100歳超えても現役の水泳選手であるおばあちゃんの話 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

 

 

100歳を超えても、水泳で世界記録を続けているおばあちゃんがいます。

 

彼女は、水泳のマスターズ世界大会でメダルをたくさんもらい、世界記録も量産しているのです。

 

彼女の名前は長岡三重子さん。

 

23歳で山口県田布施町の長岡家に嫁ぎ、53歳の時にご主人が亡くなりました。そして、長岡家の家業である藁工品の卸業を継ぐこととなりました。

 

彼女は商売をしたことがなかったのですが、一念発起して、経理や在庫管理など、常に損失を出さないように緊張の毎日を過ごして、会社を切り盛りしてきました。

 

未亡人となってからは、二人の息子さんが、時々、彼女の様子を伺いに実家に顔を出してくれました。

 

55歳から古典芸能である能楽の稽古を始めるようになり、厳しい修行ののち、神戸の上田能楽堂にて「羽衣」という演目で能を舞いました。

 

人間国宝級の人たちが20人もいる中、素人の彼女が舞台で見事に舞うことができました。

 

87歳で耳の具合が悪くなったので、30年以上続けてきた能楽の世界から足を洗いました。

 

生きる希望を失った彼女を後押しするかのように、長男からの強い勧めで、水泳を始めることにしました。

 

始めは、膝を悪くしたので、そのリハビリ目的でした。しかし、88歳の時にニュージランドで行われたマスターズ世界大会に参加。そこで、なんと銅メダルをもらいました。

 

そして、2年後の90歳のときに参加したイタリア大会では、銀メダルを3個ももらいました。

 

それだけでもすごいと思うのですが、彼女はそれだけでは満足しませんでした。

 

次は、金メダルを取りたいと望むようになったのです。そして、通っている水泳教室の社長に頼んで、専属コーチをしてもらうようになりました。

 

そこから、金メダルを目標とした本格的な水泳訓練が始まりました。

 

長岡三重子さん、91歳からの挑戦でした。

 

92歳のときに行われたサンフランシスコ大会では、背泳ぎ200メートルで、念願の金メダルをもらうことができました。

 

94歳で、200m背泳ぎで世界記録を更新。95歳の時に、得意の背泳ぎだけではなく、平泳ぎにも挑戦。

 

95歳からの平泳ぎの挑戦は、股関節を痛めてしまう恐れがあったので、コーチは及び腰でした。しかし、彼女の強い意思に根負けして、平泳ぎの指導を始めました。

 

96歳の時に参加したスエーデン大会では、平泳ぎで金メダルをもらうことができました。この大会では合計で5個の金メダルをもらいました。

 

水泳競技には、短水路(25mプール)と長水路(50mプール)で、それぞれ50m、100m、200m、400m、800m、1500mの自由形と、50m、100m、200mの平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライがあります。(短水路は25mも)

 

年齢も、18歳から始まり、85歳から89歳、90歳から94歳、95歳から99歳、100歳以上、と5歳ごとに区切られています。

 

平成26年7月31日、長岡さんは100歳の白寿となりました。そして、翌年の平成27年4月に松山で行われた短水路1500メートル自由形で、世界記録を樹立。

 

100歳を超えた長岡さんは、合計25個の世界記録保持者となりました。

 

彼女の健康で長生きの秘訣はなんなのでしょうか?

 

彼女は、「目標を持つことが大事」と言います。

 

記録を達成する喜びが、次の動機付けにもなっているようです。

 

また、長男の献身的なサポートを受けていますが、大会で記録更新したりメダル獲得した時の長男の喜ぶ姿が、彼女の生きがいにもなっているようです。

 

100歳過ぎても、寝たきりでも介護を受けることもなく元気で水泳を続けている、長岡三重子さん。

 

しかも、リハビリのための水泳ではなく、世界記録を更新し続けているのです。

 

彼女は、100歳を過ぎても介護保険をもらう側ではなく、保険料を払う側にいます。

 

また、長男のサポートといってもそれは”介護”や”介助”ではなく、親子で目標に挑戦しつづける”成長”のためのサポートになります。

 

彼女は言います。

 

「苦は楽のため、辛いのは良い薬。

楽ばかりしていると、ろくなことはない。」と。

 

足腰が弱くなったからとか、歳をとったからといって隠居や引退することなく、いつまでも挑戦し続けることで、生きる喜びや希望、そして健康までも維持することができているのだな、と思いました。

 

参考図書

「気と骨」平成28年4月号 倫理研究所