いろんな魂レベルの高い人、すなわちアゲさんを見てきていつも思うこと。
アゲは元々個性的で出来上がった状態なのです。
なので集団でつるむ必要もなく、自分独自の常識(アゲ常識)を持っております。
そのアゲ常識はアゲにとってはとても理に適っており、集団に属さなくても気楽にしたいことをして生きるし、その方がとても生きやすいものです。
ただ、特に日本においては、集団で生きることこそが大事と教えられておりますし、今の時代よりも、昔になればなるほどに、皆と同じことをするようにと強要されてきました。
なので目立つ事、他の人と違うことをする事や、別行動とか、効率重視に動くなどをすると、途端に目をつけられたのです。
例えばひと昔ですと、新聞くらい読まないと大人として失格とか、普通にありました。
早寝、早起き、節約、勤勉、努力、練習、根性、皆と仲良くしないといけない、悪口を言ってはいけない。
集団行動、好き嫌いなく、不平不満愚痴を言ってはならない、飽きっぽいのはいけない、
友達たくさん、コミュニケーションを取らないといけない、
などなど、
たくさんの〜〜すべき、
〜〜じゃないといけない、
常識を守らないといけない
蔓延してましたし、今でも当たり前になってますよね。
割と多くのアゲは、「それになんの意味があるの?」と思っておりましたが、昔であればあるほどに、そんなことを言うと張り倒されましたし、疑問の声を上げることが変な奴とされてきたので、親や周囲などから徹底的に躾けられてきたんです。
とにかく普通じゃないと徹底的に躾けられて、アゲが個性を出すとすっ飛んできて、全否定されることも多かったため、アゲの人はどんどん自信を無くし、個性を出すことを許されないために、自分を疑うようになり、アゲは割と完璧主義が多いので、徹底して自分を律し続け、誰よりも努力したり、
またはストイック?に周囲に合わせたりと頑張ってきました。
まぁ、ストイックに自分を抑えて周囲に合わせるものの、周囲からは「なんか違う」とされることもまた多く、それはサゲの人たちに比べて人間的な深みも違うし、頭いいですし、そもそも魂レベルが違うので波動がまるで違う。
すると、人はどんな人も自分と波動や波長が合う人を好きになるので、やはりアゲは浮くわけです。
そこでまたアゲは、浮いてしまう自分を努力して変えようとして、気を遣いまくる。
すると、必死に気を遣いまくるので、周囲は「なんかちょっと、、、(合わないかも?)」となるのです。
このパターンはとても多いのですが、アゲが自分を見失い、自分が信用できず、周囲に受け入れられてこそ!と思っているので、そもそも自己価値が低いわけです。
集団の中に入って、みんなと楽しく、友達多くてそつなく付き合い、バカにされずに愛されて和気あいあいになることを目指し、そのために必死に周囲に合わせてきたのに、皆が合わせてくれない。
なんか、むしろ離れていく。
打ちのめされているところに、意地悪な人が来て、攻撃してくることもあり、踏んだり蹴ったりなのです。
このパターンは、自己肯定感の低さ、自己価値の低さによって、自分を抑え、周囲に安売りして合わせてしまったために、同じく自己価値の低い、自己肯定感の低いサゲやバンパイヤがここぞとばかりに攻撃してきて、コードを繋ぐのです。
こんなパターンな訳です。
アゲは、集団に馴染めない自分が悪いと思い込み、徹底的に自分を更に律し続け、身を粉して頑張るわけですが、この頑張りが凄まじいの知ってますか?
