お米が日本で作られるようになったのは、弥生時代からと言われています。
それまでの縄文時代には、稲作がなかったので海産物などを主に食べていたと言われています。
でも実は、日本では縄文時代から稲作をしており、縄文人は米を食べていたのです。さらにお米を発酵させてお酒も作っていました。
神話には次のようなお話があります。
昔々、保食神(うけもちのかみ)という神がいました。保食神(うけもちのかみ)は、人々が豊かに繁栄するように、と神に祈ったところ、天からヒヨウル種(太陽と月の精気を含んだ種)が落ちてきました。
この種を水辺に蒔いたところ、ウル田(水田)のゾ苗(水稲・うるち)となって、八月一日(旧暦)に稲穂が実って大豊作となりました。
保食神(うけもちのかみ)は、兄の豊国主(とよくんぬ)に八房(やふさ)に実った稲を献上しました。
豊国主(とよくんぬ)は、とても喜びました。そして、この稲穂を宇宙の創造主であるアメミヲヤ神と、天之御中主神(あめのみなかぬし)に捧げて、感謝のお祭をしました。
つぎに、各々県主(あがたぬし)に稲を分け与えて広めていきました。そして、稔りの秋祭を楽しむようになりました。
この時から、人々の食料も増えて暮しも豊かになり、国の平和が永く続くようになりました。
人々は、保食神(うけもちのかみ)をイナリ神(稲荷)と呼んで、感謝の気持ちを伝えていきました。
八月一日に、親しい人を招いてご馳走をふるまい、お互いに贈り物をして楽しむ風習が、このときから始まりました。(八朔(はっさく・八月一日)の祝)
ホツマツタエには、結婚の制度が始まったお話があります。
豊国主(とよくんぬ)の後と継いだ、国常立尊(くにとこたち)の第一世代から数えて、第四世代の男神の宇比地邇(ウビチニ)と女神の須比智邇(スビチニ)が、トツギ(結婚)して夫婦になりました。
豊国主(とよくんぬ)までは、男女の区別がない一人神でしたので、男女がトツギ(結婚)することはありませんでした。
男神の宇比地邇(ウビチニ)と女神の須比智邇(スビチニ)の時代からはじめて、男女がトツギ(結婚)する夫婦神ができました。
少名毘古那(スクナビコナ)の神は、庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ていると、ふと閃めきました。
この籾(もみ)を醸したらお酒ができるのではないか、と。
そして、お酒(にごり酒)ができたので、桃雛木(モモヒナギ)の神(宇比地邇(ウビチニ)の幼少名)と桃雛果(モモヒナミ)の神(須比智邇(スビチニ)の幼少名)に、竹筒に入れて献上しました。
桃雛木(モモヒナギ)の神はとても気に入り、少名毘古那(スクナビコナ)の神に、ササナミ神という名前を与えて、後に、ささけ山に祭られました。
(酒(さけ)の由来)
桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に捧げたお酒は、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と呼ぶようにしました。
3月(弥生)3日、トツギの儀式(結婚式)を行い、桃の花の下で盃(さかずき)に酒を酌みほし、月が逆さに写るのを楽しみました。(逆月、さかずき)
先ず男神が女神にすすめて女神が先に、逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んでお二人は床に入られ交わりました。
(トコミキ(床神酒))
これが、3月3日にお祝いする、桃の節句、ひなまつりの由来です。(「ホツマ伝え」)
初代の神武天皇から数えて第10代の崇神天皇(すじんてんのう)の時代、疫病が流行して、国が混乱を極めていました。
そんなある日、夢で大物主大神(おおものぬしのおおかみ)から、次のお告げを受けました。
「私の子孫である大田田根子(おおた たねこ)を祭主にし、酒を奉納しなさい」と。
崇神天皇(すじんてんのう)は、高橋活日(たかはし いくひ)命を呼んで、酒を造り奉納することを命じました。
高橋活日(たかはし いくひ)命は、一晩で作ったお酒を奉納しました。
すると疫病は去り、国が富みはじめました。
お酒が国を救ったのです。
高橋活日(たかはし いくひ)命は、奈良県桜井市の三輪山にある、日本最古の神社である大神神社(おおみや)の摂社(本社に付属するヤシロ)「活日神社」(いくひ)に、杜氏の神様としてまつられています。
この大神神社(おおみや)のご神体である三輪山は、昔から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれています。「みむろ」とは「酒のもと」の意味です。
その時に高橋活日(たかはし いくひ)命は、次の詩を詠みました。
うま酒の歌
「此(こ)の神酒(みき)は
我(わ)が神酒(みき)ならず
倭(やまと)なす
大物主(おおものぬし)の
醸(か)みし神酒(みき)
幾久幾久(いくひさいくひさ)」
(日本書紀)
「このみきは わがみきならず
やまとなす おおものぬしの
かみしみき いくひさいくひさ」
意味としては、この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ、となります。
この詩を古事記ではどう書かれているのでしょうか?
