今年も、”こっくりとした”というなんとも”こっくりとした”形容詞がファッション誌とかに乱打される秋になりました。
いや、サマータイムが終わった今、秋って言うより冬な気もしないでもないですが、そんな季節に”こっくりとした”ラフマニノフが聴きたくなる気がしないでもないです。
瑠璃色の地球に浸って、ひきこもりつつ、地球の安全を祈っていた日々。今日は、久しぶりに繁華街ロイヤルフェスティバルホールへ向かいます。
Sergey Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
Sergey Rachmaninoff: Symphony No.2
London Philharmonic Orchestra
Vassily Sinaisky conductor
Pavel Kolesnikov piano
随分前にWEBで購入し、すっかり価格とか座席とか忘れていたのですが、価格£9-のCHOIR席(ステージ背面で、座ると客席が見える席)でした。
£9-でロンドンフィルハーモニックオーケストラが生で聴けて、£9-でラフマの3番が生で聴けて、£9-で指揮者を真正面から見られるなら、もぅ御の字です。
ちなみに、立派なパイプオルガンの椅子のすぐ脇です。
完売御礼でスタート。
ちなみに、指揮者もピアニストも知らない人です。
お、ピアニストが、かなり、若い。人を見た目で判断してはならないことは十分承知しているのですが、一瞬子供か、学生さんが現れたのかと正直びっくりしました。
ま、まるで、スヌーピーとかに登場してきそうな、愛らしい笑顔の空気感で、これから難曲ラフマと取っ組み合うのかと思うと、ハラハラしました。←大きなお世話
(Pavel Kolesnikovさんの弾きっぷり映像はこちら)
ってか、さらららららって弾いていきます。座席位置的に音には期待していないのですが、ピアノよく響いて(鳴って)います。オケも素人の耳の僕ですが、安心して聴けて、妄想が膨らんでいきます。
ってか、ラフマ3番って、美しい旋律がバンバンでてきてそりゃあ美しい楽曲だとは思うのですが、今まで何回も聴いてきた印象としては、美しいだけではなくて、なんか、そう、もっと、こっくりとしたものがドロドロ静かに流れている気がしていたのですが、今日のラフマはとってもさらさらしています。
ピアニストも、顔を真っ赤にすることも無く、腰を浮かせて強打するわけでもなく、ある意味、”あたらしい美しさ”みたいなのを創造発信していきます。 それはそれで悪くないです、意外でしたけど。
指揮者も、なんだか今まで見てきた人とはちょっと違う落ち着き感、嫌いじゃないです。
オケ、今まで聴いてきたラフマ3番の中で、かなり好みな安定感と盛り上がり感があります。
でも、、、個人的に、ラフマ3番というと、96年の映画”SHINE”を連想する系なので、なんか、、、、なんか、、、
もっと、、、、魂を削り出すような格闘感みたいな、、、、そんな感じを探して求めてしまう自分。
同じ形容詞”さらさら”でも、ベレゾフスキーには察する”こっくり感”みたいなのが、まるで王子様(89年生まれの25歳とのことです)には、、、、無い。でも、端正に美しく安定して弾ききっているので、これは、もしかしたら、今の”若者の時代”がそういうものなのかもしれない、と自分に問うてみたりもしました。
じゃあ、自分は、フジコヘミングが好きなのか、と問えば、好みではないのです。
じゃあ、なんで、今、自分は、ここに、知らないピアニストのラフマを聴きに来ているのか、とそんなあたりまで、脳内禅問答が展開しました。
きっと、生オケを聴きながら、こんな脳内禅問答を展開させられる時間って、将来振り返ったらきっととても贅沢なんだとも思います。
って、そんな財も生み出さない脳内禅問答をしつつ、観聴きしていたら、、、
なんと、2列前の観客が急に体調を崩し、失神してしまう事態が発生。
演奏に影響させずに、連れの人、周りの人、係の人、それぞれが思いやりのある対応で、幸運にも間もなく意識を取戻し、演奏は継続されました。
初めて展開した目の前の出来事、正直、衝撃でした。演奏よりも、ずっと”現実”でした。
こういうことはアリエナイことではないし、しかるべき対応がとられたと思うのですが、本人の衝撃とか、お連れの人の悲しみとか、思いやると切なくなりました。
そして、幕間後は、ピアノ無の交響曲2番。
これまた、美しい楽曲です。しつこいくらい(←褒めてます)美しい旋律がかぶさりまくってくる中で、再び、
脳内禅問答。
集客にも絶大な力があるであろうこの選曲といったって、年に限られた回数しか演奏されません。そんな中で、
今日、ここに来られて、見ず知らずとはいえ大量のお客と同じ楽曲の縁があって、知らない演奏者とはいえ、2時間半時間を共有しているこの時間。。。。。それはきっとありがたいことなんだなぁという答になりました。
もしかしたら、”瑠璃色の地球”余韻がまだこっくり染み付いているのかもしれません。



