2010-07-03 02:26:08

$千田寛仁のブログ


 4世紀に印度の言葉サンスクリットより中国語に法華経を翻訳された中国の僧に鳩摩羅什という方がおられました。玄奘三蔵が7世紀の方ですので鳩摩羅什はそれより300年ほど前の方です。
 法華義疏は、鳩摩羅什が翻訳になられた法華経を読んで本朝後に聖徳太子と呼ばれる蘇我系の豊聡耳皇子が、これを世に残したいとお考になられて記されたお経の一つです。西暦611年には勝鬘経義疏、西暦613年には維摩経義疏、西暦615年には法華義疏が記されています。これについて少し記述いたします。延喜十七年西暦917年に藤原兼輔氏が撰した聖徳太子伝暦に、聖徳太子の一生を年代記風に記しているその中に聖徳太子直筆法華義疏の存在が登場します。また天平19年西暦747年の法隆寺資帳や、このころの写経文書にも書名が現れます。

 私の問題に思っていたところは、なぜ蘇我の太子の残した経を藤原が持ち出してきたのか。延喜十七年西暦917年時の海外情勢は中国唐が終わり、五代十国の分裂時代でありました。このようなことも、法華義疏が注目を浴びた原因のひとつと考えられます。それ以上にも、天台宗において護持されてきたことが太子の書法華義疏が存続してきた理由に伺えます。

 太子が、物部との戦闘の反省から、万民の平和を考え、結果後世に受け入れられたことは、太子はひじょうにご苦労をされましたけれども、その思いが神仏にかない、世の人に思いが届いたことが伺えます。法華義疏は読んで字の如く、国政に反映しうる活きた日本版法華経と考えられます。それは、まだ自分が現代語に意味を翻訳しておりませんので直感です。

 勝野諭という兄さま、小西茂という兄さまから、千田君はこれをいつか訳してみなさいと言われておりましたので、やっと法華義疏という言葉にだけ再度めぐり合えたことを幸せに思います。



勝野諭兄から教えていただいたシンセサイザー演奏・喜多郎氏。三輪山平等寺を父丸子孝法氏が復興の時代、丸子家千田家家族と全国十万家が力を合わせて三輪山のお寺を復興した時代。私が幼かった頃。父のひざに乗って一緒にNHKのシルクロードの番組をよく観ていました。青嵐や無一物無尽蔵、毎日朝の早くから暗くなるまで、雨の日も風の日も托鉢にでかけ、血豆だらけの細い足、一生懸命育ててくれた父。本堂を復興するために切り詰めた生活で自分の食べるご飯も兄や私たち兄弟に与えてガリガリに痩せてお化粧一つせずそれでも一生懸命育ててくれた母親。満州で生まれ、台湾で育ち子どもがいなかったので私たち兄弟を本当の子どものようにかわいがってくださったおばさま、母を大事にしてくれた芝村の野村家の方々、松塚建設、佐藤木材の方々、桜井市、三輪町の支えてくださった方々、お寺の信者さん各家の方々、NHK、朝日放送、奈良テレビ放送、奈良新聞社、読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、システムブレーン、曹洞宗各ご寺院、九条三松禅寺、法相宗薬師寺、諸々所縁のみなさんのおかげで現在の平等寺があります。仏飯を食べて育ったこの身、私次男坊はこれから三輪をはなれますが、ご恩を忘れず、人の思いを無駄にしないように人の役に立つ人間を目指して努力してまいります。



翠松の 雨漏りためる なべ足らず 懐かしたのし 恵まれし家

「雨に恵まれすぎて屋根の雨漏りしょっちゅうのお寺でした。」

金堂に 星降りるなり 若宮に 笠降るいわれ こもりくの里

「平等寺が守ってきた三輪山、古来の日本の魂、平等理念。」

団子たべ 日高くなり 開化する 栴檀香る 青垣の里

「東世界と、西世界の集合のより所、三輪山平等寺」




$千田寛仁のブログ

三輪山平等寺
三輪別所・大和国一宮元神宮寺「曹洞宗平等寺」へのリンク





聖徳太子伝暦を編してくださった
藤原北家藤原兼輔氏に至る系


天御中主尊 別名を妙見尊星王

天八下尊

天三下尊

天合尊

天八百日尊

百日萬魂

津速魂命 イザナギ・イザナミ時期

市千魂命 八坂祭神

興澄魂命霊神

天児屋命

天押雲命

天多彌伎命

宇佐津臣命

御食津臣命

伊賀津臣命

梨近臣命

神聞勝命 崇神天皇時期

久志宇賀主命

国摩大鹿島命

臣陜山命

卜部跨耳命

卜部大小矯命

卜部阿麻毘舎命

卜部音穂命

中臣阿毘古

中臣真人

中臣賀麻

中臣黒田

中臣常磐 欽明天皇朝時期 

中臣可多能祜

中臣美気古 聖徳太子時期  

中臣鎌子 時期 西暦614年生誕 母は大伴智仙娘 推古28年西暦615年聖徳太子は三経義疏を記される

藤原不比等

藤原房前(藤原北家)

