2012-08-23 16:33:21

日本三種三宝(三種の神器)の一、草薙の剣が蕨手刀だといまだに気づかない日本人が多い。
われら(日本国民)の先祖日本武尊は、能力あったがゆえ、父親からうとましがられた。
「おまえ、ひまだったら日本中治めてこい」と言われて治めた。
秋田の神々(倭王安東)に挨拶し、岩手の祭神千田(安倍)に許しを得て
地元桜井市巻向の家(宮)に帰る予定だった。
釜石の尾崎を後に、尾張に立ち寄った。地元の娘尾張の宮簀媛命と結婚した。
だけども、ほうぼう行かされて疲れて三重県亀山市能褒野(のぼの)で倒れ亡くなる。
ヤマトタケルの亡骸は白鳥になって旅立った。

なんでか私は、今は彼女も居ないが、付き合った女性はことごとく
名古屋生まれの人間であるのは、不思議で仕方ない。

彼が岩手には何をしにいったのか、草薙の剣(蕨手刀・わらびてとう)のメインテナンスである。付き合いきれない偉大なる父親に付き合わさせれていたのである。

東征に行ったというのは嘘っぱちで、かえって岩手の皆さんにお世話になったのである。東北へ向かったあのとき、海難で当時の妃弟橘媛が嵐を治めるために入水して果ててしまっている。
彼には悲しいことが多すぎた。

白鳥になった彼の御魂は一度御所に立ち寄り、河内へ向かって御陵が作られると、昇天したといいます。



ヤマトタケルノミコト(酒を飲ませて和睦するのが、先祖伝来の技。)



1.倭建命(日本武尊)熱田神宮御祭神 ①日本国軍神

02.仲哀 妻・神功(息長帯比売)、神功祖は(新羅皇子天日矛・孝安代)

03.応神 八幡(はちまん)神に応じて与えられる意

04.稚渟毛二派

05.意富富杼 (おおほど)息長氏祖

06.乎非  

07.彦主人 高島 御代家督は雄略 初瀬より飛鳥へ遷都 

08.継体 尊号を男大迹(おおどの)妻は雄略の娘春日大娘の子、若帯姫(手白香)。大伴金村氏と物部麁鹿火氏の推薦を受けて家督

09.欽明 妃蘇我小姉君(稲目女、母波斯人、娘聖徳太子母穴穂部間人)

10.敏達

11.押坂彦人大兄皇子

12.舒明 后斉明

13.天武 后持統 藤原京遷都

宍人臣大麻呂女カヂ媛娘(天武宮人)に託基皇女
が生まれる。カヂは木偏に穀と書きます


14.施基皇子 后天武女託基皇女
施基は、父天智天皇、妻の父が天武天皇、その両方を繋いだから志貴と表される。御陵所に因んで田原天皇と称される

15.光仁 藤原北家 聖武后光明の養子として聖武長女井上内親王(吉野皇后・斎宮)を后にいただき 又妃和氏高野新笠の間に桓武を儲ける 

16.桓武 平安京遷都 平家祖 新笠の子 弟の東大寺親王禅師早良は遷都を懸念南都守護 ゆえに示寂後800(延暦19)年井上内親王を妻とすると記され、崇道天皇と号され権力争いに利用された 桓武子葛原は桓武平氏祖、大和田氏の祖 桓武は天神菅原道真の娘菅原衍子を女御としている。

17.嵯峨 息子源信(源氏長者)

18.仁明(正良) 長男道康「文徳」 三男光孝の次男が定省「宇多」子孫に道元禅師

19.文徳

20.清和 清和源氏祖 文徳四男 名を惟仁(これひと) 

21.貞純

22.経基 清和源氏

23.満仲

24.頼信

25.頼義

26.義家 八幡太郎 弟新羅三郎は南部家の祖

27.義親

28.為義

29.義朝

30.源九郎義経 左衛門少尉 検非違使少尉 判官 ②日本国軍神 

31.重基 源義経子 幼名安居丸重信を名乗り後重基と称す 母佐藤基治娘北の方(義経正妻は北家秀郷流清衡の曾孫)

32.重忠 左近大夫

33.重光 左京進

34.有信 太郎左衛門

35.忠直 三郎左衛門

36.時明 主計助

37.成光 左近忠

38.道成 小次郎

39.隆義 小太郎 千田家中
興祖 兄更木永昌寺重義和尚 539年前(2012年基準)

40.利章 源九郎

41.量重 三郎

42.時廣 又次郎

43.時長 甚右エ門

44.義貞 甚右エ門

45.徳右エ門

46.甚右エ門 徳之進

47.甚右エ門 惣助

48.甚右エ門 甚内

49.甚右エ門 時忠

50.甚右エ門 時義

51.甚右エ門 甚五郎

52.甚右エ門 宮内

53.甚吉

54.甚右エ門 市助

55.甚右エ門 惣治

56.甚右エ門 甚之亟

57.甚右エ門 定次

58.甚右エ門 佐吉

59.甚右エ門

60.甚右エ門 庄之助

61.甚右エ門

62.甚右エ門

63.甚右エ門 

64.トラ 甚之亟 江戸末期~明治

65.寛次郎

66.甚太郎 千田家財産を投入して岩手県昭和橋を建造 岩手は以降発展する。師弟岩手県知事千田正

67.政幸 東和津島神社七子 宮沢賢治師弟 寛子(甚太郎女)

68.忠男(丸子孝法・聖徳太子息子麻呂古裔孫)妻幸子は政幸長女

69.千田寛仁 ③日本国僧侶





熱田神宮 歴史


113年

景行天皇43年

日本武尊、伊勢の国・能褒野(のぼの)にて薨去(こうきょ)
草薙神剣を熱田の地に祀る



195年

仲哀天皇4年

氷上姉子神社創祀



686年

朱鳥元年

草薙神剣が神宮還座



708年

和銅元年

八剣宮創祀



845年

承和12年

尾張浜主(103歳)が舞を奏す



907年

延喜7年

延喜式名神大社に列せられる



1194年

建久5年

源頼朝奉幣 (頼朝公は広瀬さんとこのご先祖様、うちの義経の異母兄)



1377年

永和3年

熱田本『日本書紀』奉納



1560年

永禄3年

織田信長公、土塀奉納(信長塀)



1868年

明治元年

神宮号を賜り、熱田神社から熱田神宮となる



1878年

明治11年

明治天皇御参拝



1893年

明治26年

遷宮にて神明造に改修



1916年

大正5年

大正天皇御参拝



1935年

昭和10年

遷宮



1945年

昭和20年

空襲で被災



1946年

昭和21年

昭和天皇御参拝



1955年

昭和30年

遷宮 再建



2005年

平成17年

天皇、皇后両陛下御参拝



2007年

平成19年

本殿改修着工



2009年

平成21年

造営竣功し遷座祭





ちょーっと思い出したことがあったので、このページを増設しました。