創価学会・公明党は、本当に世界平和を目指しているのでしょうか?
平成17年(2005年)元公明党議員らが、矢野絢也氏の自宅に押しかけ、家捜しと称する無令状捜索を強要して、言論活動の元ネタである国会議員手帳(黒い手帳)数年分を持ち去りました。(黒い手帳事件)
矢野絢也氏は、公明党代表を務めたあと政治評論家として活動し、平成5年(1993年)から公明党と創価学会の実態を暴露した手記を文藝春秋に連載していきました。
その連載を書いた矢野絢也氏に対して、創価学会は、誹謗中傷を聖教新聞誌上で行いました。
手記発表から10年以上経過した平成17年(2005年)5月14日、矢野絢也氏は、創価学会の西口副会長(当時)から、創価学会戸田国際会館に呼び出されました。
そして、青年部が怒っているとし、あらかじめ用意された、手記に関する謝罪文への署名を強制的にさせられました。さらに、その謝罪文が聖教新聞に大々的に報じられました。
翌日の5月15日に、3人の元公明党議員(党中央執行委員を歴任した大川清幸氏、同じく副委員長を歴任した伏木和雄氏と黒柳明氏)が矢野氏宅に乱入。
矢野氏は、公明党と創価学会にまつわる”政界工作”をメモした100冊近くの手帳を引渡すように、3人の元公明党議員から脅迫されました。
執拗な脅迫と圧力に屈してしまい、手帳の引渡しを同意しましたが、手帳は貸し金庫にあるので後ほど渡す、と約束をして一旦3名は帰っていきました。
しかし、手ぶらで帰ってきた元公明党議員3名に対して、公明党の幹部は激しく叱責をしたため、3名は同じ日の夜、再び矢野宅に押しかけて、家宅侵入して、
「極秘メモ」約100冊の手帳(段ボール2箱分)を、無理矢理に押収していったのです。
しかも、多額の寄付金まで矢野絢也氏に強要して。
これに対し、平成17年(2005年)7月「矢野極秘メモ100冊が持ち去られた」と題する記事を週刊現代が掲載。
元公明党議員3名は、「矢野絢也元公明党委員長が、自分の意思で手帳を渡したのに、週刊現代の記事で名誉が傷つけられた」と主張して東京地裁に提訴。
平成19年(2007年)12月、東京地裁は、この3名の元公明党議員の主張を認めて、矢野絢也氏と発行元の講談社に対して、計約600万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じました。
さらに「矢野は、”自らの意思に基づいて”手帖等を渡し、矢野宅内を案内したことが認められ」たとして、手帳の返還を求めていた矢野氏の主張は、一切認められませんでした。
この判決に対して、矢野絢也氏は、元公明党議員3人に1000万円の損害賠償を求めて訴訟。
東京高裁は、矢野絢也氏が敗訴した1審判決を取り消し、元公明党議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じました。
南敏文裁判長は「元公明党議員らは矢野元公明党委員長に対し、多数の創価学会員や公明党員が危害を加えるかもしれないと脅して手帳を渡させ、妻の部屋まで捜索してプライバシーを侵害した」と判断して判決しました。
平成21年(2009年)9月1日、最高裁は元公明党議員3名の上告を受理せず、矢野氏側の主張が認められ、実行犯の元公明党議員3名から矢野氏の元に手帳が返還されました。
言論弾圧と脅迫による証拠隠滅工作。さらに、名誉毀損だとして裁判にまで訴える創価学会・公明党。
内部告発や批判本を徹底的に隠蔽しようとする宗教法人・創価学会(公明党)ですが、そのような隠蔽体質の圧力団体に世界平和など実現できるとは思えません。
世界平和や福祉などを訴える池田大作の表の顔と、実の顔とは異なるのでしょう。
参考図書
『創価学会・公明党が”指令した「脅迫」「手帳強奪」事件の真相』週刊現代4月18日号
「矢野元委員長が逆転勝訴 元公明議員3人に賠償命令」共同通信
「黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録」矢野絢也 著