「はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。
この言葉は、はじめに神とともにあり、萬のものこれに由りてなり、成りたる物に一つとして之によらで、成りたるはなし。
之に生命あり、この生命は人の光なりき、光は暗黒に照る、しかして暗黒は之を悟らざりき。」
(ヨハネ伝 第1章1−5節)
「言葉は神である」と言う言葉とは、生命の振動(バイブレーション)であります。
「言葉は神とともにあり」とは言葉と神は別もので並列しているものではなく、言葉そのものが神であると言う事です。
日本は、言霊の国と言われていますが、その言葉を大切に扱って、悪い言葉を使わないようにしていました。
大東亜戦争中に第二の国歌と言われるほどに、歌われた歌があります。
それは「海ゆかば」です。
その歌詞は以下の通りです。
「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍(かばね)
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍(かばね)
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
長閑(のど)には死なじ」
現代語訳
「海を行けば、水に漬かった屍(かばね)となり、山を行けば、草の生す屍(かばね)となって、大君(おおきみ)のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」
この歌詞を読むと、海軍兵士は、水に漬かった屍(かばね)となり、陸軍兵士は、草の生す屍(かばね)となる、という事になります。
実際、大東亜戦争では、この歌詞の通りとなりました。
言霊の力の威力を発揮したのです。
戦後、北海道のある炭鉱で、事故が多発して、作業員の死者や重軽傷者が頻発していたことがありました。
この炭鉱では、作業中、「海ゆかば」を放送していました。
この状況に困っていた現場の責任者は、ある工員から、この「海ゆかば」の放送を中止してはどうかという提案があり、試しに止めることにしました。
すると、それまで頻発していた事故が、嘘のようにピタッと止まったそうです。
悪い言葉を発したり、それを聞いたりしていると、潜在意識に蓄積されて、その言葉が現象として現れてしまうのでしょう。
もし、戦争中に、「海ゆかば」ではなく明るい歌を歌うようにしていたら、戦局は変わっていたかもしれません。
参考図書
「ヨハネ傳講義」谷口雅春著 日本教文社