2011-06-19 19:19:19


 日本国においては、貴いものを示す言葉に、「丸と長」があり、そのうち舟に「丸」と号したり、古代には「麻呂」と名づけたり、中世には「~丸」と名づけたり、国旗をして「日の丸」と言う、この「丸」とは何かについてレクチャーします。



 ご存知のとおり、日本の古い地名や川の名には「丸子」という名前がついています。東北、山形、長野、関東東京、静岡あたりの方々は特にご存知でありましょう。



 アニメで静岡の「ちびまるこちゃん」をやっていますが、静岡の丸子というのは源頼朝が、両親の菩提を求めた土地です。なぜ丸子に菩提を求めたでしょうか。わが国における丸子の意味。それがはっきりしてきます。




 丸子の真字は「和邇子」といいます。わにこと書いてまるこです。歴史をやっていればご存知の通り現在までの皇后が「藤原氏」から出ています。飛鳥時代それ以前が「葛城氏」すなわち蘇我氏。その前、すなわち建国からの源流が「丸子氏」すなわち和邇氏です。




 これゆえ、丸を貴いものとして倭や後に和と同じ意味で表します。




 歴史に登場するのは5代孝昭天皇の長男「天足彦国押人命」(記では天押帯日子命)を祖とし、本拠地は奈良盆地東部「春日、大和国添上郡和邇(天理市和爾町)」です。




 関連地として有名なのは、全国に多数ありますが、滋賀県滋賀郡志賀町和邇春日が代表的です。琵琶湖の丸子船というエジプト式の帆船が有名です。




 関連神社は、和爾下神社(天理市櫟本町、大和郡山市横田町)、神田神社(大津市真野町)、小野神社(滋賀県滋賀郡志賀町小野)、柿本神社(奈良県北葛城郡新庄町柿本)、浅間(あさま)神社(山梨県東八代郡一宮町)、富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)などがあります。




 中でも富士宮市の浅間神社は和邇部氏が社家として「和邇氏系図」として最も古くからのものを伝えています。





 ちなみに富士宮市にある駿河一宮浅間(せんげん)神社は、創建が山梨県の甲斐一宮である浅間神社より一寸新しいようで富士吉田市にある富士浅間神社は、大伴氏が社家を司る別系統の浅間神社です。





 元来和邇氏は、安曇氏、海部氏らと同じく海人族系であります。




 海人族は「海神」と書いて、「わだつみ」といい、古代より自由に世界を船で往来した人々で、海洋航海技術の優れた人々です。ようするに和邇(丸子)とは日本の先祖です。
 




 後に大和朝廷では、神具のモタイや埴輪などの祭祀土器製作集団(丸子)が率先して、山稜の管理、古墳埋葬者の事績の語り部的役割を持っていました。祭祀を統括していたわけです。




 和邇は、29代欽明天皇の頃から春日に改姓されたとも言われています。




 元来女系のわが国において和邇氏は古くから天皇家に妃を供給する氏族の役割を果たしてきました。天皇家というものが飛鳥天武以降の造語でありますから、和邇氏自体が天皇家の正体だとも言えます。日本人であれば、ほとんどがその分家でありますから、畿内を中心とする国家家督者の姓が「和邇」ということです。




 歴史的に言えば、豊葦原瑞穂国・大和朝廷を家督するものが和邇子です。この大和朝廷と現在の天皇が繋がりのあるものだとすると、数奇な話、今上天皇の名前は丸子明仁ということになります。天皇に姓はあるのでしょうかと天皇の姓、天皇の苗字について質問してくる人がいますが、もし大和の国の家督者なら和邇(丸子)です。なぜこれが数奇かは、丸子明仁ということは、この国の中心である三輪山の主の名前と同姓同名となるからです。




 この国の主、三輪明神大物主長脛彦。彼の国は登美「とみ」。彼の名前は明国「あきくに」。この明国がニギハヤヒ布留に国を譲り、ニギハヤヒ布留の弟のニニギ布斗の孫の佐怒が、国を継承しました。



