最近よく耳にする質問で、
『自分が何をしていいのかわからない』
『何が好きなのかわからない』
という問いに対して、ある方に聞いてみたのです。
すると、心(ハート)が軽いか重いかで判断されているとのことでした。
確かにそうですよね。
私もそんな感じの判断基準で決めております。
人生は選択の連続ですが、目の前のことに対して心がずっしりとして重たくなるか、軽くなるかで判断しているんです。
決められないという人の場合、心ではなく頭で考えているんです。
例えば、自分がこれをやめてしまうと損ではないか、とか。
人に迷惑がかかるとか、気づくと常識に囚われてしまって、頭で考えるからガッチガチになり、選択肢がとても狭くなっているんですよね。
そんな狭い価値観や囚われの中にいることが当たり前になっていると、そこからピンとくるものにはなかなか辿り着けないんです。
そんな状況で、自分が何になりたいのか、何をしたいのかを考えてもやはり難しい。
なので、いきなり自分が何になりたいのかよりも、都度目の前の選択で、これでいいのかどうかを心に聞くんです。
それを手にする自分、それをしようとする自分の心がどんな感じか。
ずんと重いか。気が進まないか。モヤっとするとか。
これだとNOなんですよ。
逆に、選択するとすると心がパーっと晴れるとか、軽くなるとか、ワクワクするとかそんな感じだと心がOKを出しているんです。
これを繰り返すと、直感も冴えるんですよね。
多くは、せっかくの直感や心の答えに対し、常識を被せ、常識でものを考え、
「でも、こうなったらどうするの」
「でも、あの人がなんて言うかわからない」
「でも、ずっと長年してきたし」
などなど色んな言い訳をするんです。
この時、感覚重視(心)ではなく頭で考えているのですよ。
何度もこれ繰り返し同じ場所で動けなくなっている人の場合、
心で感じては頭で打ち消しているケースが非常に多く、そこで諦めている気がします。
心がモヤっとするのは、結構当たっているんですよね。
(不安とモヤッとするのはまた種類が違います)
私の場合昔から、ある話を人にしようとすると、自分の心を見るんです。
すると、モヤっとしたり、重くなったり、話さない方がいい気がすると、その話をしない方がいいんですね。
ですがこの感覚を無視して、「でも話した方がいい!」と強引に話すと、大抵のケースで相手が不快に思ったり、嫌な顔をしたりなどなどがありました。
この感覚は信じた方がいいですね。
心がざわざわやモヤモヤを発しているのに、頭で考えて強行突破をすると、ロクなことにならないということを散々学んできたので、心の感覚を重視しているんです。
こんな感じで、目の前の選択を一つ一つ自分の心に聞きながら、
モヤっと来るか来ないかで判断すると、必ず自分にぴったりのものに行き着くんです。
わからないのに一足飛びに無理やり何者かになろうとすると、
大事な工程を無視することになることから当然無理が生じ、
一気に全部の嫌なものをやめたはいいけど、不安だらけ、何をしていいかわからない、と路頭に迷ってしまうんです。
もうこの先嫌な予感しかないのです。
ちゃんとそのことに対しての自分の心は重いか軽いかを感じる。
モヤっとくるのは警告ですので、ちゃんとそれを重視すること。
もやっときているのに、強行突破するのは、頭で考えていて、自分の心よりも、周囲や常識に囚われて自分を犠牲にしているんですね。
自分の心の声やモヤっとすることを無視していると、モヤモヤが強くなりますし、生きがいとか楽しみとかワクワクとは無縁になります。
すると我慢の連続になり、イライラしますし、当然体に症状が出ます。
我慢をし続けると、呼吸が浅くなったり、胸が重いとか、ハート付近に出ますし、あとは感情が出やすいのが腸になります。
頭は誤魔化しが効くんです。
でも、腸は誤魔化しが効かないのです。
便秘や下痢、膨らむとか、諸症状がある時、腸は何かを訴えております。
心が快適だと、腸も快調です。
必ず連動しております。
私の娘の場合、誰かが嘘をつくとお腹が張るようです。
