首藤ひろえ公式ブログ -48ページ目
今日は朝からいいお天気です
窓を開けたら、カッコウの声が
結構近くに聞こえたので、
音が入るように、
景色を撮影してみました
自然いっぱいの環境で暮らしていると、
「人工音」がないので、
何かを「考える」というのには
本当に理想的だなあと思います。
今も、外はほぼ「無音」です。
青い空・白い雲・緑の山並み・・・
そういうものを眺めながら、
いろんなことを考えているのですが、
ここのところ考えていたのは、
自分自身の「心のあり方」でした。
数日前、私自身が
言葉を粗末に扱ってきた、
ということを感じて、
気持ちが沈んでいました。
そういう状態になっても、
大抵は一晩寝れば元通り、
という私なのですが、
その時は、珍しく
2日ほどその状態が続きました。
その間、気づいたことがあります。
それは、今まで、私が感じていた
「ポジティブであること」は、
実は、本当のポジティブでは
なかったのかもしれない、
ということでした。
北海道弁に「おだつ」
という言葉あります。
標準語?で言えば、
「調子に乗る」に近いかな、
と思うのですが、
若干ニュアンスが違っていて、
落ち着きがなかったり、
「心ここに在らず」な感じや、
自分をよく見せようとする、
という要素も入っている、
そんな感じに私は思っています。
私が「ポジティブさ」と
捉えていたものは、
もしかしたら、単に
おだっていただけなんじゃないか?
と思ったのです。
いつもワクワクして元気で、
みんなに笑顔を振りまくのは、
とても素敵だと思うけれど、
「地に足のついた感じ」がないと、
ただただ空回りするばかりで、
肝心の「伝えたいメッセージ」が
うまく伝わっていかない、
今までの私は、
そういう状態だったのかもしれない、
ということに気がつきました。
私が取り組んでいる
自分自身を知り、活かすことの
大切さを伝える活動も、
伝える側の私の状態が
「おだっちゃってるだけ」なら、
伝わらないのも当然です。
10年ほど前、ある人から
こんな言葉を聞きました。
人脈を
拡げたいなら、
拡げようとせず、
一人の人との
関係を深めること
これは、人脈や交友関係の話ですが、
「自分が伝えたいこと」に
置き換えてみても、
まったく同じことが言えるなあ、
と思いました。
ちょうど昨日、
「ネイチャー理論マスター講座」
をやっていました。

オンラインで、遠く埼玉から
受講してくださった方が
いらっしゃいました。
本当に嬉しいです。
講座の最後に、その方が
こんなことをおっしゃいました。
これで、
人生変わると
思います
とても深く心に響きました
ありがたくて、
思わず手を合わせました
ネイチャー理論を実践すると、
人生が変わる、というのは、
私自身が実感していることですし、
学んでくれた仲間一人一人が、
どんどん変化しているのを見れば、
間違いない、という確信があります。
それは、もう「当たり前」のことで、
私は、その「当たり前」を
「伝える努力」ということに
思いが至っていなかった、
と気がつきました。
これを学べば
人生良くなるに決まってる。
なのに、なんで来ないの?
来ればいいじゃない?
仲間になったら楽しいよ!
今までの私の伝え方は、
こういう感じでした。
これがダメとまでは言えないけど、
これ「おだってる」なあ、
って、思いました


