ひろどんの歌声日詩♪ -14ページ目
$ひろどんの歌声日詩♪


全国1千万人の『よこ姐さん』ファンの皆さま、

(=゚ω゚)ノコニチワー♪


6月下旬のジョンフン・イベに引き続き、

「よこ姐さん上京!」との一報を受けたもので、

お供させていただきました。




ひろどんの歌声日詩♪

今回の主人公は、もちろんこのお方。

「浪花のチェ・ジウ」こと『よこ姐さん』。


ひろどんの歌声日詩♪

そして、小学生ながらも、スマホを自在に操る、

長女の『あやちゃん』。

(w^ω^)w< IT界の「じゃりん子チエ」やわ~!


ひろどんの歌声日詩♪

とても小学生とは思えないほどのしっかり者、

次女の『ゆきちゃん』。


初めてお会いした、あやちゃん&ゆきちゃんのお二人は、

ピグさながらに、とても行儀が良く。

「子は親の鏡」と、昔の人はよく言ったもんだと

感服するぐらいに、よこ姐さんの教育に感心したもので、

先ずは冒頭に紹介させて頂きますた。


+(・∀・)+イイヨイイヨー


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ひろどんの歌声日詩♪

今回の集合場所は、ココ。

新幹線「東京駅の新幹線・中央のりかえ口」改札。

(w^ω^)w<とうきょ~ とうきょ~~!


JRを200km以上だったか、長距離乗れば

「都区内の普通運賃は、同じ切符で移動できる」と

旅行会社の頃に習ったのを思い出し、

乗り換え用の改札で待ち合わせにしますた。



ひろどんの歌声日詩♪

そこから、まずは宿へ荷物を置きに「新橋」へ移動。

新橋名物、駅前のSLを記念にパシャリ!カメラ

ちにみに、この日はテレビの街頭インタビューは

行われておりませんでしたw

(*´・∀・)σ<街の声をどうぞ!


「新橋=ギャンブル&立ち飲みオヤジ」と

なぜか脳内転換されてしまうもので、

姐さん達が宿に行っている間に

私は思わず、宝くじを購入。。。

(。-人-。)<当たりますように恋の矢



$ひろどんの歌声日詩♪

それにしても、この日は暑かった。

(;´Д`)ハァハァ


表示は35度を示しておりますが、

都心は、アスファルトの照り返しがスゴイので

体感温度はそれ以上だったと思います。


いま私が住んでいる所から、県境を越えた隣町は

日本一暑いと言われておりますが・・・。

都心は、人込みもスゴいうえに、建物だらけで風が無いので、

間違いなく都心の方が暑いと、私は思ってまつ。。。


$ひろどんの歌声日詩♪



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$ひろどんの歌声日詩♪

新橋からスカイツリーに移動する途中。

『よこ姐さん的ミッション:①もんじゃを食べる!』

果たすべく、浅草で途中下車の旅をしますた。


どの店に行こうか決めて無かったもので、

まさしく、フラりと辿りついたのは、

ミッツ・マングローブさんや、マツコさんも

訪ずれたという、たぬき通りにある『香味家』さん。

ここで、前回に引き続き、『ikuさん&ぴろっちさん』と合流。

(゚∀゚)人(゚∀゚)



$ひろどんの歌声日詩♪

友人のお母さんが、月島でもんじゃ屋さんを

やっていた事もあり・・・。

以前は毎日の様に食べていた、もんじゃ焼きを

十数年ぶりに食べますた。


まずは、定番の「明太もちチーズ+ベビースター」をオーダー。

作るのと食べるのに、夢中になってしまいまして、

写真を撮り損ねた事に、途中で気付きますた。

(・・。)ゞ


急いで撮ったものの、何ともあられの無い画像に

なっており。。。

(/ω\)


『あやちゃん&ゆきちゃん』の作った、

「シーフード味」を撮影させて頂きましたw

( ´艸`)<上手に焼けてるわ~!


$ひろどんの歌声日詩♪

そして、小腹が空いていた私は『お好み焼き』もオーダー。

ここでは、姐さんにお好み焼きの焼き方を

レクチャーして貰いましたが・・・。


『ぴろっちさん』との共同作業だった、返しで失敗するなど

思う様に焼けず。。。

(ノ∀`) アチャー


$ひろどんの歌声日詩♪

「ひろどん! 広げ過ぎや!!」と、ダメ出しを受けるなど

とても勉強になりました!

φ(.. )


