君が 居る 君の 世界は 幾重にながく続くよ 隕石が 巌になって 苔のいづる ようにね 君は君のままで 水晶になった 気持ちで 平等の 精神を磨き 君は 君の御代を とこしえにながく 全うせられよ 裁かない 決めつけない 判断しない 真心の 意のままに

 

『苔の生すまで』とは、壊されようとも蘇るの意味。200万年の人類史。

 

きみがよは (吾が君の安堵なるこの地が)

ちよにやちよに (千代に八千代に、永劫に)

さざれいしの (さざれ石が)

いわおとなりて (磐となって)

こけのむすまで (苔の生すまでもずっと続きますように)

 

 

暗号の解読

 

はきよみが (酵素を摂り、たんぱく質生合成を清らかとしよう。コドンの正常。)

にちよよちにや (日と夜、身体と心は鏡

のさしざいれ (ゆらゆらとまどろみで、フル「データを取得」する)

ていりわなおと (周波数、光、を得て人間生命は修復される)

でこまけすのむ (繰返し(パターン)、細かく酢、スの「周波数」を「のます」A=444Hz.C=528Hz等)

 

 

日本国 千田寛仁解読 翻訳

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 ■近江の民話にある惟喬(これたか)親王と木地師とさざれ石の献上
 この民話にさざれ石に関するキーワードのすべてが揃っています。

 

 「岐阜県揖斐郡春日村に、その「ざされ石」があります。「ざされ石」は学名「石灰質角れき岩」と言い、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が、次第に小石を凝結させ、だんだん巨岩となり、河川の浸食により地表に露出、苔むしたものです。
 「ざされ石」は、岐阜県の天然記念物に指定されており、皇居・伊勢神宮・明治神宮などに奉納されています。 

 

 春日村に、「君が代」にまつわる伝説があります。


 平安時代の初め、文徳天皇の第一皇子に、惟喬親王(これたかしんのう)がおられました。天皇は親王を皇太子に推すつもりでした。しかし、事情により親王は、年下の第四皇子(後の清和天皇)に皇子の座を先んじられることとなりました。悲運の親王は一時、近江の小椋郷に隠れ住みました。やがて親王はその地で、お椀や鉢などを作る木地師(きじし)の祖神とされるようになったのです。 

 

 親王はお椀や鉢などを作るために樹木を伐採する権利を持って役割を担っていました。

 

 ある時、親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ヶ畑から良材を求めて、春日の地へやってきました。そして、君ヶ畑に向かう途中、川辺でめずらしい石を目にしたのです。それは「さざれ石」の巨岩でした。男は心を打たれ、見たまま感じたま歌を詠みました。 

 

 わが君は 千代に八千代に さざれ石の 

        巌となりて 苔のむすまで 

 

 この歌は都で評判を呼び、ついには『古今集』に採録されることとなりました。当時には間違った慣習があり、男の身分が低かったというだけで、「よみ人知らず」の歌とされたのです。しかし、朝廷の有識者方によって、その後、男は朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん」という名前を賜りました。この歌が歌い継がれる間に、「君が代は」と歌われるようになっていったのです。 」

 

 

日本国の経緯

 

1.天之御中主神
2.高御産巣日神
3.神産巣日神
4.宇麻志阿斯訶備比古遅神
5.天之常立神
6.国狹槌尊
🌸7.国之常立神(大倭日高見国)
8.豊雲野神
9.宇比地爾神 妻・須比智爾神
10.角杙神 妻・活杙神
11.意富斗能地神 妻・大斗乃弁神
12.淤母陀琉神 妻・阿夜訶志古泥神
13.伊弉諾尊 妻・伊弉冊尊

🌸岐阜県飛騨高山から奈良県桜井市笠山に遷都(豊葦原瑞穂国)

14.思兼命(八意hatti) 妻・天照大神大日留女牟千  
弟を那古・素戔鳴尊(八坂)
大日留女は最後の瀬織津姫。
15.天忍穂耳  妻・栲幡千千姫(高皇産霊尊孫、高木神女) 
 長髄彦登美明国(和邇)大物主 大和朝廷最初の地、三輪の主 (饒速日義兄)思兼命崩御後、笠山に素戔鳴尊帰還 姉大日留女と和解 八王子の誓い