私が「伝わる伝え方」だったり、
より大きな変化が起きるために
どんな工夫が必要か、だったり、
そういうことを深く掘り下げて、
地に足ついた心持ちでいることで、
結果として、より拡がるようになる、
ということなんだ、
と、今さらながら思ったのです。
そういう私の変化の第一歩、
つくってみました
ここで、つい言ってしまうのが
「一人でも多くの方に」という言葉。
でも、それも、やめました。
拡げるためには、深める、だから
ごくわずかであっても、
本当に必要としている人に
確実に届くよう、
自分を深めていこうと思います
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今日はちょっと雲の多い広尾町です
6月4日に母が亡くなって、
あっという間に2週間経ちました。
というより、まだ2週間なんですね。
実はこの2週間、
悲しみに打ちひしがれる、とか、
後悔の念で苦しむ、とか、
そういった感情には
ほとんどなりませんでした。
生きている人が
突然いなくなる、とは、
こういうことなのかもしれませんが、
25年前に他界した私の父も、
同じように、突然でした。
その頃の私は、
人間全然できていなくて、
周囲の人に怒りをぶつけたり、
一人塞ぎ込んだりと、
ひどい状態でした。
その頃とは違って、私自身が、
人の心にアプローチすることを
自分の仕事にしていることもあり、
多少、自分を客観視できているのかな、
と思います。
今回、母の身に起こったことを
簡単にまとめると、
次のような話です。
3月ごろ、体がだるい日が続いて、
気になって受診した健康診断で
ガンが見つかった。
「手術だけで完治する可能性が高い」
という医師の判断を受けて、
腫瘍の摘出手術を受けたところ、
手術中、突然心臓の機能が低下。
出血も大量になり、
輸血をしたものの追い付かず、
手術の翌朝そのまま息を引き取った。
客観的事実だけを列挙すると、
このような内容です。
文句をつけようと思えば、
どこにでも文句がつけられます。
誰かを悪者にしようと思えば、
関わったすべての人を
悪者にすることもできる。
でも、そんなことをしたところで、
母が戻ってくるわけではありません。
このプロセスのどこかが違っていたら、
別の展開になっていたと思いますが、
その選択がよかったかどうかは、
どんなに考えてもわからない。
善人ぶったり、カッコつけたり、
ということは全くなく、
ただ、
そういうことに
決まっていたんだな
としか思えないのです。
ふとした瞬間に、
「もう、お母さん、いないんだっけ」
と思って、急に寂しくなる時はあります。
でも、悲しみで号泣したり、
という感覚とは、
今は全然違うと感じています。
生身の人間としてこの世に存在していて、
会うことができる、
それに対する確信がある、というのが
「生きている」という状態で、
それを私は「当たり前」
だと思っていたわけです。
その「当たり前」は、
自分の足の下に地面がある、
というのと同じくらいの感覚です。
世の中に当たり前などない、
すべてに感謝しなさい、と、
「教え」としてはあるけど、
天邪鬼な私は、
お説教されているみたいに感じて、
素直に受け取れませんでした。
でも、今の気持ちを正直に書けば、
世の中に当たり前などない、
当たり前どころか、
もともと「何もない」。
すべては自分の「意識」が
「ある」という状態をつくっている、
ただそれだけのことなんだ、
ということです。
以前に読んだ、仏教思想の本で
「唯識」という概念を知りました。
仏教の「諸行無常」という考え方の
根っこにあるものが「唯識」です。
世界はそもそも「空」で、
そこには何もなく、
見ている、感じている「私」が
勝手に意味づけをしたことで、
「ある」という状態が生まれている、
あまり上手に説明できませんが、
私はそういう意味として理解しています。
確かに、母は、2週間前から、
生身の体を持った人間として、
この世に存在する状態ではなくなりました。
でも、母のことも父のことも、
思い出すことはいつでもできますし、
母なら、父ならきっとこう言うだろうな、
というのも感覚としてわかります。
こうして、思い出したり、
意識の中で対話をしたりすることは、
両親が生きていた時と、
今とで、感覚は全く同じです。
だとすると、
「生きていること」というのは、
限りなく曖昧なものなんだ。
今、私が感じているのは、
実はそういうことなのです。
入院する前の母との会話を
今思い返してみると、
母は、生身の人間として
この世に存在することを、
自分の意思で終わりにした、と考えると、
とても辻褄が合うことばかりです。
だからといって
寂しさがなくなるわけでなく、
そういう感情を持っていること自体、
私が「生きている」ことを
証明するものだと思います。
ふと寂しくて涙が出るとしても、
それも、自分の自然な状態として、
しばらくはこのままでいよう、
今は、そう思っています。
母のことで、気遣ってくださる皆様、
本当にありがとうございます。
私は、大丈夫です。
この「大丈夫」は、
「もう悲しみから立ち直ったよ!」
みたいに、無理しているのではなく、
こうして、寂しくて涙が出たり、
ぼんやりしてしまう時間があったり、
そんなことがあっても大丈夫、です。
そうか。
「大丈夫」って思うこと自体が、
「生きている」ってことなんですね。
なんか、スッと腑に落ちました

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今日も静かな十勝・広尾町の朝です
窓を開けると、
いろんな鳥の声が聞こえます🕊
今日は、カッコウの声が
とてもよく聞こえて、
ああ、夏が近いんだなあ、
と感じます。
朝、自然に目が覚めて、
その空気を取り込んで、
鳥や虫の声で季節感を感じる。
とても自然で、
人間って本来こういうものだよね、
って思います。
私が何か物事を選ぶときの基準で
大切にしているのは、
自然かどうか
ということです。
大勢の人が支持しているもの、
人気があるもの、
政府や学識者が勧めるもの、
世間の常識になっているもの
そういうものであっても、
私自身の感覚で感じてみて、
不自然なところを感じたら、
それは選ばないことにしています。
田舎暮らしをするようになってから、
その感覚はより強くなりました。
その中でも強く感じるのは
「健康」についてです。
私の友人の出町勇人さんが、
今年の春にお勤めを辞めて独立、
社労士事務所を開業したのですが、
彼は、社労士の傍、
「ポジティヴ・ヘルス」という
オランダ発祥の健康概念を
普及させる活動をしています。
最初に話を聞いたとき、
びっくりしたのと同時に、
確かにその通り!と思いました。
ポジティヴ・ヘルスとは、
一言で言うと、
自分の健康は
自分で決める
ということです。
現代社会に生きる私たちの中には、
「健康診断の結果」が
健康かどうかの判断基準、
という人が多いと思います。
でも、本当にそうなのだろうか?
ある検査結果の数値を見て、
その数値を「基準値内」に
収めることのために、
食べ物や習慣を変えて、
苦しい努力をする、ということが
当たり前になっていることに、
私は昔からちょっとした
違和感を感じていました。
逆に、さまざまな数値が
基準値の範囲外になっていても、
心身ともに元気な人も
たくさんいると思うんです。
数値を見て一喜一憂するよりも、
朝目覚めたときの
自分の体の感覚や
自分がどんな気持ちなのか、
そこを感じることのほうが、
ずっと自然で心地よい
そう思ってしまうのです。
野生動物は
健康診断には行きません(笑)。
病気や怪我をすることも
あるのかもしれないけど、
それが自然治癒しなければ、
そのまま体は自然に還る、
ただそれだけなんですよね。
そういう視点で見ると、
現代の「医療」というものは
私にとっては
全てが不自然に思えてしまいます。
現代の医療は
人類の進歩の成果であって、
人がよりよく生きるために
不可欠なものだ、
そういう考え方を
否定するつもりは全くないのですが、
やっぱり、私は、
ポジティヴ・ヘルス方式で
自分の健康を自分で決める、
という生き方をしようと思います。
私にとっての健康は
自然であること
それに則って、
口から入れるもの、
身につけるもの、
言葉、行動、仕事・・・
心と体の健康にまつわることを
全部、その基準で
選べる自分でありたい。
鳥や虫の声を聞きながら、
そんなことを思いました
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