ちなみに、このお店のお好み焼きには、

玉ねぎやモヤシが入っていたのでビックリでしたw



$ひろどんの歌声日詩♪


画像を撮り損ねましたが、店の前では

むかし懐かしの紙芝居屋のオッチャンが

『黄金バット』の紙芝居を披露するなど、

下町情緒あふれる一角に、そのお店はありました。

画像は「たぬき通り」の『不動たぬき』です。



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また、長くなりそうなので、

次回につづけます。

o(_ _*)o

「大学に通うスター-問われる教育の価値-」

2012年6月12日 東京新聞夕刊「スポーツが呼んでいる」


高校時代、教育実習の大学生が緊張しながら教室に入って来ると日常に少し変化が生まれて、それなりに楽しかった。

ましてソウルのジンソン女子高校生徒たちのときめきたるやどれほどだろう。


 教育実習生、金妍兒(キム・ヨナ)。 あのフィギュア・スケートのバンクーバー冬季五輪金メダリストである。

浅田真央の好敵手として憎いまでに立ちはだかった。

韓国社会では格別な存在だ。


 競技生活を休養中の金妍兒は、高麗大の体育教育科に在籍している。

最終学年となって正規の教育課程として実習に臨んだ。

ところがこれが物議をかもした。

高麗大のライバル校、延世大の黄相旻(ファン・サンミン)心理学教授がラジオ番組でかみついたのだ。

「教育実習というよりショーと表現するのが正確だ」


 韓国の中央日報紙の日本語サイトによれば「大学が教育機関であることをあきらめて、一般企業のようにスターマーケティングをしている」とも述べた。

批判の内容は事実に反すると、金妍兒(キム・ヨナ)側が法的に訴える騒ぎとなっている。



 このニュースが流れたころ、ちょうど高麗大のラグビー部が姉妹校の早稲田大との試合のために来日していた。

チームの世話役で同大企画部門の職員でもある姜晩植(カン・マンシク)さんに聞くと「一教授の発言ですから高麗大としてはノーコメントという姿勢です」。

雑談の場では「延世大もゴルフなど有名スポーツ選手を入学させてますよ」と笑った。



 金妍兒(キム・ヨナ)と同じ体育教育科の2年生、韓国代表にも選ばれたエースの張成民(ジャン・ソンミン)は話す。

「あれだけの選手は公人のように遇されるべきだと個人的には思います。なにより彼女はよく授業に出席していています。みんな姿を見たいので、いつ大学へきているかよく知っているのです」



 一流スポーツ選手がいわゆる「一般入試」とは別の方法で大学へ進む。

その是非は日本でも時に問われてきた。

学校の本来は「いかに入れるか」ではなく「いかに育てるか」なのだが、どうしても「いかに入ったか」は気になる。

教授の発言にも「問題提起」の側面はありそうだ。



 銀盤のヒロインは、飾らぬ気風の高麗大でいかに育ったのか。

そのことは人生を通して証明されるほかない。

「東伏見の匂い」

2012年8月 ワセダクラブ・コラム「楕円球は呼ぶ」Vol.112


 サッカーでスペインに勝つ。

スペイン人を除けば、世界の誰にとっても最高の瞬間だ。

ロンドン五輪の男子代表はそれを成し遂げた。

どこまで勝ち進むかとは別の次元で、もうそれは快挙なのだ。


 関塚隆監督は、やはり勝負の人である。

現在51歳。モダンなサッカーの渦中にあり、研究に邁進もしながら、どこか土の匂いがする。

土とは、そのまま土のグラウンドという意味である。

きっと東伏見の砂埃の青春は、どこかでスペイン撃破とつながっている。


 当時の早稲田大学サッカー部には、ラグビー部もそうだが、スポーツ推薦による入部者はいなかった。

関塚監督自身も、千葉県立八千代高校から1年の受験浪人を経て入学している。

つまりサッカー部の戦力は潤沢とは遠かった。

入学と同時に、宮本征勝監督(故人)が就任、80年度から3シーズン、熱血かつ理論的な指導にあたった。

のちに本田技研―鹿島アントラーズでも師となる人との出会いである。

宮本体制がなじんできた2年目、3年目のシーズン、エース関塚の2、3年時には大学選手権でそれぞれ4強と準優勝の成績だった。

そのころは才能の集った日本体育大学や国士舘大学にあと一歩で届かなかった。

栄光の部史にあっては「優勝できず」でおしまいかもしれないが、旧知の当時の部員に聞くと「あの戦力でよく戦ったと思う」とあらためて言った。


 本コラムの筆者の高校時代の同級生が、当時の東海大学サッカー部の選手で、たまに早稲田と試合をした。よくこんな感想を話していた。

「うまい選手はちっともいないのにタックルがしつこくて粘り強い」

限られた陣容で、目標の全国制覇を達成するには猛練習が前提だった。

だから、よく走り、そのことが具体的な粘りを生んだ。

しかし宮本征勝監督は、ただ体力勝負に徹したわけではない。

部員の証言によれば「オランダの前線からの囲い込みをよく研究していた」。

チームに徹底させた合言葉は「速く、簡単、正確に」である。

理屈を知って、あえて単純化する。

関塚監督はその申し子だった。

それにしても、速く、簡単、正確に、とは、ラグビーにも共通するフットボールの普遍、小よく大を制しうる秘訣ではないだろうか。


 もちろん関塚監督が、ただ学生時代の薫陶と経験のみで、現在の実績を挙げたはずはない。

鹿島アントラーズのスタッフとして、ジーコをはじめ、ブラジル人指導者の下で裏方仕事に励みながら、いわば観察と修業の時間を過ごした。

ブラジルはラグビーに置き換えるならニュージーランドかもしれない。

サッカー史において「おおむね勝ってきた人たち」である。

限定された才能にも勝機をさぐる「東伏見」と、勝つべく者が勝ってきた「鹿島のブラジル」の融合がスペイン戦勝利だ、と書いては、勇み足だろうか。

ラグビーの指導者も土と芝生をともに知る者が強い。

ことに国際試合においてはそうだ。

土の上に起きたことには、日本人と日本選手の強みと弱みがむき出しになっていた。


 それと後年の世界の潮流の研究を合わせて深く考える。

すると世界を驚かせる可能性が発するのだ。

サッカーのスペイン代表監督は絶対に灼熱や豪雨の土にボールを追いかけたことはない。