藤島コラム⑰ 「東伏見の匂い」 | ひろどんの歌声日詩♪
「東伏見の匂い」

2012年8月 ワセダクラブ・コラム「楕円球は呼ぶ」Vol.112


 サッカーでスペインに勝つ。

スペイン人を除けば、世界の誰にとっても最高の瞬間だ。

ロンドン五輪の男子代表はそれを成し遂げた。

どこまで勝ち進むかとは別の次元で、もうそれは快挙なのだ。


 関塚隆監督は、やはり勝負の人である。

現在51歳。モダンなサッカーの渦中にあり、研究に邁進もしながら、どこか土の匂いがする。

土とは、そのまま土のグラウンドという意味である。

きっと東伏見の砂埃の青春は、どこかでスペイン撃破とつながっている。


 当時の早稲田大学サッカー部には、ラグビー部もそうだが、スポーツ推薦による入部者はいなかった。

関塚監督自身も、千葉県立八千代高校から1年の受験浪人を経て入学している。

つまりサッカー部の戦力は潤沢とは遠かった。

入学と同時に、宮本征勝監督(故人)が就任、80年度から3シーズン、熱血かつ理論的な指導にあたった。

のちに本田技研―鹿島アントラーズでも師となる人との出会いである。

宮本体制がなじんできた2年目、3年目のシーズン、エース関塚の2、3年時には大学選手権でそれぞれ4強と準優勝の成績だった。

そのころは才能の集った日本体育大学や国士舘大学にあと一歩で届かなかった。

栄光の部史にあっては「優勝できず」でおしまいかもしれないが、旧知の当時の部員に聞くと「あの戦力でよく戦ったと思う」とあらためて言った。


 本コラムの筆者の高校時代の同級生が、当時の東海大学サッカー部の選手で、たまに早稲田と試合をした。よくこんな感想を話していた。

「うまい選手はちっともいないのにタックルがしつこくて粘り強い」

限られた陣容で、目標の全国制覇を達成するには猛練習が前提だった。

だから、よく走り、そのことが具体的な粘りを生んだ。

しかし宮本征勝監督は、ただ体力勝負に徹したわけではない。

部員の証言によれば「オランダの前線からの囲い込みをよく研究していた」。

チームに徹底させた合言葉は「速く、簡単、正確に」である。

理屈を知って、あえて単純化する。

関塚監督はその申し子だった。

それにしても、速く、簡単、正確に、とは、ラグビーにも共通するフットボールの普遍、小よく大を制しうる秘訣ではないだろうか。


 もちろん関塚監督が、ただ学生時代の薫陶と経験のみで、現在の実績を挙げたはずはない。

鹿島アントラーズのスタッフとして、ジーコをはじめ、ブラジル人指導者の下で裏方仕事に励みながら、いわば観察と修業の時間を過ごした。

ブラジルはラグビーに置き換えるならニュージーランドかもしれない。

サッカー史において「おおむね勝ってきた人たち」である。

限定された才能にも勝機をさぐる「東伏見」と、勝つべく者が勝ってきた「鹿島のブラジル」の融合がスペイン戦勝利だ、と書いては、勇み足だろうか。

ラグビーの指導者も土と芝生をともに知る者が強い。

ことに国際試合においてはそうだ。

土の上に起きたことには、日本人と日本選手の強みと弱みがむき出しになっていた。


 それと後年の世界の潮流の研究を合わせて深く考える。

すると世界を驚かせる可能性が発するのだ。

サッカーのスペイン代表監督は絶対に灼熱や豪雨の土にボールを追いかけたことはない。