日中韓について私が知っている二、三の事柄:その④ | ひろどんの歌声日詩♪
気付いたら、すでにパート④だ。

まだ、まとめたいモノの1割程度しか進んでない・・・。

このペースだと、年内には終わりそうにないので、ちょいと飛ばしていきます!

(´∀`∩) Go go go go!


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前回のつづきです



何年か前のこと。

ヒトの染色体を、最新の研究法で調査したところ。

「人類の起源はアフリカだ!」

というニュースが、話題になりました。


ヒトは、アフリカを起点に東西に向かって移動し続け、世界中へ渡ったとされております。


日本に来たのは「中国⇒朝鮮⇒日本」という説や、「東南アジア⇒(台湾⇒)日本」へと渡った説など、いろいろあるそうですが、未だに解明されてはおりません。



それはさておき、学校で世界史の授業で「4大文明」というのを習ったかと思います。

エジプト文明。メソポタミア文明、チグリス・ユーフラテス文明、黄河文明

っで、良かったのかな?


まぁ、言いたいのは『黄河文明』についてなので、まぁヨシとしよう。。。

(´゚ω゚):;*.':;ブッ



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文明が発達する要素は、「大きな河がある」と習った記憶があります。


でも、大きな川なんかそこら中にあるのに、「中国では何で黄河流域にだけ文明が発達したのか?」と、不思議に思っておりましたら・・・。

最近の世界史の教科書では、黄河流域以外にも、長江とかの大河にも人が大勢住んでいた事が解ったので「黄河・長江文明」として教えられるとのこと。


それを知って、また新たな疑問が湧いてきますた。

「なんで大河の周りにしか、文明が発達しなかったのか?」と、いうことです。

で、まぁ、調べて、解った点を、いくつか。


『文明』とは、「都市化」を意味する。

都市の形成に必要なのは、

① 文字の使用

② 農工具の使用

③ 統治体制の確立

④ 同じ地域に定住し、建造物を造る

などなどが、挙げられるそうです。



で、話を元に戻しますと。


大きな河の周りに、人が住みつくのは・・

たくさんの人が住む⇒たくさんの食料が必要になる⇒生産しやすい効果的な農具が必要になる⇒食べ物があるから、たくさんの人が集まって来る⇒住む家や建物を建てる⇒工具が発達する⇒住みやすいので、よりたくさんの人が住みつく。

たくさんの人が集まると、他者へ物事を伝達したり、後世のために記述するのに、文字が必要になる。

こういった循環を繰り返すから、大河の付近に文明が発達するそうです。



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ここからが、今日の本題です。


中国の場合。

黄河や長江流域の地質が、農作業に適していた。


日本でも、農作物を育てるには、地域によって適・不適があります。



例えば、福島原発のある辺りは、土地が痩せており、作物の栽培に適していない地域だと聞いた事があります。

昔、何を育ててもダメぽだったので、作物の栽培は諦めて、塩を作る塩田にした時もあったそうです。

その後、その付近の鉱山から、ウラン等の原子力発電に必要な資源がたくさん取れた事もあって、あそこに原発を作ったとか・・・。




いかん、いかん。。。

話題が外れそうなので、元に戻します。



前回、説明しきれなかったのですが、テレビゲームがまだファミコンだった時代に、『三国志 中原の覇者』というゲームが流行ったのを覚えている方も多いかと思われます。

この三国志を筆頭に、中国の戦記モノでは必ず出てる『中原(ちゅうげん)』とは何ぞや?

と、言いますと。



黄河流域は、土地がどこまでも平らで、気候も温暖。

黄河が流れているので水が豊富で、作物を育てるのにうってつけの土地だったそうです。


大昔の中国では、「中原」の住みやすく豊かな土地を求めて、豪族たちはこの地域を奪い合いました。

その過程は、三国志などの戦記モノとして、今に残っております。




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この肥沃な土地が欲しいのは、中国人だけではなく。

土地が貧しいため定住できなかった北方の人達も同じでした。


中国の北の方は、農作物を栽培するよりも、草原で牧畜した方が適している地域です。

今でも、モンゴル人は、そういう生活をしていますね。


そこに住む人たちは、遊牧民として駆け回って暮らしておりましたが、食べ物を求めてさすらう生活のため、いつしか中原を脅かす様になります。



その遊牧民を、中原に入れない為に築いたのが『万里の長城』です。

馬に乗って移動したり、襲ってくる民族が相手だったので、馬では乗り越えられない様な高さに造られているそうです。



この『万里の長城』の内側が、世界の中心たる中国。

外側にあるのが、野蛮な非文明国や支配下の国ということで、昔の中国人は(前回、触れましたが)邪だの、卑だの、奴の文字が入った国名で呼びました。




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また長くなってきたので、次回に続きます。