私の思う「引き寄せ」の意味 | 日記帳とペンと内なる天使

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メンタルヘルスコンサルタントの弘恵です。
日常での気づきや体験等を綴っています。
根本解決のために数々のセッションや自身の日々の出来事や経験を通し毎日研究中。どこにもない唯一無二のセッションをしております。

どんどん春らしくなってきますね。

北海道は連日プラスの気温です。

 

 

さて、今日はふと思いついた「引き寄せ」について書こうと思います。

 



引き寄せって、どんな原理でそうなっているのか、いまいち分かっていないじゃないですか。

なので、ふわふわした感じに捉えている人も多いんじゃないかと思いました。

 

 

 

例えば、日頃よくいろんなことに対して感謝をしていると、ありがたいことに敏感になるんです。

ニコニコして、何かを施されると嬉しくて感謝して「ありがとうございます!」と言うわけです。

 



この時、相手もそう言われてニコニコしてもらえて嬉しくなって、またこの人に喜んでもらいたいな、と思うわけです。

なので、相互でいい思いをしているんだと思います。

 

 

ありがとうを言うシチュエーションが増えると、そこに敏感になって、どんどん見つけて、嬉しくなってありがとうを言うだろうし、相手は嬉しくなるし、特別に思ってもらえるし、幸せオーラも出しているだろうから、ますますそんな人に関わり合いたくなると思うんです。

 

そしてありがとうの連鎖が起こるんだろうなと思うんです。

 

 


 

逆に言うと、人から良くしてもらっても、罪悪感で受け取れないと言う場合は、その場合感謝よりも負担になっていることも多いということで、感謝が足りていないというケースもあります。

自分なんかに良くしてもらうのが、負担になってしまうというか。その場合は自己肯定感が関係してくるんだと思います。

 

 

 

 

また、違うケースですと「自分はいつも損をしている」という考えで普段いると、損を引き寄せると思います。

 

 


というのは、損させられることばかりに敏感になってしまい、特に求めたわけじゃないのに何か特別にいいことをされても「ラッキ〜!」くらいにしか思わなくて、次回も同じことが起こればいいと期待し、同じくしてもらえないと明らかに不機嫌になるとか、損をしたと思うとか不平不満が出るんですね。

 

決定的に足りないのが感謝じゃないかなと思うんですね。

 

 

何かをしてもらって「ラッキ〜!」と思い、サラッとしか感謝しない。

このラッキーの内訳は、自分の心の負担も罪悪感もなくして得られるものです。

 

 

 

そして、自分は損をする、という思いが強いと、基本被害者意識が強いので、なんとしても損をしたくないという思いからがめつくなるとか。

 

 

何らかの失敗や迷惑をかけてしまった時、損をしたくないという思いから、謝罪をしたくないという思いになって、なるべく謝らない方向にしてしまい、損得感情が強くなって、そういうのって、結構相手に伝わってしまうのものです。

 

 

なので、その後その人には極力サービスはしたくないと思うのが人間の感情として当たり前ですし、損したくない!という思いが強ければ強いほど、見事に損を引き寄せていることに本人が気づかないということなんです。

 

 


要は、感謝が足りないのかと。

感謝してありがとうございます!と、表面だけじゃなくて

ありがたく思うことで、良いものが連鎖していくわけです。

 

 

損をしたくないからと、得ばかりに目を向けていると、本人知らずのうちに、この人にこれをして差し上げるのはやめよう、、、となる。

最大な損をしていることに本人が気づいていない。

 

 


それでは、『感謝って何!?』となりますが、感謝は無理矢理できるものではなくて、体から自然と湧き出るものが感謝かと思います。

 


つまり、

受け取ることを罪悪感に思ったり、受け取ることが負担に感じて、心の底から感謝できない・自然と感謝が出てこない、ということは、

本来の自分の状態にいないということかもしれない。

 


本来の自分の状態にいないのは、

例えば、本当はやりたいことがあるのに、自分で自分に「無理」と諦めてぶち壊しているからとか。

 

無理だと諦めて、目標ややりたいことに自分を向かわせていないと、本来の自分の状態から離れ、心が満たされていないので、やってもらってもありがたいと思えない、負担に感じる、感謝できない、、となるのかもしれない。

