神とはよく聞く言葉で、神がありすぎて一体何が神なのか判らなくなるでしょう。創造主が神なのか、ではどの次元からの創造か、どの地域の創造か、など数々の疑問が涌いてくるでしょう。

 

 何でも神としてしまう日本神道は、特に石(イシ)を神(カミ)としています。これはまんざらでもないヒントなのです。それは珪素(シリコン)です。

 

 人間には脳に松果体と呼んでいる器官があります。その松果体は珪素(シリコン)を含みます。実は神との通信に必要不可欠な器官なのです。

 

 神が作り出したプロトタイプ、日本人固有の遺伝子Y染色体ハプロタイプD1-a2(亜種も含めD系統「日本人・ユダヤ人・チベット人等に含まれる」)が神との通信に必要なものとなっています。

 

 神の名をみだりに唱えてはならない理由として、イメージした相手との通信だけに限られてしまう、あるいは通信ができなくなるからです。人間は基本、超越的な存在を脳内で作り、その存在を通じて異次元と通信します。遵って、神であるとか仏であるとか、あるいは主(シュ)と呼ぶのですが、実際には「偉大なる何者か」であるのです。

 

 私が捉えている神とは、人間生命のコンソロールを行っている異次元です。その異次元とは、並行世界(パラレルワールド)かもしれないし、過去なのか未来なのか、正体はつかめません。つかみどころのない、現在未来過去を超越したところの通信相手であるのです。

 

 松果体は珪素でできており、レム睡眠時に遺伝子の修復モードに変わります。浅い睡眠が大切なのは、神との交信のためです。

 

 松果体にはシリコンホールがあり、それは小さなブラックホールです。異次元と繋がっています。

 

 神と呼ばれる、異次元の存在は、通信によって、人間を見、守っているのです。

 

 それが、異次元、異世界かもしれないし、時空を超えた未来なのかもしれない、はたまた、遠い過去からかもしれない、ひょっとすると、天国と呼ばれるところからかもしれません。

 

 すなわち、どこからかはわからないけれども、直接、通信を行い、様々なものごとを現成し、繋がっている相手がいるということです。

 

 根菜類や海藻類を食べたり、思考感情を停止することで、身体の珪素の量が増えます。その仕組みを作ったのも神なのでしょう。

 

 面白いもので、日本神道は神という存在のヒントを置いています。それは日本に最初に現れた神、天御中主神は、異次元から現れたということです。

 

 現れて、何をするでもなく、別の次元へと行かれたという話ですが、それは、神が何であるかを理解し尽くした人間は、異なる次元を往来することができるということなのでしょう。

 

 次元を往来するということは、未来へも、過去へも、異世界へも自由に行くことが出来るということでしょう。

 

 今わたしは、意地悪なものはすべて追い出すべきだという結論に至っています。

 

 いたずらに老いるということが、わたしにとって承諾できないことなのです。

 

 そして、神との通信方法についてはかねがね書いてきましたが、実はもっと簡単だ、きめつけをやめればいいんだということ、そして不真面目なものや意地悪なものを追い出せばよいのだというシンプルな考えに至れるようになったのです。

 

 付き合う、神との通信にシンプルに繋がるということです。

 

 それから、仏に関してですが、仏はこの命の世界のシステムです。だから仏を感じるには、仏像とか仏殿とか、お袈裟とか、丸坊主とかのイメージを全部捨て去ることが必要です。

 

 科学的な般若心経もありますが、仏教というものが物語ってきたことは人を救済するための方便にすぎなかったということです。

 

 神とは時空を超えた、超越的なところの人であり、仏とは命の世界のシステムであると理解すると、より一層わかりやすいでしょう。

 

 神仏を追い求め、今解っていることは、安全を第一として、思考感情にとらわれず、限界を決めない。こんなもんだ、は無いのです。

 

 言葉もすべてを変えていきます。

 

 すべてのものが、物質であると捉えると、なおわかります。

 

 程よいところを自分の意志で通信し確かめていきたいです。

 

 早いも遅いもありません。

 

 今直ぐ通信する大切さを思います。

 

 >>阿耨菩提