「生きていること」の意味 | 首藤ひろえ公式ブログ

今日はちょっと雲の多い広尾町ですくもり

 

6月4日に母が亡くなって、

あっという間に2週間経ちました。

というより、まだ2週間なんですね。

 

実はこの2週間、

悲しみに打ちひしがれる、とか、

後悔の念で苦しむ、とか、

そういった感情には

ほとんどなりませんでした。

 

生きている人が

突然いなくなる、とは、

こういうことなのかもしれませんが、

25年前に他界した私の父も、

同じように、突然でした。

 

その頃の私は、

人間全然できていなくて、

周囲の人に怒りをぶつけたり、

一人塞ぎ込んだりと、

ひどい状態でした。

 

その頃とは違って、私自身が、

人の心にアプローチすることを

自分の仕事にしていることもあり、

多少、自分を客観視できているのかな、

と思います。

 

今回、母の身に起こったことを

簡単にまとめると、

次のような話です。

 

3月ごろ、体がだるい日が続いて、

気になって受診した健康診断で

ガンが見つかった。

「手術だけで完治する可能性が高い」

という医師の判断を受けて、

腫瘍の摘出手術を受けたところ、

手術中、突然心臓の機能が低下。

出血も大量になり、

輸血をしたものの追い付かず、

手術の翌朝そのまま息を引き取った。

 

客観的事実だけを列挙すると、

このような内容です。

 

文句をつけようと思えば、

どこにでも文句がつけられます。

誰かを悪者にしようと思えば、

関わったすべての人を

悪者にすることもできる。

 

でも、そんなことをしたところで、

母が戻ってくるわけではありません。

このプロセスのどこかが違っていたら、

別の展開になっていたと思いますが、

その選択がよかったかどうかは、

どんなに考えてもわからない。

 

善人ぶったり、カッコつけたり、

ということは全くなく、

ただ、

 

そういうことに

決まっていたんだな

 

としか思えないのです。

 

ふとした瞬間に、

「もう、お母さん、いないんだっけ」

と思って、急に寂しくなる時はあります。

 

でも、悲しみで号泣したり、

という感覚とは、

今は全然違うと感じています。

 

生身の人間としてこの世に存在していて、

会うことができる、

それに対する確信がある、というのが

「生きている」という状態で、

それを私は「当たり前」

だと思っていたわけです。

 

その「当たり前」は、

自分の足の下に地面がある、

というのと同じくらいの感覚です。

 

世の中に当たり前などない、

すべてに感謝しなさい、と、

「教え」としてはあるけど、

天邪鬼な私は、

お説教されているみたいに感じて、

素直に受け取れませんでした。

 

でも、今の気持ちを正直に書けば、

世の中に当たり前などない、

当たり前どころか、

もともと「何もない」。

すべては自分の「意識」が

「ある」という状態をつくっている、

ただそれだけのことなんだ、

ということです。

 

以前に読んだ、仏教思想の本で

「唯識」という概念を知りました。

仏教の「諸行無常」という考え方の

根っこにあるものが「唯識」です。

 

世界はそもそも「空」で、

そこには何もなく、

見ている、感じている「私」が

勝手に意味づけをしたことで、

「ある」という状態が生まれている、

あまり上手に説明できませんが、

私はそういう意味として理解しています。

 

確かに、母は、2週間前から、

生身の体を持った人間として、

この世に存在する状態ではなくなりました。

でも、母のことも父のことも、

思い出すことはいつでもできますし、

母なら、父ならきっとこう言うだろうな、

というのも感覚としてわかります。

 

こうして、思い出したり、

意識の中で対話をしたりすることは、

両親が生きていた時と、

今とで、感覚は全く同じです。

 

だとすると、

「生きていること」というのは、

限りなく曖昧なものなんだ。

今、私が感じているのは、

実はそういうことなのです。

 

入院する前の母との会話を

今思い返してみると、

母は、生身の人間として

この世に存在することを、

自分の意思で終わりにした、と考えると、

とても辻褄が合うことばかりです。

 

だからといって

寂しさがなくなるわけでなく、

そういう感情を持っていること自体、

私が「生きている」ことを

証明するものだと思います。

 

ふと寂しくて涙が出るとしても、

それも、自分の自然な状態として、

しばらくはこのままでいよう、

今は、そう思っています。

 

母のことで、気遣ってくださる皆様、

本当にありがとうございます。

私は、大丈夫です。

 

この「大丈夫」は、

「もう悲しみから立ち直ったよ!」

みたいに、無理しているのではなく、

こうして、寂しくて涙が出たり、

ぼんやりしてしまう時間があったり、

そんなことがあっても大丈夫、です。

 

そうか。

「大丈夫」って思うこと自体が、

「生きている」ってことなんですね。

 

なんか、スッと腑に落ちました照れ

 

LINEお友達追加お待ちしてますピンクハート

友だち追加

 

 

ネイチャー理論であなたらしい生き方へ!
ダイヤグリーンまずはお手軽ワンポイント解説 ダイヤオレンジ自分自身を深く知る!
  個人セッションのご案内です ダイヤグリーンネイチャー理論を学んでみたい!
  いろんな講座をご用意しています