🌸奈良県桜井市三輪山に遷都
16.饒速日尊 (布留・十一面観世音菩薩・三輪明神大神神社大物主)
妻・御炊屋姫=活玉依姫(登美明国長髄彦の妹)
🌸16.邇邇芸尊(布斗) 妻葦津姫(大山祇尊の娘)饒速日尊の弟 兄平定後の九州に五伴緒と天孫降臨、九州耶馬壱国の王となる
17.八重事代主(大国主尊の息子)妻 玉櫛姫(饒速日尊の娘)耶馬台出雲紛争終結
18.神武天皇佐怒彦(さぬ)邇邇芸尊の孫 妻 伊須気余理姫(事代主の娘)
19.綏靖天皇 登美明国を追い大倭日高見国へ
20.安寧天皇 
21.懿徳天皇 大倭日高見国王となる
22.孝昭天皇
23.孝安天皇 御代に新羅皇子天日矛帰化
24.孝霊天皇 長老達との対立により大倭日高見国を後にする
25.孝元天皇 耶馬台国奪還 奈良県桜井市三輪山に立君す
26.開化天皇 三輪山に立君す
27.崇神天皇 加羅(伽耶)に任那府を創始、守護する 日巫女が千人の鉾徒を連れて上京
28.垂仁天皇 娘 倭姫 三輪山檜原より志摩郡磯部町千田に神宝を遷す
29.景行天皇  
30.倭武尊 大倭日高見国 岩手県釜石市尾崎へ草薙剣のメンテナンス
31.仲哀天皇 妻神功皇后
32.応神天皇 八幡神
33.稚渟毛二派
34.意富富杼 (おおほど)息長氏祖
35.乎非
36.彦主人 雄略天皇の御代
37.継体天皇
38.欽明天皇 磯城島金刺宮に百済より仏教伝来 任那府を終える
大臣蘇我稲目
🌹大臣蘇我馬子 妻石上神宮斎宮物部布都姫
39.敏達天皇 弟用明天皇の息子聖徳太子豊聡耳「天皇」号を開始 無量山千田寺創建
40.押坂彦人大兄皇子
41.舒明天皇 妻斉明天皇
42.天武天皇 「日本国」号開始 妻持統天皇 藤原京遷都 伊勢神宮内宮建設
🌹43.施基皇子(天智天皇の息子)妻天武天皇の娘託基皇女 
平城京建設 右大臣藤原不比等 妻蘇我媼子(日本全国藤原氏の祖)
44.光仁天皇 妻和氏高野新笠
45.桓武天皇 平安京遷都 妻藤原式家藤原乙牟漏

46.嵯峨天皇 息子源信(源氏祖)嵯峨天皇弟葛原親王(平氏祖)

饒速日尊冠称 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命 大和建国の始祖王 最後の天照大神
寺院では、十一面観世音菩薩として奉る
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北上市

 

北上市展勝地桜並木

大祓詞参照、日本国は🌸大倭日高見国(岩手県北上市)に始まり、伊弉諾尊の耶摩台国婿入りして伊弉冉尊と合体。
🌸岐阜県飛騨高山位山(高天原)より、移転して🌸奈良県桜井市笠に定着。その後🌸出雲ともめましたが、
八王子の誓いを立てて和睦。饒速日大王の立君と同時に桜井市の三輪山が中心となります。第10代崇神天皇の代に、
🌸大分県宇佐(宗像)より日巫女が耶摩台国救済のために上京(日巫女は先祖伝来の鏡を持って来られました。
これが御神宝です)そして第11代垂仁天皇の代に、出雲が相撲に勝ったので出雲教をおそれて、
耶摩台国の倭姫が二十七個所とも御苦労をなされ、檜原の御神宝を守り辿り着いたのが志摩郡磯部町千田でございます。