 



では、目標がないとダメなのかというとそうではなく、必死に自分のやりたいことを探している人もいるので、一概に誰がこっちとは言えないです。





 

 「受け取る」という言葉がありますが、自己価値が低いと受け取ることが怖くなりますよね。



なぜ怖くなるかというと、ひとつは「負担を感じたくない」というもの。

負担を感じたくないから、受け取るのが怖い。

自分はそこまでされる価値がないから、受け取るのが怖い。

がっかりされたらどうしよう、、、となるわけです。




自分の器を大きくしようと思うなら、怖いけれど受け取ることをお勧めします。



自分が思うより少し上の何かを頂くことになると、嬉しい反面怖くなります。


何故なら、自分はそれを受け取る様な器じゃないと思うから。




でもね。これをしっかりと「ありがとうございます」と感謝して受け取ると、流れが変わるんです。

確かに怖いけど、それは実は嬉しい怖さで、自分がステップアップする怖さでもあります。

多くの人はこの怖さが負担に感じるのでしょうね。




自分の価値を上げるも下げるも、自分次第です。

真摯に受け取ると、まだそこまで大きくないかもしれない自分にそれをしてくれる訳ですから、感謝が湧きます。



そして責任感も湧きます。



受け取るって、そういう事ですし、認めてさらに大きくなることです。



『いえいえ、自分なんて。

安いもので良いですから!』


『買い被りですってー!』



とされるのも自由ですが、心の負担を感じたくないから、というケースでもある訳です。





こうしてみると、自分が大きくなるチャンスなんです。




現状にしがみつき、損をしないように、自分の負担にならない様にと自己保身になっていくき、感謝を感じられず、得にばかりしがみつく人生にするのか、



それとも、怖いけど、負担だけど、受け取って感謝して、、ヨシ!と腹に力を入れて進むのか。




自分を大きくするも、縮こませるのも、自分です。





『欲しいけど自分の負担になるのが嫌だ』

『身軽な状態で何もせず、気づいたら幸せな方向に行って欲しい』

・・・という他力本願的なもの

 

 

というものを超えて、覚悟を持ってこうなりたい!と意思を持って、そのチャンスとなるものがあったときに、自分で掴んで選ぶという選択をして、負担になることを恐れずに、自分の意思で何かを掴もうとしているときに、ちょっとしたヒントを与えられると、それはもう必然的に感謝になるのかなと思ったのでした。

 

 

 

まとめると、いくつになっても自分はこうなりたい、というものがあったとして、それを実現していく人と、自分ですぐに諦めたりぶっ壊す人がいるんですね。

ぶっ壊してしまうから、そもそもの目標がない。

 

 

 

目標がある人は、年齢が幾つだろうがやり遂げようとします。

すると、情報収集をしてどんどん進むわけです。

そこに、壁がやってきて、何らかの手助けをしてもらい、そこを越える時、ものすごく感謝するんです。

 

 

 

一見ちょっとしたことですが、人がどうなっていくのかは、こんなきっかけかと思います。






お粥の朝ごはん。

「ごはんですよ」は、チューブがいいと気づきました。

瓶だと、一度開けたら劣化するし、食べきれなかったのですが、チューブタイプだといつも新鮮。



先日久々に行ったパスタ屋さん

マルゲリータ。



  シラスのペペロンチーノ



(写真が縦だけど)

最近太り気味なので、しらたきでちゃんぽんを作ってもらいました。


白滝ちゃんぽん、凄くいい!

腹持ち良くて、野菜たくさんなのでたくさん噛みます。

黒いのはキクラゲ。

 




札幌のイノダコーヒーのフルーツパフェ。

3月20日で終わってしまうらしく、急きょ食べにきました。


凄く良い雰囲気で美味しいのにもったいない。

私はスタバも良いけど、こんな感じの喫茶店が好きです。(と言っても、食べ物ばかりしか写してないけど)



また札幌に復活して欲しいです。


 

 あー、食べ物ばっかり載せてる笑笑


これで痩せなくちゃ!なんて書いてるし。