「日本の部活 -『文』も『武』も自分の力で-」
2012年4月10日 東京新聞夕刊「スポーツが呼んでいる」
韓国からの留学生、ユン・サンジさんと春の鍋を囲んだ。
このほど東京都内の大学の大学院に学び始めた。
日韓のスポーツ文化などを研究したいと考えている。
ソウルの高校の野球部では好選手として知られ、プロ球団のLGツインズから誘いを受けたこともあるそうだ。
しかし在学中に肩を壊して勉学の道を選んだ。
あるスポーツ専門誌の編集長も同席していた。
その人は鹿児島の高校時代は野球部員、大学卒業後、出版社へ就職した。
ユンさんが日本語で言った。
「韓国ではないですよ。高校時代に野球部で編集長になるなんて」。
母国の学校の運動部員は「ほとんど勉強をしない」。
だから後年に「文章を書くような仕事に就くことはありません」。
そう繰り返すのだった。
でも、編集長の高校は甲子園出場常連のような強豪ではなく、いわゆる普通の部活動をしていただけだ。
そこに「文化のギャップ」は浮かんだ。
韓国では、中学の時点で体育の先生や外部のコーチにより「選ばれたものだけがスポーツをする」。
そこから優秀な選手が高校、大学とスカウトされていく。
例外は常ながら、総じて「普通の人は勉強ばかり、運動部員はスポーツばかりしている」。
ユンさんも「ずっと野球だけ」。
怪我で競技を断念、これではいけないと勉強を始め、入試難関とされる高麗大学へ進み、オーストリアのウィーン留学を経て日本へやって来た経歴は「すごく珍しい」らしい。
入学の季節、あらためて「日本の部活」の価値を知る。
近隣の中学で、高校で、格別な身体能力に恵まれぬ者でもスポーツをできる。
その活動を通して喜怒哀楽に浸り、感情の解放と制御を教わり生涯の友を得る。
好きな競技の雑誌をつくる仕事にだって就ける。
日本の部活の根底を支えるのは「そこにいる人間への信頼」だろう。
この生徒たちは野球に励んでも、きっと自分の力で進路を切り開く。
そう信じられるから「勉強だけ」に陥らない。
先日、東京の公立高教師から聞いた。
「近年、進学校の部活動は縮小傾向にある」
「教育委員会が大学入試実績を求める」。
教育が「信」を放棄したらおしまいだ。
迷える君よ。 さあ、部活を始めよう。
その価値は文武両道にとどまらぬ。
もっと大きく「自分のことを自分で決める」能力を得られるところにある。