 佐怒(さぬ)すなわち日本国初代神武天皇のことです。初代に権威を継承したOBがいたのです。いかに三輪明神が大きな存在か分かるでしょう。




 長とは蛇、龍神のことであり、神武以降、三輪より弘前に移った長脛彦の子孫からは、長尾氏、伊達氏、織田氏、など諸侯が輩出され、長の字を大切にしています。




 三輪明神は大和のはじまり。11代垂仁天皇の時代に伊勢神宮に遷宮されます。以降出雲教に乗っ取られて教義を失いましたが、弘法大師が遍照院を建て、その後慶円上人が三輪山平等寺を建てたことにより、神道の教義を取り戻しました。しかしそれは江戸時代末までです。(三輪流神道)明治以降は大神神社となって完全に教義を失ってしまいます。




 (鶴)伊勢神宮は三輪明神を隠し、(亀)出雲大社も三輪明神を隠す。後ろの正面にいます籠の中の鳥はいついつ出やるです。夜明けの晩、金星の輝くころ、この国の本当の主が求められる頃に三輪明神は姿を現すのでしょう。三輪明神すなわち大物主明国の政治、慈悲慈愛の世の中です。明国を想起するということは優れたいにしえの民族夷(ubusu)の再興のことであり、現在の世界体制の政治力と根本から結びついていることに気づくことをいいます。日本神道が起こるというのは、東北(祈寅)の魂の復興のことであり、内容はまさに大祓の通りです。幕末に日本人の一部は昴と日の丸の関連性、一瞬これに気づいたのですが矛先を誤りました。



 富国の基本は侵略ではなく農耕にあるからです。戦ではなく、われらの技術が農業に向いたとき、世界の協和(大和魂)が起こるのです。世界人類誰もが食を満たされた状態が、すなわち平和であります。 








 さて、30代敏達天皇までに和邇氏から9-10名の女性が、記紀に妃として記録されています。但し、これらの妃の子供が天皇になった事績は10代崇神天皇以降見られません。妃として登場するのは15代応神天皇以降30代敏達天皇までが最盛期のようです。




 この一族から多くの派生氏族が発生しました。
 有名なのは、柿本人麿の柿本氏、小野妹子、小野小町、小野道風などで有名な小野氏、山上憶良の山上氏、粟田真人の粟田氏、石上神社社家の布留氏、など歴史上活躍する人材を輩出しています。



 特に「小野氏」は鎌倉時代以降、武蔵七党の「横山党」「猪俣党」という武士集団として活躍、その流れから江戸時代大名家及び武士として残り、現在まで繋がっているとされています。



 開化(若倭根子日子大毘々命)の時代にはすでに登場する息長氏(おきながし)とは非常に近い関係にあったとされ、天皇家は少なくとも15代応神天皇以降は、「和邇腹」と「息長腹」を特に血脈維持の上で大切にされた模様です。息長氏が秦の血統、和邇氏が海氏の血統とも考えれば分かり良いかもしれません。日本を本拠として世界中を巡った海氏と、イスラエルシモンの血統秦がこの国の最上階にいるとすれば、歴史上のあらゆる説明がつくわけで、実際その通りなわけです。



 この2氏の頂点に立つ人物が「彦坐王」であるとされ、9代開化天皇の第三皇子のことです。この謎に包まれた人物こそ記紀編纂者、特に日本書紀の編纂者がその真実の姿を隠そうととした形跡大と言われています。なお、この開化なる人、埼玉から来た人です。兄の名は大彦。東国の大王です。



 根子(ねこ)は和邇、彦(日子)は王という意味です。



 和邇氏関係の男性については、系図だけでしか分からない人物が多いです。「葛城氏」「物部氏」「大伴氏」などとは比較しようがない位登場しないです。ただ一人「難波根子建振熊」(なにわねこたけふるくま)のみ活躍記事が記紀に残されています。彼は神功皇后に仕えた将軍で「神功紀」によると、三韓征伐より帰還した皇后の畿内入りを阻止しようとした忍熊王の軍を破りました。また、「仁徳紀」には皇室に従わない飛騨の仏教祖高山の両面宿儺を退治したともあります。分家が本家を乗っ取ったわけです。建振熊は和珥氏(和邇)の中興祖です。籠神社に伝わる国宝海部氏系図に、天火明命を祖とする海部氏の19代目に同名の人物が見えます。


 仁徳天皇陵の示す先に先祖の故郷(故地)があるのです。
 そこに白山があります。龍天護法大善神白山妙理大権現。
 この白山が三輪山の奥の院(故地)です。高山はこの真東の裾野にあります。曹洞宗で護っているものが何であるかわかりましたか。単に仏教の一派ではない、この国の丹田を治める教えゆえ禅宗を名乗るなと強く戒めたわけです。流石は道元禅師と言えます。



