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ドイツの法学者イェーリングが、150年前に行った講演をまとめた、この作品。
むちゃくちゃ解りにくい事もあって、勉強にはなるけど、面白くはない本です。
しかーも、読んでいると頭が痛くなるだけでなく、
今の日本人へのお叱りの様な内容ということもあり、
耳まで痛くなってきます。
(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ

で、こういった世界的な古典作品を読む度にいつも思うのが・・・。
本文中に事例として挙げられるモノは、古代ローマやギリシャの話が多く、
基礎知識としてそれを理解してないと先に進まず、読み終わる前に飽きて来る。
(;´Д`)ハァハァ
それと、英語圏のニュース・サイトを読むと、
「シェークスピア」の作品を引用して、時事問題の解説やら、
スポーツの批評をしている記事をよく見かけます。
「五十音」をマスターしない事には、
日本語が話せる様にならないのと同じで、
世界的な名作やらニュースを読むには、
こういった予備知識が無いと理解しきれない事が、多いです。
(´・ω・`)チョボーン
そんなこんなで、日本でも小中学生のうちから、
古代ローマやギリシャの英雄、シェークスピア作品に関連したものを、
マンガやアニメを使ってでも少しは授業で取り上げるなり、
学ぶ機会を与えて、小さい頃から慣れさせておいた方が良いのではないのかなと、
大人になってそれで苦労をしたワテは、最近つとに思ってまつ。
(・・。)ゞ

それはさておき、本題です。
「権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」の一節から始まる
この作品は、やたらと『権利=法』という単語が並び、
ただでさえ解りにくい内容なのに、より解りにくくさせています。
ドイツ語の原文『Recht(レヒト)』を訳すと、
「権利(個人の観点)」と「法(国家の観点)」、
二通りの意味に訳せるとのこと。
そのうえ、著者がわざと二重の意味を持たせて書いているので、
読みながらその都度、両方の意味で脳内転換しなければならず、
読み難さを加速させてくれました。
(/ω\)
とはいえ、欧米人の文章、というのかスピーチは結論から入るので、
日本人の学者が書く論文よりは、まだ読みやすい方なのかもしれませんが。
冒頭の1ページだけで9回も出て来る『権利=法』を
手にする事が、どれほど大変で重要な事なのかが作品の主題になり、
以降、古今東西の法令やら法学説の事例を引用して解説。
ここでいう「闘い」とは、
武装蜂起や法廷闘争を指すだけでなく、
他人が自分の物を勝手に使ったら「これは、もれのです」と
注意する事も意味しています。

「ゆずり合い」が大好きな日本人の発想として、
声高に『自由』や『権利』を主張するのは
何だか品が無く感じ、苦手かと思います。
ましてや日本は、戦後に占領した連合国が、
世界標準の「基本的人権」を備えた憲法を作ってくれたおかげで、
国民が自由や権利を勝ち取ったという意識が全く無い。
かえって、天から降って来たような印象でしょうか。
それに対して西洋では、国民は王様の奴隷的な立場でしかなく、
どんなに理不尽な政策を出されても、国民は意見や文句が言えませんでした。
その後、民主主義が発達してからは、
「ヒト・モノ・カネ」の権限を王様から奪い、抑制し、
議会が法案や予算を決められる様になりました。
議会を構成するのは国民の代表という事で、
王様には口が裂けても言えなかった意見や不満、要望を、
議会(議員)には、あれこれ言える様になって今に至ります。
フランス革命や、最近、中東で起こった一連の革命も、
ざっくり言うとこんな感じだと思います。

話は飛びますが、日本では「自由」について、
(とくにマスゴミは)誤った認識をしている気がしてまつ。
「もれが何を言っても、もれの勝手だ!」という、
ジャイアン的な野放図さを容認するのが自由なのではなく。
気分屋の王様に絶対服従を強いられていた大昔と違って、
ルールを守っていれば、国家権力というのか政府(為政者)に
縛られることはない、というのが本来の自由です。
言論、出版、信教、集会、居住等でいう、『自由権』はこれですね。
一部のマスゴミは「言論の自由」を盾に、
ねつ造記事を書いて他人の名誉を侵害しまくっていますが、
ルール違反を犯せば当然ながら、そりゃ犯罪です。。

話は戻りまして、中世の欧州では日本と違って
国民が、王様から権力を奪い取ったり、
自由や権利を自分達のものにするためには、
相手の持つ権力が巨大なだけに、
その過程では大変なものがありました。
しかしながら、こういった戦列に参加するのが、
苦手だと言う方も居るかと思います。
その場合、代わりに誰かが闘わないと、
また直ぐに元の悪しき体制に戻ってしまう。
「だから、好きでも嫌いでも、休まずに闘い続けなさいよ」
という説明に、
著者のイェーリングは多くの紙面を割き、
次の様にまとめております。
「権利のための闘争は、自分自身に対する義務である」
「権利のための闘争は、国家共同体に対する義務である」
自身や自国の権利を侵害された時に、
いかなる理由があれ、それを黙認すると。
一個人の問題ではなく、一国、ひいては全人類の問題になるから、
変な前例を残さずに闘えよ、後で痛い目に遭うよ、というお話です。

たしかにこれは、戦前に国の内外で暴走しまくった、
日本の悪しき権力が良い例ですね。
先ずは日本国民が看過し、諸外国も黙認していたら、
やがては自国民だけでなく隣国の国民へも多大な被害を負わせ。
今もって、無関係な後世の国民にまで、その代償を被らせているのが現実です。
ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
また、イェーリングは、こうも述べています。
「国家が国民に対して、権利の感覚を十分に発達させないと、
他国に領土を侵害されても文句を言えず、国力を損うことになる」
要は「国民がアホだと為政者は統治しやすい。
でも、長い目で見ると、国益を損なう事態がやって来るから、
国家は国民を賢くさせろ!」
と、言っている様なものでしょうか。

ところで、この本を読んで真っ先に、
「竹島問題」に関しての韓国人の対応が頭に浮かびました。
日頃から、政府の失政に手厳しい韓国人は、
領土問題についても凄まじいまでの行動を取ります。
他の外国も同じ様に、領土に関しては、戦争をしてでも主権を譲ろうとはしません。
かえって、戦争で被る被害や不利益の方が、大きいと思うのですが・・・
そこまでしてでも権利を主張し続けます。
日本人が「本州は日本のものだ!」と、
当たり前の事として思っているのと同じ様に。
「竹島は韓国のもの」と、心底そう思い込んでいる韓国人がとられる
(行き過ぎた感もありますが)権利を主張するあの姿勢の方が、
外国人に対しては、かえって『世界標準』なのかな、と思いました。
まぁ、領土問題や韓国人の政治意識については、
長くなるので別の機会に改めます。。。
いずれにしても、
(責任の多くは、アホなマスゴミに原因があるとも思いますが)
日本人はもっと「政治を監視しる!」、「政治へコミットしる!」
という『参政権』の所から、
一人ひとりが意識を変えていかねばならない気がしてまつ。

また話が、良からぬ方向へと脱線してきたので、
ひとまず今回の〆に行きます。
スポーツの世界では、
日本人同士が試合をする「国内大会」と外国人相手の「国際大会」とでは、
戦い方を変えるのが一般的なのと同じ様に。
「外国人に対して正当な権利を主張する事は、国際人にとって必要なマナーだ!」
と、この本を読み、感じた今日この頃です。