在日朝鮮人の蛮行から、神戸の街を救った男 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

昭和20年8月15日、日本が降伏しました。

 

それから間も無く、国鉄深川駅構内の貨物列車を襲撃して、配給物資を略奪。

日本全国に滞在していた在日朝鮮人たち(三国人)は、略奪、暴力、婦女暴行(レイプ)を繰り返していました。

 

三国人は、特攻隊員の特攻服を好んで身につけていました。

 

袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引さげていました。

 

通報を受けて、日本の警察官が現場に行っても、在日朝鮮人たちは、「俺たちは戦勝国民だ、敗戦国のくせに生意気だ」と言って、全く太刀打ちできませんでした。

 

終戦時、日本国内には、在日朝鮮人と在日台湾人は、約200万人住んでいました。

 

兵庫県には、日本全国の在日(三国人)のうち、7%に当たる13万5千人が住んでいました。

 

在日たちは、三国人連盟を日本全国に300箇所作り、テロや略奪を繰り返して、その略奪した品物を闇市で売ってぼろ儲けしていました。

 

そんな無法地帯と化した神戸の街を救った、ある男がいました。

 

彼は、昭和20年8月末、人通りもすくない病院の裏手で女の悲鳴を聞きました。

途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。

 

「どないしたんや」

「おかあちゃんが、おかあちゃんが」

 

少女は泣きじゃくりながらその男にしがみついた。

この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。

 

「ここにいるんやで。ええな」

 

男は、少女をその場において一目散に走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。

 

その在日たちは、不敵な笑いを浮かべて、女の手足を押さえつけて、一人が、その女の上に乗っかっていました。

 

女はひたすら絶叫していました。

 

「汚ねえ」

 

男は、その光景を見た瞬間、とっさに目潰しを、相手の在日朝鮮人たちに与えました。

目から血を流しながら、在日たちが逃げ去って行きました。

 

レイプされていた女性は、ぼろきれのようになって、その場で放心状態になっていました。

 

「しっかりするんや、わかるか」

 

と体を揺り動かしても、虚ろな瞳孔を開いたまま、突然けたたましい笑いました。

精神的ショックのために、精神に異常をきたしてしまったのでしょう。

 

この女性の娘は、遠くからじっとこちらを凝視して立ちすくんでいました。

 

「許せん!」

 

男の血は激しく燃えちぎりました。

 

「このまま、在日たちに神戸の街をのさばらしておいていいのか!

 

報復を恐れて誰も立ち上がらないのなら、俺一人でも立ち上がり、在日の奴らの前に立ちふさがってやろう。

 

私は許せないのだ!」

 

無法地帯と化した神戸の街を救おうと、男は自警団を組織しました。

そして警察の代わりに神戸の街の治安維持に努めました。

 

その男の名は、田岡一雄。

 

のちの山口組三代目組長となる人でした。

 

参考図書

「山口組三代目 田岡一雄自伝」