読書ノート⑨「権利のための闘争」 | ひろどんの歌声日詩♪
権利のための闘争 (岩波文庫)/イェーリング

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ドイツの法学者イェーリングが、150年前に行った講演をまとめた、この作品。

むちゃくちゃ解りにくい事もあって、勉強にはなるけど、面白くはない本です。


しかーも、読んでいると頭が痛くなるだけでなく、

今の日本人へのお叱りの様な内容ということもあり、

耳まで痛くなってきます。


(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ





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で、こういった世界的な古典作品を読む度にいつも思うのが・・・。

本文中に事例として挙げられるモノは、古代ローマやギリシャの話が多く、

基礎知識としてそれを理解してないと先に進まず、読み終わる前に飽きて来る。


(;´Д`)ハァハァ



それと、英語圏のニュース・サイトを読むと、

「シェークスピア」の作品を引用して、時事問題の解説やら、

スポーツの批評をしている記事をよく見かけます。


「五十音」をマスターしない事には、

日本語が話せる様にならないのと同じで、

世界的な名作やらニュースを読むには、

こういった予備知識が無いと理解しきれない事が、多いです。


(´・ω・`)チョボーン



そんなこんなで、日本でも小中学生のうちから、

古代ローマやギリシャの英雄、シェークスピア作品に関連したものを、

マンガやアニメを使ってでも少しは授業で取り上げるなり、

学ぶ機会を与えて、小さい頃から慣れさせておいた方が良いのではないのかなと、

大人になってそれで苦労をしたワテは、最近つとに思ってまつ。


(・・。)ゞ






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それはさておき、本題です。

「権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」の一節から始まる

この作品は、やたらと『権利=法』という単語が並び、

ただでさえ解りにくい内容なのに、より解りにくくさせています。


ドイツ語の原文『Recht(レヒト)』を訳すと、

「権利(個人の観点)」と「法(国家の観点)」、

二通りの意味に訳せるとのこと。


そのうえ、著者がわざと二重の意味を持たせて書いているので、

読みながらその都度、両方の意味で脳内転換しなければならず、

読み難さを加速させてくれました。


(/ω\)



とはいえ、欧米人の文章、というのかスピーチは結論から入るので、

日本人の学者が書く論文よりは、まだ読みやすい方なのかもしれませんが。




冒頭の1ページだけで9回も出て来る『権利=法』を

手にする事が、どれほど大変で重要な事なのかが作品の主題になり、

以降、古今東西の法令やら法学説の事例を引用して解説。



ここでいう「闘い」とは、

武装蜂起や法廷闘争を指すだけでなく、

他人が自分の物を勝手に使ったら「これは、もれのです」と

注意する事も意味しています。




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「ゆずり合い」が大好きな日本人の発想として、

声高に『自由』や『権利』を主張するのは

何だか品が無く感じ、苦手かと思います。


ましてや日本は、戦後に占領した連合国が、

世界標準の「基本的人権」を備えた憲法を作ってくれたおかげで、

国民が自由や権利を勝ち取ったという意識が全く無い。

かえって、天から降って来たような印象でしょうか。



それに対して西洋では、国民は王様の奴隷的な立場でしかなく、

どんなに理不尽な政策を出されても、国民は意見や文句が言えませんでした。


その後、民主主義が発達してからは、

「ヒト・モノ・カネ」の権限を王様から奪い、抑制し、

議会が法案や予算を決められる様になりました。


議会を構成するのは国民の代表という事で、

王様には口が裂けても言えなかった意見や不満、要望を、

議会(議員)には、あれこれ言える様になって今に至ります。


フランス革命や、最近、中東で起こった一連の革命も、

ざっくり言うとこんな感じだと思います。





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話は飛びますが、日本では「自由」について、

(とくにマスゴミは)誤った認識をしている気がしてまつ。

「もれが何を言っても、もれの勝手だ!」という、

ジャイアン的な野放図さを容認するのが自由なのではなく。


気分屋の王様に絶対服従を強いられていた大昔と違って、

ルールを守っていれば、国家権力というのか政府(為政者)に

縛られることはない、というのが本来の自由です。

言論、出版、信教、集会、居住等でいう、『自由権』はこれですね。


一部のマスゴミは「言論の自由」を盾に、

ねつ造記事を書いて他人の名誉を侵害しまくっていますが、

ルール違反を犯せば当然ながら、そりゃ犯罪です。。






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話は戻りまして、中世の欧州では日本と違って

国民が、王様から権力を奪い取ったり、

自由や権利を自分達のものにするためには、

相手の持つ権力が巨大なだけに、

その過程では大変なものがありました。


しかしながら、こういった戦列に参加するのが、

苦手だと言う方も居るかと思います。


その場合、代わりに誰かが闘わないと、

また直ぐに元の悪しき体制に戻ってしまう。


「だから、好きでも嫌いでも、休まずに闘い続けなさいよ」

という説明に、

著者のイェーリングは多くの紙面を割き、

次の様にまとめております。


「権利のための闘争は、自分自身に対する義務である」

「権利のための闘争は、国家共同体に対する義務である」


自身や自国の権利を侵害された時に、

いかなる理由があれ、それを黙認すると。

一個人の問題ではなく、一国、ひいては全人類の問題になるから、

変な前例を残さずに闘えよ、後で痛い目に遭うよ、というお話です。





ひろどんの歌声日詩♪


たしかにこれは、戦前に国の内外で暴走しまくった、

日本の悪しき権力が良い例ですね。

先ずは日本国民が看過し、諸外国も黙認していたら、

やがては自国民だけでなく隣国の国民へも多大な被害を負わせ。

今もって、無関係な後世の国民にまで、その代償を被らせているのが現実です。

ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン




また、イェーリングは、こうも述べています。

「国家が国民に対して、権利の感覚を十分に発達させないと、

他国に領土を侵害されても文句を言えず、国力を損うことになる」


要は「国民がアホだと為政者は統治しやすい。

でも、長い目で見ると、国益を損なう事態がやって来るから、

国家は国民を賢くさせろ!」

と、言っている様なものでしょうか。




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ところで、この本を読んで真っ先に、

「竹島問題」に関しての韓国人の対応が頭に浮かびました。

日頃から、政府の失政に手厳しい韓国人は、

領土問題についても凄まじいまでの行動を取ります。

他の外国も同じ様に、領土に関しては、戦争をしてでも主権を譲ろうとはしません。

かえって、戦争で被る被害や不利益の方が、大きいと思うのですが・・・

そこまでしてでも権利を主張し続けます。



日本人が「本州は日本のものだ!」と、

当たり前の事として思っているのと同じ様に。

「竹島は韓国のもの」と、心底そう思い込んでいる韓国人がとられる

(行き過ぎた感もありますが)権利を主張するあの姿勢の方が、

外国人に対しては、かえって『世界標準』なのかな、と思いました。


まぁ、領土問題や韓国人の政治意識については、

長くなるので別の機会に改めます。。。



いずれにしても、

(責任の多くは、アホなマスゴミに原因があるとも思いますが)

日本人はもっと「政治を監視しる!」、「政治へコミットしる!」

という『参政権』の所から、

一人ひとりが意識を変えていかねばならない気がしてまつ。





$ひろどんの歌声日詩♪


また話が、良からぬ方向へと脱線してきたので、

ひとまず今回の〆に行きます。


スポーツの世界では、

日本人同士が試合をする「国内大会」と外国人相手の「国際大会」とでは、

戦い方を変えるのが一般的なのと同じ様に。


「外国人に対して正当な権利を主張する事は、国際人にとって必要なマナーだ!」

と、この本を読み、感じた今日この頃です。