「良いお年を」と言うものだから。
先生に
「お陰様で、今年1年が良い年となりました」とお礼。
先生は
「いやぁ~ そんなぁ~ あははぁ~」
笑ってました。
 
 
家でお昼を食べた後は、日課になりつつある散歩に出ました。
 (何故か写真を撮ってなかった)

 
芝塚山公園
 西側の遊歩道
 標高60m程の低い山が公園として整備されています。
標高60mと言っても麓の町内で標高42m有りますから、見た目の高さは20mに満たない小さな山です。
 
 
 山の所々に岩が露出していて、岩をハンマーなどで叩くと四角く割れます。
 小学生の頃に、嘘か実か蔦などの化石が出ると伝え聞いて、割って探した事もありました。
一部は国有地ですから、今ドキそんな事をしては罰せられてしまいます。
 なにせ遠い記憶なので、化石が出たか出なかったか忘れてしまいました。
 
 
南側の斜面に山の一部を利用した東西に抜ける道があり少し上って行くと、平らになった狭い場所にブランコと滑り台があります。
 もちろん子供の頃には公園として整備はされていませんでした。
 
 
トイレの脇にポツンとあるシマウマ形のスプリング遊具。
 
 
シュールな光景•••
 
 
 
ずり落ちそうな石像
いつの間にか存在していました。
 
 
 
東側斜面にあるのは3つに割れた岩
市のホームページによると
牛若丸と弁慶がが割ったと伝わっていて「牛若丸太刀割石」「弁慶太刀割石」と呼ばれているそうです。
何故石を割ったかは、わかりません。
 
 
 
以前は草や木で良く見えなかったので、ずっと弁慶が2つに割った「弁慶太刀割の石」と思い込んでいていました。
(親にもそう聞かされていました)
整備されて良く見えるようになり、3つに割れているのが分かりアレレ~!と思っていましたが・・・
 
そうですか、牛若丸も切り付けていたのですか。
イメージ的には、力の有りそうな弁慶なら襲ってきた敵を倒すついでに、薙刀で石を割ってしまったかも知れない(あくまでイメージです)けれど、牛若丸はどうなんだろう。
麓から石に飛び移り、さらに山頂に一気に駆け上がった。
と云うのなら面白いのだけれど。
 
そもそも、こんな所を牛若丸一行は通ったのだろうか?
頼朝に追われ奥州平泉に逃亡した時は日本海側を通ったはずで、ありえません。
どうやら、平家打倒の為に挙兵した頼朝のもとに参じた時に、この辺りを通ったと伝わっているようです。
だから義経太刀割石ではなく、牛若丸太刀割石と呼んでいるのでしょうね。
(何時から義経と名乗ったかは知らないけど)

いろんな所に義経伝説は残っていて真偽の程は分からないけれど、自分の住んている町内にも義経伝説があるなんて、夢があって良いんじゃないでしょうか。