藤原真楯

藤原 内麻呂

藤原冬嗣 

藤原良門

藤原利基 

藤原兼輔 元慶元年西暦877年 - 承平三年西暦933年 



 聖徳太子は龍田神社、豊受、四天王を祭る大江神社、鵲森宮神社、などの神社を創建している。神仏両部をして国家の和合を目指されました。蘇我と物部の争いの中で、太子が目指された国は、いかなるものであったでしょうか。疏の字に秘められた、太子の願い、祈り、遵う人も、従わない人も、道理の分かる人も、分からない人も、誰も見捨てないようにと思う心が伺えます。

 物部との争いや、百済人藤原に明日香から追われたりご苦心の多い中で、どうすれば国が治まるのかを、法華経を通じて深く研究なされたわが国一の仏教研究者であられたことに感慨を受けます。

 本文の意味・訳文はまだです。


בוקר טוב. صباح الخير. Добро утро. 早上好。 Good morning.गुड मॉर्निंग. God morgon. Доброе утро. Buenos días. Guten Morgen. Buongiorno.Bonjour. 안녕하세요. お早うございます。オハヨウゴザイマス。




【疏】 12画 疋(7)

 普段なかなか使わない疏の文字、義疏。

-------------------------------------------------------------------
[音] ショ

[訓]

 とおす
 とおる
 うとい
 うとむ
 おろそか
 あらい
 まばら
 ふみ

-------------------------------------------------------------------

《意味は》

とおす。とおる。通じる。
うとい。うとむ。親しくない。
おろそか。「粗」「精」「密」
しるす。一条ずつわけて意見を述べた上奏文。
難しい文句を注につけた注釈。
「1.~4.」は「疎」に書き換えられるものがある。

-------------------------------------------------------------------

【疏い】うとい

親しくない。
事情に通じていない。「世事に疏い」
「疎い」とも書く。
【疏んじる】うとんじる

親しみを感じられなくて遠ざける。うとましいと思う。
「疎んじる」とも書く。
【疏外】そがい

よそよそしくすること。きらってのけものにすること。うとんじること。
「疏外感」
「疎外」とも書く。
【疏食】そし

粗末な食事。粗食。そしい。
「疎食・蔬食」とも書く。
【疏水】そすい

灌漑(かんがい)・発電・運輸などの目的で、川や湖などから水をひくために土地を人工的に切り開いて水を通すこと。またその通路。
「疎水」に書き換えられる。
【疏通】そつう

意見・意思などが相手によく通じること。
「意思疏通を図る」
【疏明】そめい

言いわけ。申し開き。釈明。
裁判官に、一応確からしいという推測を抱かせる程度の証拠をあげること。
「疎明」に書き換えられる。
【疏る】とおる

水などの流れが通じる。ふさがりが分け離れ、通じるようになる。

-------------------------------------------------------------------

【義疏】ぎそ

注釈書。特に、経典・経論などの意義・内容を解説した書。
「ぎしょ」とも読む。
【綱挙網疏】こうきょもうそ

物事の根本を摑(つか)むことを大事にして、細かな事についてはこだわらないこと。
大きな悪事の根本を追求することに専念して、小さな悪事は見逃すこと。
「綱」は大綱で網を締めくくる元綱。「網」は細い編み目。「疏」は目が粗いこと。
大綱を挙げて細目を粗くするという意から。
【上疏】じょうそ

事情を記して天子に差し出すこと。また、その書状。上書。
【注疏】ちゅうそ

くわしく説明すること。また、その説明。
「疏」は注に更に注を加えたもの。
「註疏」とも書く。
【弁疏】べんそ

言い開きをすること。いいわけ。弁解。
「弁」の旧字体は「辯」。

-------------------------------------------------------------------

《字源》

声符は「疋(しょ)」。
元の字は「」で、「(こう)」は粗めの模様。
「疏」は、「」の「」を「梳(粗い櫛)」の「」に置き換えたもの。
 
 
 

お葬儀お葬式、ご法事の導師ご依頼

 

各種ご相談(ビジネス、お悩み等)

 

電話 090-9428-2272

 

メール midoridrive@gmail.com

 

千田寛仁和尚