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伊勢神宮は日本国の神社の中心でございます。一説整合性を以って観ると、大祓詞に記載の通り、吾が国は大倭日高見国(岩手県)に始まり、飛騨高山(岐阜県)の耶馬台国(耶馬台国発祥は石川県)と、伊弉諾尊、伊弉冉尊の御代に結ばれ豊葦原瑞穂国(耶馬台国、奈良県)に遷都されました。その子ども達、大日留女牟千神と月読尊と那古素戔嗚尊はそれぞれ、耶馬台国近畿、耶馬四国東北、耶馬三国出雲をお治めになられました。那古素戔嗚尊は出雲を娘婿の大国主尊に預けて、耶馬台国に帰り、饒速日大王(最後の天照大神)を教育なされました。饒速日大王が耶馬壱国九州の神々と話し合いを付けた後、邇邇芸尊が五伴緒と天孫降臨し、大山祇神の娘葦津姫と結婚し、草葺不合尊が産まれ、そして佐怒彦尊(後の神武天皇)が産まれます。神武天皇は気候変化のため、奠都を行い、饒速日大王の孫娘伊須気余理姫を妻として耶馬台国の王となりました。神武天皇より3代後、第4代懿徳天皇が耶馬四国の王となり、第8代孝元天皇の御代に耶馬台国の三輪山に戻り、第9代開化天皇が三輪山に立君。第10代崇神天皇の御代に耶馬台国に病が流行したのを救済する為に、耶馬壱国九州の大分宇佐は宗像家より日巫女(卑弥呼)が千人の鉾徒を連れて上京し、病院をお造りになられ、九州の優れた医術によって、病を鎮めました。そして、天体観測所(後の大和神社)をお造りになられ、紡績工場をお造りになられました。日巫女の持ってきた鏡は、先祖伝来の鏡であり、日巫女崩御後は、三輪山の檜原に奉っていましたが、耶馬台国は出雲に相撲で負けたため、耶馬台国が出雲の政治となるので、神宝を垂仁天皇の娘倭姫が御苦労をなされて忍びながら辿り着いた地が、志摩郡磯部町千田(御神田)で、伊雑宮を造り、時は流れて聖徳太子豊聡耳命がその近くに無量山千田寺を造り、後にその情報を知った持統天皇が伊勢神宮内宮を建設致しました。日巫女が崩御なされたのが1783年前あたりですから、その後25年位の放浪の旅を考えると、伊雑宮が建てられたのは1758年ほど前、西暦273年と推定できます。遵って伊勢神宮の創設は現在2019年から1758年ほど前になります。持統天皇4年690年第一回内宮式年遷宮でありますから、内宮の創立からの年数は1541年となります。尚、志摩地域が天照大神大日留女牟千神の時代より猿田彦将軍の所領地であり、倭姫が安全に庇護していただいたことから、今でも伊勢では猿田彦将軍を篤く御祭りいたしております。猿田彦将軍の御陵は、奈良県天理市萱生(かよう)に御座います。日本国最古の神宮は天理市石上神宮であり、日本国最古の神社は三輪明神、奥を笠荒神、その奥が石川県白山比咩神社で御座います。その奥が岩手県早池峰神社。速川の瀬に坐す瀬織津姫神。そして飛鳥時代から現在日本国統合の神社が伊勢神宮で御座います。伊勢を参るならば両周り。外宮内宮両方を参られることをお薦めいたします。正に御神徳を頂来出来ることでしょう。

 

 千(ち)は神のことであり、アルファベット表記はTI。大倭日高見国では太陽の事を千田(TIDA)と呼び、源為朝公の影響で沖縄に所以を残す。大倭(おおやまと)は日高見国だけであり、後裔の大和への権能委譲は西暦581年である。大和を豊葦原瑞穂国と称す。大祓詞参照。豆智識。

 

 天照大日孁尊の孫天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が最後の天照なので、天照は男なのですが、持統天皇の御代に天照は女であると致しました。それは、日本国の統一の目的で行ったことで、神主等は皆男であることを知っています。その証拠として内宮に男の服を捧げる儀式があります。神事を行う人には周知の事実ですが、西や東に信仰が偏るといけないので、天照は大日孁尊ということで善いわけです。しかし有能であったのは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であり、彼は大和統合の神であり、日本国最古の神宮である奈良県天理市の石上神宮では本名の布留の名で奉られています。こういった話は珍しいようですが、神事をやっている人の間ではごく普通の常識なのです。


日本国最古大神神社元別当寺三輪山平等寺徒弟千田(丸子)寛仁 拝 P.S. 古代の話が聴きたい方は気軽に連絡ください。

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千田寛仁和尚