自信とは | 日記帳とペンと内なる天使    

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メンタルヘルスコンサルタントの弘恵です。

札幌と東京の二拠点で活動しており、日常での気づきや体験などを綴らせていただいております。

 

 

 

 

 

 

 

人から褒めれると嬉しいんだけど、人から褒められるのを待つわけにもいかない。

 
 
 
自信を持たねば!って思うけど、褒められたら自信がつくと思って、褒められてる言葉を受けてると、コレがなかなか身につかない。
 
 
 
褒め言葉は自分の中に入っても、ザルのように落ちてく。
 
 
自信って、褒めてもらってつくとかじゃないよね。
やはり多くの人がしてるように、実践で身につく。
 
 
 
自分に向き合って、現実を見て、痛い思いして恥かいて、痛みを知って、人の気持ちわかって、勇気出して何かをやって、自分はできると感じる感覚。コレだよね。
 
 
 
闇雲に自信をつけようとしても、どんなに
「〜〜ちゃん、素敵だよぉ〜!自信持ってよぉ〜」
というお友だちからの言葉を浴びても、それは人の言葉だから実感がないんだよね。
 
 
 
経験からくる自信。
実践を通して培ったという自信。
これだよね。
 
 
 
どんなに今がどん底でも、這い上がると、それは人の深みになる。
それが器となるわけで。
 
 
 
順風満帆な人生もいいけど、ドン底に落ちて、這い上がって、そんな経験が深みとなり器となり、味のある人間になる。
 
 
 
アゲは強いから、それくらいじゃ壊れない。
そして、多くがどん底を経験してる。
 
 
 
サゲなら耐えられないほどのどん底を経験し、
 
 
さ。次は。
自信をつけて前に出る番。
 
 
 
 
さ。自信はどうやってつける?
 
 
 
ぶっつけ本番で何かやってみたら、恥かいて泣きたくなることもあるけど、でもなんとかやったらできた。
その内に自分はここまでできる。と自分を信じられる。
これが自信じゃないのかなぁ。
 
 
 
すごく現実的だけど。
 
 
 
私、あんまりふわふわした考え嫌なんだよね。
散々みてきたし、やってきたから。
 
 
 
夫が超現実主義なので、スピなんてとんでもない。
言葉で説明できないと聞いてもらえない。
そんな人でして。
 
 
 
だからこそ、フワフワしたものは許されなかったんだよね。絶対に。
 
 
 
でも認められたかったから、この超現実主義の代表のような夫に、どうやってわかってもらおうか。そんなことを考えてた。
 
 
 
そりゃあ、夫もかなり、相当に偏りあるんだけど(元々スピとか大嫌い)、現実的にみてこんな人の方が圧倒的に多い。
 
 
 
私の体の感覚。思い、欲求。感じること。
これを言語化すること。
セッションにしてもあんまりフワフワするとあっという間に偏るから、全部のセッションをレポート式にしてメールで送ってる。
 
 
 
何故こうなのか、何故そうなのか。
ちゃんと問題点を見て、根本解決を目指す。
 
 
 
フワフワのフワスピは、いつの間にか嫌になっていた。
 
 
 
 
「幸せなことを考えるとね、悩みなんてなくなるの〜」
 
 
 
 
という言葉に違和感を覚え、じゃあなんで生きてるんだ?
ここに何しに生きてるんだ?と思う。
悩みを感じないようにしてるの?
逃げてるの?
 
 
 
自由なんだけどねー。
でも、そんな思考の人は、ずーーーーーーっとそこにフワフワ漂ったまま。
ある意味逃げてるんだよね。
 
 
 
なんでアゲって苦労してると思う?
向き合って解決できるから。
その強さを持ってるからだと思うんだ。
 
 
 
それに、起こることは法則がある。
その法則を私は知りたくていつも研究してきた。
それが今後どう花咲くのか分からないけれど。
 
 
 
 
そうそう。
本に載りました。
「日本が誇るビジネス大賞2018」です。
ビジネス本です。
 
 
ライターさんが私のブログ記事を読んで出してくれた文が素敵なのです。
本当にちゃんと読んで書いてくれてるんだなぁと感じました。
 
 
 
 
父が亡くなる直前の手術の数日前に、このライターさんが書いてくれた私の紹介文を読んだ父が、
 
 
「お前も、そうなんだな。わかるんだな」
 
 
と言ってくれた。
私の今のこの仕事を、口で色々説明しなくても読んだだけで分かってくれたのが嬉しかった。