「認める」は至難の技なんだな~これが>< | 〇 シャボンのしゃぼん玉 〇

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見たまま、感じたまま、思ったこと、したことなど
色々と書いてしまうブログです^^

認めるってなんだ!?



1 目にとめる。存在を知覚する。気づく


2 見て、また考えて確かにそうだと判断する


調べると こう出てきたぞ。



厄介です。えぇえぇ、とても厄介です。


シャボンは「決着」と言うタイトルの日記の際に


自分の歴史を書く!と宣言しましたが、そう、


本当に今まで生きてきた歴史を書いておりまする。



そこで、気づいたことが。



「親子の役割逆転」。


なんと言うか、親が子供に甘えるということですな。



これ、シャボンにあるんじゃないかと思ったのでごじゃる。



シャボンは子供が好きです。

他の子供も好きなんです。

なんと言うか 小さい子供であればあるほど

笑顔もありのままで 

なんか、キラキラしてるんですね。


なので、わが子もですが よその子の自然な可愛い瞬間の顔など

写真に写すのが大好きです。



話は戻り このシャボン。

子供が二人います。


ゴミ箱に ゴミをシュートし 失敗しては怒り

入ったら 大喜びする8才の息子から


髪の毛をうまくカールが出来た~音譜

私って天才~などと言う15歳の

軽度知的障害の娘。


これをね、

シャボンは


「うわー!すごーい!ママにはマネできんがなー!」と

子供の立場に立って

共に喜んだり

大人にとって たわいもないことでも

「よくがんばったなー!」とか


その本人の頑張りを認めて、共感してあげる。


そのことが シャボンにはとてもエネルギーのいることで


褒めるということ


或いは 認めるということ


それを 自分の歴史を書いていると 自分がして欲しかったことが

どんどん出てきて


認めて欲しかった・・・の思いが

分かれば 分かるほど


そんな思いを自分の子供達にさせてはならないぞ


と 改めて思い


しかーし


このシャボン、これには とてつもないエネルギーがいるんですな。



なぜか。


それは、自分が認めてもらいたいのを 未だ認めてもらえない

不足状態になっているからだ。


鬱病は

不幸だと、自分が不幸なんだと叫ぶ。


風邪ひいただけでも もうアカンわ・・・となる。


皆に叫ぶ。「私、もうしんどい」と。


周りは言うのだ。


「たたが風邪じゃないか。そんなに悲観的になることもない


ならば、風邪薬を飲んで 早く寝たら良いじゃないか」と。


そんな事を言って欲しいんじゃない。


もう、全てのことに 頑張ってるんだと 自分を認めて欲しくて


どんな風に叫んだら 自分を分かってくれるのだろうと


もがくのだ。


これでもか!?と、日々 ブツブツと言ってる。


それが 周りには うざい。


なんて悲観的なんだ・・・ったく 風邪一つで・・と。



自分が認めてもらう。


自分自身を見てもらってる。


温かさをもらってる。


安心してる。



その状態が土台となり、初めて 自分の大事とする人、


例えば シャボンの場合 子供に温かさをあげられるのだ。



自分が冷たい氷のようなものを抱いたままで


人に温かいものをあげられない。


たとえ あげられたとして それは とてもエネルギーのいることなんだ。



だから、厄介だ。


自身が アダルトチルドレンでありながら


「親子の役割逆転」と言うことにならないように


子供に十分な甘えを、安心を、与えるというのは


本当に難しいじゃねーか、この野郎ーーと


歴史を書きながら 思っちょります。



大事とする子供が アダルトチルドレンになる。


連鎖する鎖のように つながってしまうのだ。



この鎖を切れよ、シャボン。


硬いなー、ったく、この鎖ってヤツぁぁぁーがーん



って事で 8才の息子の懇談に行ってきまうへジェッ