『亀田興毅-「実像」でいいんじゃないか-』
2006年5月9日 東京新聞夕刊「スポーツが呼んでいる」
きっと結婚披露宴のケーキなのだ。
「さあ、愛する二人の最初の共同作業でございます」。
新婦と新郎が手に手を添えて慎重にナイフを入れる巨大なケーキ。
亀田興毅のボクシング、いや正確を期せば「ボクシング中継」は、あれと同じだ。
これでもかと施されたデコレーション、きれいな照明、カメラのフラッシュ、すべては増幅されている。
あのケーキ、食べられるところが一部なのは、子供でも知っている。
ボクシングを愛している。
ボクサーとは、経済や家系や学歴とは別の場所の貴族である。
切なくて勇ましくて、たいがいは優しくて、つまり美しい。
無名の4回戦であっても、時間さえ許せば、ボクシング会場の記者席にへばりつきたい。
先月8日、名古屋のジム(スペースK)所属、軽量級の才能、大場浩平が、東京・後楽園ホールのセミファイナルに登場したら、もういけない。
控えめを演じる普段の言動が、かえって、いきなりのアッパーの残酷を際立たせて、見てるだけなのに奥歯をかみしめている。
あたかも解剖学を実践するかのようだった判定勝利の声を聞くころには、すっかりヘトヘトになった。
敗者、新保力のタフネスがまた泣かせた。
ああ、やっぱりボクシングは人類の財産だ。
なのに、先日の亀田興毅の試合には足は向かなかった。
いくらテレビ局が「世界前哨戦」とあおっても、相手の経歴を知れば、内容は想像がつく。
これは批判ではなしにスポーツ観戦、取材におけるリアリズムだ。
「一方的な試合になりそう。ま、テレビでいいか」。
それだけの話。
問題は、そのテレビだ。
亀田興毅という気鋭のボクサー、激しい鍛錬をいとわず、実のところ優しげで、言語感覚に優れ、頑健な体を持つ19歳を、ありのままに伝えようとしない。
ひたすら騒々しく、いたずらに増幅する。
テレビという強大な装置を用いて、実像にバイアスをかえ、膨らませ、大きくしておいて周囲がおこぼれをさらう。
スポーツに限らず、そんな手法はまかり通っている。
友人を失うかもしれないけれど極論しよう。
何もかもは「テレビ局正社員の高い給与水準を維持するため」に消費されている。
亀田興毅の目標は「世界チャンピオン」である。
間違ってはいない。
そのために熱血の父と過ごした歳月の重みは確かだろう。
前へ出る圧力、減量を苦にせぬ体質を考慮すれば、フライより一階級下のライトフライでの可能性も膨らむ。
ここで「いつ」を考えてしまう。
本来、世界チャンピオンになれてから手に入るはずの果実、関連書籍出版、スポンサー、知名度などを、王座を目指す過程で得たのは皮肉なようだ。
だからこそ、ここは慌てず、日本国内の実力者と戦い、本物のボクシング好きも納得させる過程を経て、それから…と言ったら、各方面から「アホ」と切り捨てられるか。
前述の大場浩平は、試合後に「亀田興毅は気になるか?」と聞かれて、こう言った。
「もちろん一ファンとしては。それに、亀田選手、本当に強いですから」
結婚式のケーキは見た目より小さい。
でも自宅のテーブルに置けば十分なサイズだ。
それに、案外、おいしいのである