これは百発百中で、自分に関連する嘘をつかれるとお腹が張るので、腸は特に周囲のエネルギーを如実に感じるんです。
私の場合の合わないケースは頭では楽しいはずなのに、心がザワザワする、
目を合わせられない、となります。
頭ではわからないんです。
でもハートやお腹は如実に反応している場合は、自分の体がいち早くエネルギーを感じとり、警告を出しているんです。
こんな時、相手に合わせることで精一杯になっていると、
「あれ?おかしい、うまく話のリズムに乗れない?あれ??」
となるんです。(内心結構慌てます)
仕事ではこのようなケースはありませんが、昔からこれがありましたね。
この兆候が見られると、体も心もNOと言ってるんです。
昔ほどこの感覚を無視して、結果ズタズタに傷ついていました。
本当はそこにいてはいけない、会わない場所だったのに、無理にそこにいたからなんです。
もし昔の私がその体と心の兆候にちゃんと気づいていたら、きっと嫌な思いはしなかったと思います。
心がザワザワ、モヤっとするような感覚を無視して、この人たちと仲良くなりたいから!と無理やり参加して、散々な目に遭うこともなく、スッと離れて、モヤモヤ・ザワザワのない人と打ち解け合うようにしていたら、いつも心は軽快で、自分の話を受け入れられて、楽しい人たちと過ごしたと思います。
こんな感じで、心や体はセンサーです。
私は昔、合わない人たちに必死に合わせ、お腹もパンパンに張りながら、心も落ち着きがなくハラハラして、合わない人たちに気に入られようと、仲良くしてもらいたくて必死に話をしては浮いてしまい、シラーっとされて、どれでも無理やり絞り出すように話をして、ヘトヘトになっていました。
朝起きると、体は鉛のように重く、寝る前も起きた後も反省会をしては、自分の発言のバカさ加減を思い出し、自分を責めながら起きるということを繰り返していました。
こんな調子で、どうやって自信を持てというのでしょう。
無理に決まってるんですよ。
頭で考えて、無理に合わせて、合わない人たちに気に入られようと必死になっているので利用されるし蔑まれるので、妙に攻撃的な気持ちにもなるし、もうめちゃくちゃでしたね。
しかも、アゲの場合は、人から向けられるマイナスな感情が突き刺さって体に症状が普通の人に比べて非常に出やすく、これをエネルギーコードを繋がれるということなのですが、エネルギーを吸い取られるし、相手のマイナスな感情も入ってくることから、バランスを崩すのです。
だから余計にキツい。
かつての私は、辛くてキツい環境こそが自分を鍛える!と思っていたのでここから逃げることもしなかったから、余計にキツいし辛いんですよね。
まぁ、そのほかにも出来事には意味があって、繰り返し起こる嫌な出来事というものは、ものすごい学びが隠されているので、そこに気づきなさい!という意味で来ておりますね。
ここをクリアしたら次のステージなので、そうなると進んで嫌な思いをするよりも、ここに隠されている気づくべき「気づき」は何なのか、を探った方が断然早いんです。
ちょっとわかったつもりになっていても、ちゃんと腑に落ちる気付きじゃないと、また同じような案件できますし、本当に上は抜かりなくきますよね。
ということで、
①自分の心をちゃんと感じることを重視していくこと。
②その上で、繰り返し起こる「なんで!?」というトラブルや出来事をちゃんと見つめ解読して気づきにしていくこと。
これが大事です。
無理に針の筵に入って修行なんてしなくても、ちゃんと出来事は必ずおきますので、ここを解読していく大切さです。
私自身このお手伝いができるように日々精進しておりますし、いつも研究・考察しております。
ですが主役はその人自身なんです。
私がその人の人生の答えを出すのではないです。
あくまでお手伝い。
もっと言うと、コードを繋ぐ人とは、あなたを守る目に見えない存在の「上」が設定したぴったりの人材で、そこに気づきがたくさん入っているのです。
自らの人生のためにと立ち上がり、私のセッションを上手に利用してください。
自らが主体となって能動的に動かしていこうとすると、事が動きます。
