というわけで、トラファルガースクエアに着いたのは15時過ぎ。でも、いいのです、17:30過ぎに予定されている花火が見られれば。
さて、数年前にも観た記憶のあるチャイニーズニューイヤー祭り@トラファルガースクエア。入退場別に出入口を分ける工夫をするほどに、結構人が賑わっていました。
こういうその国の文化を表現する祭りって、結構好きなんだよねぇという期待を胸にしばし舞台を。
と、観るにつれ、数年前の記憶が甦ってきました。
そう、中国は巨大な大陸、いろんな文化があって部族がいて、それこそいろいろなんだ、ということは想像できます。
でも、、、
なんだか、ちょっと違和感。あくまで、自分の期待とのずれ(というのは往々にしてあるものです)という意味で。
なんていうか、
それ山奥とかに無いよねぇと思わせる、モダンといえばモダン、でも、ケミカルといえばケミカルな衣装と装飾品。
それ大昔からでは無いよねぇと思わせる、シンセサイザーな音楽。
それ伝統的な振り付けでは無いよねぇと思わせる、西洋的振り付け。そして、強烈な訓練を積んだとは思えない技術。
文化って生ものだし、いろんな影響を受けて変わっていくものだろうから、それはそれでいいのかもしれません。
でも、オリジナル感を期待していた僕には、どれもこれも、なんとなくどこか別の世界のコピーのように見えてソワソワしました。このコピー感というのが、現代の中国っぽくてイイのかもしれないけれど。
ふと考えました。
もし、これだけ大きな規模で、日本フェスティバル(数年前に某マーケットで観たJAPAN祭りのショボさっぷりも相当なものでした)を開催したとしたら、どんな人がどんな出し物するんだろう。やはり、強烈に訓練を積んだ団体というよりは、県組織みたいなところから、太鼓とか踊りとか出てきて、そして、お約束のように子供の団体で観客のポイントを稼いで、って感じになるのかな。なかなか、やる方としては大変なことだな。
一番気になったのは、これだけ大規模な会場を用意されているにも関わらず、舞台上の司会者も司会進行も踊り自体も、なんとなく、ちまちました感じで展開していって、、、、この近所にあるウエストエンド関係者とか、ロイヤルバレエの表現者とかにとっては、きっと、何の刺激もない祭りなんだろうな、と察しました。
意外だったのは、屋台。ビジネスに長けた中国人のお祭りということで、屋台もかなりな出店かと思いきや、かなり寂しい品揃え(李錦記のソース屋とかバクチク屋、紙飾り屋位)。
舞台の電光掲示板では、既に終わったスケジュールの告知を映し出しているし、、、。スポンサーがCATHAY PACIFICらしいし、至る所にみかけるHAPPY NEW YEARの掲示にも広東語が見られる。ということは、本土というより、ホングコングの光るセンスも反映されているはずだろうに、この”田舎感”ってどうしたものでしょう。
なんだか、肩透かしなような余韻を抱えたまま、期待するは、エンディングの花火。花火にむけて、観客数もますます増えて、期待が高まります。なんだか小雨も降り始めたけど。
そして、エンディング。
ネルソンの塔に龍の映像を映したり、なんだか期待が高まります。あ、ちょっと、欧州のある国の観光資源”光のショー”的チープ感はあるけれど。
花火がちょっとあがりました。シュっとした感じで、開かないタイプの花火が。
そして、また、イメージ映像が塔に延々と。。。
そして、またちょっとシュっとした花火が。カメラを構えた時には、すでに闇。
そして、また塔の映像。。。。
って、なんか、これ、北京五輪時の、CG事件を彷彿とさせるような。。。なんだか、多国籍な観客もポロポロ帰り始めている。。。。なんだか寂しいエンディング。。。。あ、日本だって花火の後は寂しいって言うし、、、っていうか、全然違う、このショボさって、、、なんて言っているのは僕だけなのか知らん。


