ゴールデンウィークですね。
今日は午前中に雨が降っていたのに、午後からは晴れてます。
どこにも出かけずに家でのんびり過ごしてます〜。
今日は独り言を書いてみようと思います。
執着について
私は結構スピ歴が長いんですが、よく禁止事項というか、言われていたのが、依存はいけない、執着はいけない、なんですよね。
依存は良くない、なんて言葉は、かれこれ20年くらい前に流行ったんじゃないかな。
最近は依存は良くないとか言われなくなったし、
なんなら依存先が多いこと=自立
なんて言われるくらいになりましたよね。
(人は依存なしでは生きていけないのよ)
で、執着なんですが、執着といっても色々あると思うんです。
人に執着するとか、物事に執着するとか諸々。
魂レベルの高い人は執着はないかというと、そんなことはないと思います。
私なんかは、絶対にこれが欲しい!となると、何がなんでも手に入れるところがあります。
これを執着と呼ぶ人もいるのかもしれないんだけど、「それっていけないの??」なんですよね。
執着が悪って、それは何かというと、
多分『死んだ後に執着が多いと天に召されないから、だから執着を手放しましょう』みたいな感じだと思うんですけどね。
例えばお金に執着とか、家に執着とか、取り憑く感じなのでしょうね。きっと。
実際に、執着まみれで上に行けずにこの世に残っているひともいるし。
で、魂レベルが高い人で執着がすごいという人の場合、そういった類ではなくて、「絶対にこの光だけは失いたくない」といった類のものであって、
それは「もう二度と、大切な光を奪われてたまるか」という、あまりに激しく、あまりに高潔な「生命の叫び」なんです。
これを「エセスピ」のように「手放しましょう」などと言うのは、生きる力を捨てろと言うに等しい暴論なんですよね。
私自身の大切な光を奪われたくない!など、家族や大切な人やものに対してのこれは執着と思っていたけれど、実は「信念」だったんですよね。
なので自分に対して「執着だ」と言って責めなくてよかったのです。
かつて、執着を捨てることがスピリチュアルのゴールだと言われていた時代、多くの人が大切な思い出や自分のルーツさえも手放そうと苦しんでいました。 でも、それは少し違うんじゃないかな、と。 自分の心に素直に、正直にいるのが一番いいですよね。
結構、ここに来る人で、信念のことを執着と捉えている人がおられるかもしれないので、書かせてもらいました。
私も自分で執着が強い、と思っていた一人だったので、これに気づいた時に結構ホッとしたんですよね。
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粘土の破棄について、Mさまより感想をいただきました。
共依存の粘土と贖罪の身代わり地蔵の粘土の効果がすごいです。
視界が明るく軽くなったのととにかく軽いです。
あと、
今までは親の望むような役割通りの人物で居させられる感覚があっ
末っ子でいつまでも自立できず親の世話になることで親の自尊心を
ずっと残っていた自分は自立ができていない、
→親に押し付けられていたペルソナが取れた感覚です!!!
あと、本当に親のことがどうでもよくなる感覚が出てきました。
いつまでも反応してしまっていた親の影から解放された感じです。
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Mさま。感想掲載を承諾していただき、ありがとうございます。
実際変化があるようで、本当に良かったです。
こちらは桜が満開を過ぎた頃。
昨夜激しい雨だったから、かなり落ちたかな。
写真は5/1のもの。
たまたまバスを降りたところの大通の地下にアイヌのクラフトショップがあって、額縁つきのアイヌの刺繍に目が行きまして。我が家のコロポックルにぴったりじゃないか!と購入。
多分この額縁も手作りみたいです。
新しい木の香りがとてもいい。
コロポックルは阿寒のアイヌコタンのオイナ民芸店で購入したものです。
どちらも小さいサイズでめちゃ可愛い💕
https://peacock-blue-heaven.com/page/introduction/