考えようとせず気づこうとせず、受動的で、やってもらおう、背中を押し続けてもらおう、コードカットさえすれば・・・はちょっと違うね。
必ず相応の結果になる。
そうそう、最近また新たな能力が出まして、その人の真髄の傷を見ることができるようになりました。
真髄の傷とは、ほとんどの人が持っているもので、その人のメインの傷になります。
その傷を見て感じることで、更にその人に起こっていることを合わせて見ていくことで、上が何を伝えたいのか、気づかせたいのかを現状の問題と合わせてより深く見ることができようになりました。
実は傷というよりも穴の人も多くて、その穴を隠して生きるんですね。(塞ぐよりも、隠すんです)
なので劣等感になったり、焦りにつながるんです。
その歪みから問題が生じやすくなったり等、いろいろあるんだなぁと。
ここもまた目下研究中であります。
新しいセッションメニューも続々登場しておりますが、重要そうなものだけ一部抜粋して紹介します。
絶対的順位
相手が掴んで離さない順位のこと。
・好意を持たれたことを握りしめ「好きになったものが負け」のような、勝手に上下関係をつけられる関係性、相手が優位になっており、関係性がひっくり返ることはありえないので、相手に対して怒ることも何故か出来ないことも多い
・優しくした方が奉仕する側と固定されてしまい、ずっと優しく奉仕し続けなければならないような関係性
・学生時代にカーストトップで、何年も経つのにそれを握りしめてトップという座を譲らないで優位になっている
という感じで、絶対的順位を入れられてしまうと、いつだって相手の下の存在にされ続けその人を見上げる形にされてしまうもの、何年経っても相手の下にされてしまうもの、決してその順位は譲らないというものです。
責務の石の破棄
周囲の方達から「やっとけよ」という責務の石のようなものを入れられ、これを入れられた以上動かざるを得なくなってしまうというものです。
もしその前に「これできますか?」と提案をしてもらえれば判別することができるのですが、その提案をすっ飛ばして責務の石のようなものを入れられてしまうので、断れないのです。この石の内容の多くが「相手が一番やりたくないもの」であり、それを丸投げしてきます。
そして入れられる人の中には、この石が入るくらいの大きな穴があります。「嫌だ、私やりたくない」とこの石を拒否することや穴を塞ぐことを許されず、またやってあげた後に感謝がないので「やり終えた」という実感もないままにモヤモヤが続いていきます。
お礼を言わないことで頼まれごと=責務が完結しないので、相手は意図的にお礼を言わなかったりします。
責務が完結しないまま、穴が空いたまま、放り込み続けます。責務の石は毎度投げ込まれるようで、大きな穴=思い込みを塞ぐことが大事です。
今は東京におります。
風も強く、寒いですね。
気温10度とはいえ、冬物コートとマフラー必須です。
冷たい風が服の中に入り込んでくるので。
東京は確か5ヶ月ぶり。
やっぱり楽しいなぁ。
昨日は東京に住む娘とできたばかりの港区の麻布台ヒルズに行きましたが、なんかとってもかっこいい〜。
ああいう高級感のある雰囲気好きだなぁ〜!
今日は息子にも会って、三人で焼肉を食べました。
盛り上がって楽しかったな〜。
日本橋でエゾ松の苔玉を購入しました。
とにかく可愛い!
そして、岐阜県高山市でみつけた万歳布袋の置物。
小さくて可愛いのと、見た瞬間「わー!可愛い🩷」と一目惚れで即買い!
早くこれらをお家のお気に入りコーナーに置きたいな♩
この万歳布袋さんを見てると、
なぜか既視感、、、
、、、あれ?これ、カラムスコットのコンサートで大はしゃぎしてるわたしの写真に似てないか?!笑笑
笑って頬が盛り上がってるところとか、
自分でもあの写真の顔は福相だなーとは思ったけど、
まさかポーズまで似てるとは!
布袋さんはお腹に「福」とあり、私は白鳩がプリントされてたし。
今は品川に泊まってるけど、部屋の雰囲気がイマイチだったのに、これを置いたら一気に部屋の波動や雰囲気が良くなったわ。
やはり、お気に入りのものを素敵に置くのって波動が上がるし、エネルギーがあがるね。