『大差の接戦』
2004年2月 ワセダクラブ・コラム「楕円球は呼ぶ」Vol.5
形容詞は腐敗する。
文筆にあたっての古くからの戒めである。
わかってはいる。でも頼りたくなる。
きらびやかだったり、奇抜だったりする形容に。
品よく、平易で、抑制の効いた文章は素敵だ。
間違いない。
自己主張とはたいがい醜いものなのだ。
だけど、それでは書いていて退屈を覚える。
そこで、実に非生産的な時間を費やして、世界のどこにも存在しない言い回しを考えたりする。
サッカーのベッカム、かの凄まじいアクセントの英語=酔っ払いがシンセサイザーをいじったみたいな。
隔靴掻痒=潜水服の背中を掻く。
強かったころの明治大学の巨漢ロックがラインアウトへゆっくりと向かう様子=夕暮れの道を銭湯へ向かうように。
そうした類の表現が思い浮かぶまで半時間も費やす。
しかし、先日の大学選手権決勝、とりわけ前半の40数分間は、あらゆる比喩を拒んだ。
個人的にラジオの解説をさせてもらったのだが、しじゅう「厳しくて、いい試合ですね」と繰り返していたと思う。
なにしろ、厳しくて、いい試合だった。
技術の細部の未熟をピンセットでつまむのは簡単だ。
しかしラグビーとは技術によってのみ構成されているのではない。
練習で発揮できた技術を発揮できぬゆえの名勝負はありうる。未熟が露呈したからこその決闘かもしれないのである。
「早稲田の仕留めが拙い」。
終了後、そのまま記者室で取り組んだ専門誌報告記事に書いた。
ノーサイド告げる笛からしばらく過ぎたところで、職業ライターとして引っ張り出した技術評である。
しかし勝負のさなかには、実際、どうでもよかった。
どちらも、のびのび力を出せない重苦しさ、そんな美しさに酔いしれていた。
細部は避ける。
ともかく先発に4年生は3名、若き早稲田のシーズン最終局面、ついに体内の奥深くから噴出した誇り、そして最大級の抵抗と細密な研究にさらされ、なお「信」は揺るがぬ関東学院、その太い幹に敬意を捧げるほかない。
ラジオ解説者が言葉紡ぐ隙間はどこにも見当たらなかったのである。
後半、かすかな防御のほころびと幾らかの運・不運により、表向きのスコアは開いた。
だが、2003年度の大学決勝は、スポーツライターには、接戦として刻まれた。当然、敗者の側には、下降傾向にあるフィットネスの再獲得、ひとつのパスやキック、タックルといった個別技術の習得、おおいなる課題は浮かんだ。
そんな事実を前提に、しかし得失点とは別の「接戦」の緊張は崩れなかった。
これ、新人の時に担当コーチを務めた身びいきだろうか。
川上力也がタックル直後にヘッドキャップのずれをさっと直す仕草、劣勢にも自信を保とうと何かを噛みしめる大田尾竜彦の蒼白の表情、「人間っていいなあ」と放送席の窓越しに涙腺が反応した。
酒場で「早稲田劣勢だと黙ってましたね」とからかわれた。
違う。
しゃべると声がよれそうで、感情の波の過ぎるのを待っていたのだ。
忘れてはいけない。
関東学院の背番号12、河津賢太郎のなんべんでも防御を重ねる大股の脚の運びも、また青春の気高さを表しているみたいだった。
ことさら因果はないのに、こちらにも鼻先はつんとさせられた。
元ラグビー記者が、ラグビーを愛する者の集うページに、以下の言葉を記したのでは、あまりに遊びがない。
でも記す。
ラグビーが消滅したら人類の悲劇だ。
なんと表現するのか、つまり、厳しくて、いい試合だった