 天皇家の謎の10代崇神天皇ー25代武烈天皇までの血脈に、最も深く母方として関係した和邇氏。武烈を悪人と称して和邇氏の名を葬り去ったのには、日本における新羅勢力を制して高句麗勢力が立つような理由があったわけです。その高句麗勢力も後に百済勢力に吸収されます。和邇、蘇我、藤原、の歴史です。


 ものすごく簡単に言えばお洒落な白ワニ(白)が高句麗の美女(赤)に家を乗っ取られたのです。太平洋から大陸を巡って帰ってきた白ワニも高句麗の美女には勝てませんでした。ということで吸収合併。さらに高句麗の美女も果てて百済の坊さん(黒)に弔われ、倭の上に和を以って貴しと。


ここまで語ると、日本が朝鮮から来たのかと思いますでしょうが、それは数ある中の一つのルーツです。大倭日高見国というのがこの国の最初の地、岩手県の宮古です。神山は早池峰山、北上水乞山。国見山、江刺、平泉へと変遷してゆきます。その故地については太平洋の彼方。方角としてはハワイ方面です。沖縄(琉球)の方に太陽はなんと言いますかと聞いてみてください。日高見の言葉が今も沖縄で生きています。

 太平洋から着いた人々。国津神

 大陸から着た人々。天津神

 日出ずる国、日本。
 日ノ本(大倭日高見国)陸奥 水乞山

奥州が祀る山

日本国には2つのヤマトがあります。ひとつは奈良県桜井市三輪山を中心とする『大和』。それ以前の大和をオオヤマトといい『大倭』オオユダと書きます。その大倭の中心がこの岩手県北上市更木水乞山です。水乞山は早池峰山から下ったところの裾の高山です。この更木(サラキ)とは古代の言葉で、川の流れで綺麗に洗い流されて木の生えていないところを示します

菩提寺 永昌寺へのリンク



岩手県 戸塚森 戸塚というように墓です。典型的な双円墳 大きな山とそれより小ぶりな山を重ねた二上山です 但しこれほど巨大なものは珍しいです 円墳の後期型、前方後円墳の前身がこれでしょう  

岩手県 飯豊森(えんでやま)和我叡登誉神社 北上盆地にある山  千代かけて飯豊森の峰高く里の守り神そまします「宮沢賢治」  

奈良県 三輪山 山の前に三つの室で形成され 三室山の異名を持ちます
この山も二上になっており小山のほうの麓に寺と神社が建てられています
大和丸子家が祀る山 三輪山平等寺へのリンク


奈良県 耳成山 豊聡耳、聖徳太子の墓と考えられます。上円下方墳です この御陵を北にして藤原京が建設されました 聖徳太子がいかに偉人であるかは言うまでもありません 建設当時は鏡石で全体が覆われていたといいます 明治までの異名は毛なし山 木が生えてない山ということです 明治天皇はこの御陵の上に立って大演習を征監しました

奈良県 二上山  太古は火山であった模様です。(大津皇子の墓)キトラに葬られた高市、皇統位を繋いだ草壁、大津は謀反の罪を着せられ殺されました。あんまりな出来事のため、その時代は男子は立君せず、草壁の妃阿陪皇女(元明天皇)が帝に立ちました

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 わが国の基本理念とは平等ということです。わが国の主、和邇の祖霊が求めていることは格差社会ではありません。なのになぜ格差社会があるのかを論ずるならば、上下を作って社会不安を沸騰させて後に正しい理念を作り上げるための仕組みです。政治的に人は今大きなふるいにかけられているのです。しかるに、格差は大きくなります。それでも国民は気が付きません。病気になるまで飢餓になるまで本質に気づかないです。健全さと農耕が基本であることに気付き、社会が手を携えるとき、世界は開化します。いにしえの太陽の議会は、「世界民族が手を携えるなら褒美を」齎します。イメージしてみてください。生き残りをかけてマインドを動かすどんなビジネスコースを構築できることでしょう。




 親や先祖、家庭をないがしろにし目先に囚われ飢餓の先にある滅亡か


 親や先祖を敬い、家庭、社会和して助け合い農耕による生き残りか






吾輩は山口神社(水源)の猫である


 

 千田=太陽 
 丸子=太陽の子

 





 

 









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