サゲ常識を徹底的に研究し、自分に叩き込み、集団に受け入れられるためにとにかく迷惑をかける存在になってはいけない!と、過度な位に勤勉であるため、学業でもなんでも凄くこなす。
でも自己を肯定しないので、自己肯定感が低い。
なのに成績がいいから妬まれる。
妬まれると、わざと成績を落としたり、辞めたり、とにかく集団に合わせることばかりしている。
もしくは何を言われても耐え続ける。
文句を言われようが、睨まれようが、合わせ続けるのです。
その横でサゲは、サゲ常識(一般常識)を、適当に守ったり守らなかったりしているのです。
実はミスだらけ。穴だらけ。やったつもりになって、
まるでごっこ遊びのお仕事内容。
はぁーストレスだよ!とか言いながら、会社ですごく頑張って稼いでいる大半はアゲなんじゃないかな(怒られる??笑)
もう、諦めませんか?
サゲに合わせるの。
どんなに合わせても、向こうが受け入れない。
なんでアゲがサゲに合わせるの?
サゲって、浅いよー?
めちゃ浅いよ?
アゲなら散々見てきたでしょ?
そろそろ自分自身を見つめなくちゃね。
自分に攻撃をしてくる人を見てください。
この人も自己価値も自己肯定感も低いですから。
こういう意味で「鏡」になります。
もしアゲが誰にも媚びず、自分の生き方をし、失礼を強要されてもNOと言えたら。
もちろん急に変えるとサゲからの反発もあるけれど、それでもどんどん嫌がらせも揶揄い(からかい)もなくなります。
来るものって、それが攻撃でもなんでも褒められることでも、自分の鏡なんですよね。
そういった攻撃などがある場合、それは必然として
「あなたはそのままでいいのですか?」という意味なんだと思います。
なので、攻撃が不自然なんじゃない。
自分が自分に対して不自然なんだということに気づきなさいという現象と捉えて、
嫌なことに対してはしっかりと疑問に思い、腹を立てて良いし、抗議していいし、無視しても、反論しても良いし、したいようにしたらいい。
自分を守るために。
嫌なことをされて、その人を相手にしたくないのなら別だけど、そうじゃないのに何事もなかったように黙っているのは、私は嫌なのではっきりと言います。
すごく反論するのは勇気がいるかもしれないけど、すごく言いたくなった時は思い切って言ったら、一気に状況が改善されて、その人との関係性がどうとなものになったということもあるんです。
なぜなら、私がサゲと呼んでいる人は、どこかでは良い人で、誰かに愛されていて、大切にされているんですよね。
完全な悪人は存在しない。
ただ、この世のシステムは面白くて、自分にとってあまりにもピッタリなこの上ない人を悪役として寄越すんです。
なので自分を情けなく思わなくて良いですよ。
ありのままを感じてみて取り組めば良いと思います。
昔から思ってたんだけど、地球上に生きて、何でもかんでも完璧にできる人なんて存在するのかな。
どんなにマスタークラスの魂の人も、その人にはその人相応の出来事があって、鏡があって、誰にでも善人でいられないし、全員に好かれないですよね。
たまに上からなんでも悟ったように、相談者を馬鹿にして説教する人もいるかもだけど、その人もまた、説教して調子に乗って良い思いしてる。
そして、ある日そんな自分に気づく。
どこまで行っても、完璧なんて存在しないよね。
でも、アゲとかサゲという概念は、私はあると思う。
幼い魂、高い魂。
浅い考えと、深い考えの人がいて、波動が全然違うからね。
これは分けて考えたほうが、アゲにとってはいい。
あくまでアゲにとっては、です。
人は平等じゃない。
物事を深く捉える人と、浅〜く捉える人、幼い人、大人な人、いろいろいて、その人間関係の中で色々醸し出されて、問題が起きて、解決して、大人になる。
逃げ回るとそれが何度もやってきて、我慢するようになると体も心も病んでおかしくなり、そんな時に更なる攻撃が来るのは、自分の感情に気づきなさいということかと思うんですよ。
感情を出すことは恥ずかしいことでもなんでもない。
感情こそ、大事な大事な自分のバロメーターです。
我慢してるとそれなりものになるし、
感情に忠実にきちんと感じて自分を大事に生きると、キラキラしてくる。
自分が何に対して我慢して生きているのか、今一度じっくりと考えることが大事ですね。
岐阜県にいます。