うま酒の歌
「このみきは わがみきならず」
この一行のみで終わっています。
では、ホツマ伝えではどう記されているでしょうか?
うま酒の歌
「此(こ)の神酒(みき)は
我(わ)が神酒(みき)ならず
倭(やまと)なる
大物主(おおものぬし)の
醸(か)みの神酒(みき)
幾久(いくひさ)つくる
杉(すぎ)ば幾久(いくひさ)」
「このみきは わがみきならず
やまとなる おおものぬしの
かみのみき いくひさつくる
すぎばいくひさ」
(ホツマ伝え)
ここでいう’すぎ’とは、杉の木のことです。
すぎの根を使ってお米を発行させると、お米の発酵途中に発する嫌な匂いを消す効果があります。
また、杉の持っている酵母が、お酒が発酵するのにとても良い働きをします。
そのお酒を作るために欠かせない杉の効用を、意図的に隠すために、古事記や日本書紀の中にある「うま酒の歌」から”すぎばいくひさ”の部分を削除してしまいました。
では、なぜお酒を発酵させる際に使う”杉”を隠そうとしたのでしょうか?
そのなぞには、秦氏の一族が関わっているという説があります。
全国の酒蔵では、新酒が出来た頃に緑色の”杉玉”が吊るされます。そして、一年かけてその杉玉は徐々に茶色になっていきます。それが酒の熟成具合の目安となります。
昔は、御神酒(おみき)を「みわ」と読んでいて、神様(かみさま)のことも「みわ」と読んでいました。
そして、酒に酔っている状態が神様とシンクロしている状態であると考えられていて、 お酒は神様と繋がる大切なものとされてきました。
”飲み会”のことを”直会(なおらい)”という人もいますが、これは、素直な心(神様と通じた心)になって人々と交わるという意味になります。
毎年11月14日に、大神神社(おおみわじんじゃ)で「うま酒みわの舞」が巫女によって披露されます。
稲作の話から、お酒の由来になりましたが、お酒の原料となる稲は、縄文時代からつくられていたということが、神話にでてきます。
あなたは、神話だから作り話だと思いますか?
イエスキリストは、聖母マリアから生まれましたが、お父さんはいません。処女マリアのおなかから生まれたと、聖書には書かれています。
世界の大多数の人が信じているキリスト教の信徒は、この話を信じています。
男性との交わりがなく、赤ん坊が生まれるわけがないので、聖書は嘘だ、と非難するキリスト教信徒はいません。
神話の話だからといって、すべて嘘であり作り話しであると非難するのは、処女マリアからキリストが生まれるわけがない、と非難するのと同じことになります。
古事記にかかれている話は、考古学の研究により、事実であることが次第に証明されつつあります。
信じるか信じないかは、あなたの自由です。
ただ、文献に残されているということを、これはどういう意味なのだろう、と読み解いていくと面白いと思います。