昭和11年(1936年)12月12日、張学良により蒋介石が拉致監禁されてしまいました。(西安事件)
この事件で、蒋介石が生きて解放される条件として、毛沢東の八路軍と戦闘することを止め、抗日戦に共に戦うということを約束させられました。
(国共合作)
昭和12年(1937年)朱徳が引率した八路軍(共産党軍)の幹部に対し、毛沢東は次のように極秘指示しました。
「70%は我が党(共産党)の発展のために使い、20%は国民党(蒋介石)との妥協のために使う。残りの10%だけを抗日戦に使う。」
つまり、蒋介石と共に抗日戦に団結して戦おうと協定を結んだにもかかわらず、それは建前であり、実は、日本軍と戦うつもりはほとんどなく、その先に待っている蒋介石との戦い(国共内戦)のために、備えていたということになります。
事実、日本軍と正面から対峙して戦ったのは蒋介石率いる国民党軍でした。
八路軍はゲリラ戦に徹するといっても、一度、日本軍と正面から大規模に戦闘したことがありました。
昭和15年(1940年)8月、山西省・河北省周辺一帯で起きた戦闘で、八路軍が、40万人という大規模な兵隊が正面から攻撃して戦い、日本軍の補給路に大打撃を与え、日本兵276名が戦死するというものでした。(百団大戦)
対支那派遣軍司令官となる岡村寧次大将は、八路軍が以外にも強かったので、その指揮した彭徳懐(ほう・とくかい)を高く評価しました。
しかし、毛沢東は、彭徳懐を激しく非難。その理由は、いたずらに軍備を消耗させたことと、八路軍が強いと日本軍が認識してしまうと、今度は、八路軍を徹底的に殲滅しようと、日本軍が本気になってしまう恐れがあるためでした。
(彭徳懐は、中共誕生後の1958年の廬山会議で粛清され、文化大革命(1966年~1976年)の中、激しい暴行を受けたのち獄死しています。)
毛沢東は、中国統一のために3段階にシナリオを作っていました。
第一段階:国民党との妥協段階
表面上はあたかも国民党政府(蒋介石)に服従しているように見せかける。
第二段階:競争段階
2、3年かけて政治力と軍備力を拡張し、国民党政府(蒋介石)に対抗し壊滅できるまで、継続する。
第3段階:進撃段階
国民党軍(蒋介石)の各地区の交通手段を寸断し、孤立して連携できないようにする。そして、最後に国民党から指導的地位を奪う。
毛沢東は、国民党軍に日本軍と戦わせ、国民党軍の戦力を消耗させたのち、日本降伏後の国共内戦に勝利するというシナリオでした。
このような徹底した戦略により、毛沢東はシナリオ通り、昭和24年(1949年)10月1日、中国統一を果たしました。
毛沢東が生きていた時代、中国人民は、次のように刷り込まれていました。
「抗日戦争を戦ったのは勇猛な八路軍や新4軍(後の人民解放軍)であり、国民党軍(蒋介石)は山に逃げ、特に蒋介石は日本敗戦の後、初めて山から降りてきて、国共内戦(毛沢東と蒋介石との内戦)を始めた。」と。
中共は、「毛沢東は神のごとく神聖で偉大であり、蒋介石は日中戦争において戦わなかった売国奴である」と骨の髄まで染み渡るほど徹底的に、中国人民に刷り込んでいきました。
共産党一党独裁政権である中共では、情報統制をすることは、それほど難しくありません。
中国国内からは、FaceBookなどソーシャルメディアにアクセスできません。
また、中国国内のテレビでは、毎日、抗日ドラマが放送されています。
これは、善玉である毛沢東率いる八路軍(共産党軍)が、悪玉である日本軍をやっつけるという、決まったシナリオの番組であり、中国共産党指導のもと、大量に制作されています。
このようにして、中共は、中国人民に対して、”毛沢東は日本軍と正面から戦争して勝利した”と、『歴史を歪曲』し、毛沢東の戦争を『美化』して教えているのです。
平成27年(2015年)5月23日、二階俊博自民党議員が会長を務める「全国旅行業協会」の関係者ら約3、000人が、北京で行われた日中観光交流イベントに参加しました。
その席で、中国の習近平国家主席は、次のように話しました。
「中国人民抗日戦争、世界反ファシスト戦争の勝利70周年の年に当たって、日本軍国主義が犯した侵略の罪を隠すこと、歴史の事実を歪曲(わいきょく)するようなことがあってはならない。
軍国主義による侵略の『歴史を歪曲』し、『美化』しようとするいかなる言動も、中国人民とアジアの被害国の国民は決して許すことはない。正義と良識を持つ日本国民もきっとこれを許さないだろう」と。
平成27年(2015年)9月3日、北京市の天安門広場で中国人民抗日戦争70周年記念式典を大々的に行いました。
これは、抗日戦争における中国の勝利から70年を経過したことを祝う記念行事でした。
9月3日という日は、昭和20年に日本が、戦艦ミズーリの艦上で、連合国に対して降伏文書を調印した9月2日の翌日という意味になります。
しかし、この降伏文書に調印したのは、中華民国(蒋介石)全権の徐 永昌であり、中華人民共和国は、まだ、昭和20年9月2日時点では建国されておりませんでした。
つまり、中共が、抗日戦争70周年式典を行った、平成27年9月3日というのは、中華民国(蒋介石)にとっての抗日戦争70周年だったのです。
このように中共は、自国の人民に対して、そればかりでなく世界に向けて、『歴史を歪曲』し、『美化』しているのです。
「軍国主義による侵略の『歴史を歪曲』し、『美化』しようとするいかなる言動も、中国人民とアジアの被害国の国民は決して許すことはない。」
と、中共から繰り返し恫喝されても、全く反論することなく、「ハハアー、中国共産党様のおっしゃる通りでございます」、とひれ伏して中共に服従するのが、日本という国なのです。
参考図書
「毛沢東ー日本軍と共謀した男ー」遠藤誉著